「ロックとは何ぞや?」

  1970年代の終り頃。14歳の少年Xが私に詰め寄った。

  「ロックの定義て何や!?」

  「えっ…?」 たじろぐ私…
  「…音がでかい…?」 私のまぬけな返答にうなだれる少年…。
  そして彼は立ち直るや言った。

  「それはな、かっこええ、ちゅうこっちゃ。!

  かっこええもんがロックや!」


  レコード屋や評論家の便宜的なカテゴライズやどんどん生み出される
  ムーヴメントの名前なんか、ぶっとんでしまうのだった。
  そう、彼にとって、“かっこええもんがロック”なのだった。
  かっこよければ、トーフ屋のおっちゃんであろうと、たばこ屋のばーちゃん
  であろうと、ナスビのヘタであろうと、ロックなのだ。
  逆に、当時日本の“自称ロッカー”達の大部分は、ロックではなかった。



まだ楽器も持っていない中学生と高校生が集まって

  バンド名を考えた。
  あれこれ、いろんな意見が出たが、どれもパッとせず行き詰まってしまった。
  私が、「まあ、名前なんか何でもいいやけどね。大事なのは中身であって。」
  と言うと、少年Xは、「せやっ!名前なんかどうでもええんや!」と言った。

  「名前なんか、“天ぷら”でもかまへんねや!」

  “天ぷら” …… 私は、ちょっと凄い、と思ったけれど、平静を装いながら、
  「そうや。べつに天ぷらでもええんや。」と言った。
  すると彼は大きな目で私を睨みながら攻撃的に問い詰めた。

  「ホンマにかっ!?ホンマに“天ぷら”でもええのんかっ!?」

  私はたじろいだ。本当に“天ぷら”になったらどうしよう?と困惑しつつも、
  今さら引っ込みがつかなくなったので、動揺を押し隠して答えた。
  「…かまへんよ、天ぷらでも…。」
  彼は、顔をワナワナと引き攣らせながら私に詰め寄り、

  「“天ぷら”やで!?わかってんのかっ?」

  と、怒鳴った。私はなおも開き直って言うしかなかった。
  「…べつに中身が良かったら名前なんか天ぷらでも何でもええんちゃうん。」
  すると彼は、「俺はいやや。」と言ってふくれっ面で背を向けてしまった。

  「そんなん、俺、恥ずかしい。」

  (おいおい〜!自分で言い出したんじゃないの〜!? (^o^; )

  思えば、まだ「恥ずかしい」という感情を持ち合わせていた時代であった。
  しかし当時の私たちは、普通の人が「“天ぷら”よりもっと恥ずかしい!」
  と思うようなことを、平気でやっていたような気がしないでもないのだった…。



少しずつ楽器が増えた

  けれど、ドラムセットはまだ買えず、その日の少年Xの家での練習でも
  ドラム担当の少年は座布団を叩いていた。
  少年Xのお母さんが、「座布団叩いたらイヤ!これを叩きなさい。」と言って
  古本の束を持って来てくれた。それは、少年Xの小学校時代の教科書だった。
  名前の欄には、

  『○年○組 高倉健』

  と書いてあった。少年の名はもちろん、そんな名前ではなかった。


  ……こんなふうに、過去の出来事すべての中の百億分の一にも満たない
  小さな出来事ふたつみっつを取り上げて文章にすると、そのイメージだけで
  大半が占められた偽物の過去がでっち上げられてしまう。
  少年X(今はイイ年のはず)について語れば分厚い本が何冊も書けるだろう。
  が、本人の承諾もなく私の勝手な思い入れでこれ以上語るのは、人権損害、
  名誉毀損ともなるだろうから、ここらで辞めなければならない。
  このページは私のロック体験について書くはずだったのだから。
  とはいえ、彼の存在なしに私のロック体験はないと言っても過言ではない。
  行動を共にしたのはほんの2年ほどだったが、私の生き方を大きく変えた
  『運命的な出会い(その1)』であった。


  16〜17歳の頃は、むさぼるように音楽を聴いた。といっても、バイト料は
  スタジオ代と交通費で飛んでしまい、レコードはあまり買えなかった。
  田舎だったのでレンタル屋に行くにも電車とバスに乗らねばならなかった。
  FMはよく聴いた。レコードを裏返す何秒かの間にFMでいい音楽が流れて
  いないか探す、というふうに、ちょっとの時間も惜しんで音楽を聴いていた。
  18歳になると、ゴミの山からダイヤモンドを探し出すような作業に疲れ果て、
  演奏することも聴くこともやめてしまった。
  その後はまったく音楽に触れない数年間というのを所々に挟みつつ、
  時々CDを買ってみたりしながら、今に至る。基本的に静寂が好きだ。


           (つづく)





***

レコードをかけるということ

  部屋の空気の色を染め変えること。どんなときでも自由自在。
  初めて買ったレコードを今かければ、当時の部屋に流れた風が
  温度や匂いとともに蘇ってくるだろう。
  (ただし現在わが家にアナログレコードプレーヤーは不在。)

レコードをつくるということ

  言葉で伝えきれない感情や感覚をダイレクトに感じられるならば、
  コミュニケーションはもっと、手っ取り早い、と思った。
  伝えたいことを、脳味噌の中心部分に向けて訴えようとした。
  (途上にて迷路に突入。)




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