ミゲルのペルー再訪記

第一章 目的・道程

第一章 目的・道程

第二章 空港・飛行機

第三章 リマの風景・ビキさん一家

第四章 ナスカ、プキオ、そしてコラコラ

第五章 ペルーの交通事情

第六章 クスコ、慕わしい町

第七章 ペルーの博物館

第八章 プーノ、 ビルヘン・デ・ラ・カンデラリア

第九章 チチカカに浮かぶ島々

第十章 ゴーバック・トゥ・マイホーム

第十一章 ペルー雑感

 私にとって最初のペルー訪問は8年前、今回と同様雨季であった。
 その時の事はいずれ改めて報告したいと思ってはいるが、当時は私の個人的体験などわざわざ文章にする必要など無いと考えていたので、今のところ書かずじまいなっている。
 今回も前回同様多くの貴重な体験をした。行く先々で多くのペルーの方から暖かいもてなしを受けた。そして多くの日本の友人方が私たちの無事を心配してくださった。このような素晴らしい経験を私の心の内側だけに留めておくのはもったいない。
 また、私たちにとってはいかに素晴らしい経験であっても、一般的にはよくありがちな微々たる経験にすぎない。しかし、そんな微々たる経験でもお読み頂く人によってはあるいは何かの参考にしていただくことがあるかも知れない。そんな思いで拙い文章を綴ることにする。

 8年前ペルーから帰った直後から、必ずもう一度ペルーを訪問してお世話になった方々にご挨拶をしたいと思っていた。しかし私の置かれていた個人的状況は仲々それを許さないものがあって、半ば以上そのようなことは諦めていた。ところがひょんなことから気持ちの整理がついた。
 私達夫婦の友人にS子ちゃんKちゃんと云う二人の若い娘さんがおられる。このお二方がペルー旅行の計画を立てておられて、ある行きがかりから私たちをお誘いくださった。この機会をのがしたらもう一生ペルーなどに行く機会は無いかも知れない。幾度と無く外国旅行をしておられる方には大げさに聞こえるだろうが、私は一大決心をして彼女らに同行することにした。
 結局彼女らはご家庭の都合で計画を中止し、私達は夫婦二人だけでペルーに向かうことになったのだが、このお二人のお誘いがなかったら本当にペルー旅行など遠い遠い夢に終わっていたことだろう。またとない機会を与えてくださったお二人には深く深く感謝している。

 お二人とご一緒できなかったことは非常に残念なことであったが、逆に私達の旅の目的やら日程やらを再度検討する機会にはなった。先にも述べたように私としては今回は何よりも前回の旅でお世話になったクスコの友人家族にその時のお礼を言いたかった。そこで旅の第一の目的をクスコの友人家族へのご挨拶と云うこととした。
 第二には、妻の意志を尊重して私達の好むフォルクローレ音楽の故地を時間の許す限り訪れることとした。限りのある日程の中で、そのような土地を訪れたとしても果たしてその地域の音楽、特に生の音楽に触れることのできる可能性は極めて低い。そうは思ったものの、その町その村の雰囲気を味わい、草木や空を眺めるだけでも私達にとっては有意義なものがあると思えた。その通りで、やがて草や空には堪能することになる。どころか草については文字通りたっぷり味わうことになる。
 そして第三にはビルヘン・デ・ラ・カンデラリア。これは元々S子ちゃんKちゃんが、旅の多分第一の目的にしていたものである。2月の南米はこの聖燭祭をはじめ色々なお祭りの季節。行く先々で、もしこういうお祭りに出会えれば、これを十分に楽しみたいと思った。
 この三つの目的に沿うよう日程を考えた。勿論すでに予約を変更できないものもあったし、また現地でしか確認できないこともあったが概ね満足のできるものが考えられた。以下がその日程である。何かの参考としてもらう為に細かい部分も全て書き出した。煩瑣にわたるがお許し頂きたい。

(左)
 プーノで開催される大きな祭り
 「ビルヘン・デ・ラ・カンデラリア」


(右)
 伊丹→成田へのANAは60人乗りの小さな旅客機。

 1月26日、伊丹空港から成田(ANA)
 同日、成田からアメリカ・シカゴ(AA)。日付変更線を経て同じ日、シカゴからマイアミ(AA)。マイアミからリマへ(AA)。
 27日早朝リマ着。リマでは知人のお姉さんであるビキさんのお宅に泊めていただく。
 28日朝、バスにてナスカに向かう。10時間かけてナスカに到着、ホテルで一泊。
 29日朝、乗り合いタクシーにてプキオに向かう。プキオ泊。
 30日朝、コンビにてコラコラへ。コラコラ泊。
 31日午後3時、バスにてリマへ戻る。
2月1日午前7時、リマ着。再びビキさん宅へ。市内観光。ビキさん宅に一泊。
  2日午前9時、クスコへ(ラン・ペルー)。一時間程でクスコ着。フィデルが出迎え。
 セルソのお姉さんであるママ・フローレンシアのお宅で泊まる。以後7日まで滞在。
  3日、市内観光。ママ・マリア宅で昼食。以後4,5,6日、すべてフィデルの案内。
  4日、プマウアンカのアミリカル邸へ。大パーティ。
  5日、ワカルパイ湖へ、クイ喰い旅行。
  6日、サン・ペドロ市場で買い物。アマンダ宅で昼食。ママ・リディア宅で夕食。
  7日午前中、二人だけで観光。夜、お別れパーティ。
   【6日、7日はアヤクチョ市へ行く予定であったが、皆に止められ実現せず】
  8日、バス(インカ・エクスプレス)でプーノへ。8,9,10,11,12日プーノ泊。
  9日、メリさん宅を訪ね、打ち合わせの後ワクサパタ地区のサンポーニャ隊に参加。
 10日、大露天市場を見物。バンダの練習見物。
 11日、スタジアムコンクールの後、大パレード始まる。良い席取れる。
 12日、大パレード、一日中。予約の都合でホテルを移動する。
 13日、ウロス,アマンタニ,タキーレ・ツァーに出発。アマンタニ島に民泊。
 14日、タキーレ島観光。夕方プーノに戻る。
 15日、タクシーにてフリアカへ。午後3時フリアカからリマへ(ラン・ペルー)。
 16日、日秘会館・移民資料館見学。AAの都合でリマでもう一泊。
 17日、ペルー国立博物館見学。深夜、ホルヘ・チャベス空港よりマイアミへ(AA)。
 18日、マイアミからダラスヘ(AA)。ダラスから成田へ(AA)。
 19日、夕方成田着。バスにて羽田へ移動。羽田から関空(ANA)。バスにて京都へ。
 20日、午前、帰宅。

以上である。次章からは日記風に体験や感想を述べていく。



    ↑ ページトップへ   次のページへ →






「ミゲルとポニタのペルーふたり旅2007」表紙に戻る

「ミゲルとポニタのフォルクローレ生活」ホームページに戻る