ミゲルのペルー再訪記

第五章 ペルーの交通事情

第一章 目的・道程

第二章 空港・飛行機

第三章 リマの風景・ビキさん一家

第四章 ナスカ、プキオ、そしてコラコラ

第五章 ペルーの交通事情

第六章 クスコ、慕わしい町

第七章 ペルーの博物館

第八章 プーノ、 ビルヘン・デ・ラ・カンデラリア

第九章 チチカカに浮かぶ島々

第十章 ゴーバック・トゥ・マイホーム

第十一章 ペルー雑感

 ペルーは日本のように鉄道は発達していない。線路は敷設されていても毎日運行されていないし料金もすごく高い。鉄道はどちらかと言うと観光客の為のものだ。毎日運行されているのはクスコ−マチュピチュ間位だろう。8年前、この列車に乗ったときは地元の人達と一緒に乗ることができた。今は観光客用の列車と地元の人用の列車は完全に便を違えてあって、観光客は地元用列車に乗ってはいけないのだそうだ。色々事情はあるのだろうが残念なことである。

 そこでバス便が発達している。一説によると十数社ではなく数十社もバス会社があるそうだ。バスは観光客と地元民でどちらがどちらに乗ってはいけないと言うことは無いようだが、乗場と料金がまるで違う。乗場は一般用はやや雑多な地域に各社が集中したターミナルになっているが、観光客用の乗場は比較的閑静な場所でその会社の事務所前を発着場にしている。これはクスコでも同じ。また観光客用のバス料金は一般用の大体3倍くらい、ガイド付きだと大体5,6倍になる。そのメリットはやや奇麗なこと、トイレが付いているバスが多いこと、何となく安心できるということ、英語の得意な人には英語が通じるということぐらいか。デメリットは何と云っても地元の人達との交流が無いと云うことだろう。
 地元のバスに乗ると、例えば何か食べるのをうらやましそうに見ていると嫌な顔をしながらも「食うか」と聞いてくれる。遠慮なくいただいてお返しにチョコでも渡すとそこから片言会話が始まる。これは楽しい。
 とはいえ観光客同士の交流もまた楽しいものだ。バスではなく船のツアーだったがイタリア人、スペイン人、アルゼンチン人などが乗り合わせていて料理の話で盛り上がっていた。「私の国のこれこれという料理はこういうふうに作るの」「ああ、その料理なら私の国では何々と言うよ」と云うふうに。

 バスはペルー国内を縦横無尽に走っているとは云うものの田舎に行くほど便数が少なくなり道も悪くなるのは当たり前だ。バスもどんどん小さなものになる。突き固めてあるとはいっても舗装のされていない道路はところどころ大きくバウンドするし、ときに右に左に傾きながら川の中をザブザブ渡っていくし、ペルーの田舎道はかなりこたえる。

 道が通っていれば何処へでも行けるというものでもない。定期便の無いところもあるしタクシーもあまり不便なところには行ってくれない。  プーノでの話だが、フリアカまでタクシーで50〜60ソーレス、バスなら1人15ソーレス位という事なのでバス停までのタクシー代もあるし、タクシーで直行することにした。プーノはウジャウジャと云っていいくらいタクシーの多い町なのでその辺で拾うことにしたのだが、来るタクシー来るタクシーことごとく乗車拒否された。「そんな遠くまで行きたくない」と言うのだ。結局ホテルから呼んでもらったのだが、プーノの様な大きな町でさえそうなのだから後は推して知るべしである。  また、結構崖から転落すると言う話もある。クスコからアヤクチョ市までバスで行こうとしたのだが「あの道はやめなさい、ものすごい崖の道で時々車が落ちるよ」と本気で心配された。本当はごくたまにしか無いことなんだろうが、皆が心配する程度には実際に起こると云うことだろう。とうとうアヤクチョ行きはやめてしまった。

 リマ市内は色々なバスがたくさん走っている。一般の車両も多い。東京大阪並みの交通量だ。どの車もおとなしく走っている車など無い。どんどん割り込んで来るし、無茶苦茶な車線変更をする。ウインカーなど出さない。そもそもウインカーの無い車もある。ジェットコースターよりもはるかにスリルがある。日本ならどれ一つでも道交法違反だ。ペルーには道路交通法はないのか!?。まぁ、そんなことは無いはずだが思わずそう叫びたくなるほどだ。
 大体日本と違って交差点ごとに信号機が付いていると云うことが無い。田舎町の話ではない。堂々たるキャピタル、リマ市街の事である。信号機があるのはせいぜい大きな交差点、横断する歩行者が多い裏通り、過去に何か実績があったんだなと想像させるところなどだ。そのかわり道路の所々に蒲鉾形の盛り上げが設けてあって否応なしにスピードは落とさざるを得ない様になっている。また信号機のあるところは、そこはキッチリと守られている。信号無視はありえない。
 それにしては驚くほど事故は少ないようだ。リマのドライバーはものすごい集中力だ。なにしろちょっとでも油断をするとガツンといく。それを皆んなギリギリで無事かわしていく。私にはとてもリマで車の運転なんて出来ない。
 そんな中をバスが走っていく。流れに乗ると云うよりむしろ流れを作っている。なにしろ停留所ごとに端に寄せないといけないし、また引っ切りなしに流れている車の中に出ていかないといけないのだ。少々強引でないと運行できない。右側に車が来ていてもグイッと寄っていく。あっ、ぶつかると思ってヒヤーッとした瞬間互いにスーッと離れていく。上手いものだ。

 長距離バスを除いて、市内を走るバスは3種類。空港方面からミラ・フローレスの南の方までを走る大型バス、市内の主要道路を走る“ミクロ”と云うボンネットバス、市内をきめ細かく結ぶ“コンビ”と云うワンボックスカー。ミクロとコンビは相当の語学力と“気合い”が無いと乗ることは出来ない。ミクロは系統番号や行き先がわりとはっきり書いてあるのでまだましだがコンビは終点名だけ。主な経過地点は車掌がバスから身を乗り出して叫ぶ。それで見当を付けて「どこそこは通るか」と聞く「通る」と言うとサッと飛び乗る、「通らない」なら「あっち行け」と言うふうに手を振るのだ。降りるときも「ここで降りるぞー」とはっきり云わないといけない。私達のようにボケーッとした観光客にはどだい無理な話。ただそういう状景を眺めて楽しむだけだ。

 クスコにはミクロは走っていない。コンビだけだ。古都とは云えリマに比べたら町の規模がずっと小さいのだ。面積でおよそ10分の1くらい。コンビはやはり観光客には乗りにくい。勢い、歩くかタクシーかと云うことになる。しかし歩いても山にかからない限りそう疲れると云うことはない。
 それにしてもクスコは車が増えた。聞くところによると中国から安い車が輸入されるのとドイツで生産中止になったカブト虫ワーゲンの中古車が大量に入ってきて急激に車が増えたのだと言う。確かにクスコではワーゲンをよく見かけた。
 それと変わったのはタクシーだ。以前は白タク同然で、もっとも今の若い人は白タクというものを知らないだろうが、ボール紙に手書きで「TAXI」と書いた物をフロントガラスに貼り付けて走り回っていたものだが、今回の訪問ではそういったものは一台も見かけなかった。みんな正規の表示灯をルーフに取り付けている。これだけで心理的にずいぶん安心できるものだ。

 もう一つ、クスコの主要な通りの一つにアベニダ・エル・ソル(太陽通り)と云うのがあって、ここでは道の真中に車を駐車する。8年前はペルーに着いてすぐこのソル通りに来たもので、その印象が強烈でペルーではすべて道の真中に駐車するものと誤解してしまった。今回改めて見回すとどの道路も道の真中に駐車しているところなど無い。「ペルーではもう道の真中に駐車するのはやめたのですね」と言うとみんな怪訝な顔をする。「なんかおかしい」と思いながら偶然ソル通りに来ると、やはり道の真中に駐車している。しかも8年前はセンターラインを踏んで駐車していたのに今回はセンターラインを消して駐車スペースのラインがちゃんと書き込んである。道の真中に駐車するのはこの通りだけの習慣だったのだ。「なんでこの通りだけこんな風に駐車するの?」と聞くと、「実は昔この道の真中には川が流れていた。それをコンクリートで蓋をして暗渠にしてしまった。すると皆そのコンクリートの上に車を止めるようになった。そして全面アスファルトで舗装するようになってからも、道の真中に駐車する習慣が残ったんだ」とのこと。まるで民俗学の講義を聞くような話だ。

 プーノはコンビさえ走っていない。そのかわりタクシー、モトタクシーがうじゃうじゃ走っているのは先に述べた通り。
 モトタクシーとは三輪バイクに客席を付けてタクシーにしたもの。我々団塊の世代には“バタコ”と言えば通りが早い。三丁目の夕日で最近有名になってるダイハツ・ミゼットもバタコの一種だ。トリシクロと言うのもある。前二輪、後ろ一輪の足漕ぎ自転車のタクシーだ。  モトタクもトリシクも馬力に限りがある。モトタクはエンジンが息をついてワクサパタの丘にようあがらなんだし、トリシクは港からセントロへの緩い坂道を上がるのに運転手が降りて押したのに、もう少しのところで「勘弁してくれ」と泣きを入れられた。勿論約束通りの料金を支払ったが、現地の方はモトタク、トリシクの特性を充分理解して上手く利用しているようだった。

クスコの自動車修理工場。カブトムシの溜り場。




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