第一章 目的・道程
第二章 空港・飛行機
第三章 リマの風景・ビキさん一家
第四章 ナスカ、プキオ、そしてコラコラ
第五章 ペルーの交通事情
第六章 クスコ、慕わしい町
第七章 ペルーの博物館
第八章 プーノ、 ビルヘン・デ・ラ・カンデラリア
第九章 チチカカに浮かぶ島々
第十章 ゴーバック・トゥ・マイホーム
第十一章 ペルー雑感
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2月15日(同8日目)
フリアカにはタクシーで向かうことにした。二人ならバスとそれほど料金も違わない。ホテルを出てタクシーを捉まえるが、どれもこれも「そんなに遠くへ行くのは嫌だ」と言って乗車拒否をする。ホテルへ戻ってホテルから呼んでもらう。料金は50ソーレス、予定より少し安い。市内を出た当たりでチャランゴをホテルに置き忘れたことに気づき運転手に言って戻ってもらう。「ノープロブレマ」と快く戻ってくれる。市内を出ると一気に120キロで突っ走る。分離帯やガードレールがある訳ではない。リャマや羊をつれたオバちゃんがヒョコヒョコ歩いている。ヒヤヒヤしたがアッと言う間にフリアカに着いてしまった。約束の料金の他に「パラ・ミ・チャランゴ」と言って5ソーレスを渡すとえらく喜んでいた。
フリアカからリマへは直行便はない。全てアレキパ経由だ。クスコ→リマ間には直行便があるのにフリアカ→リマは何故直行便が無いのだろうと不思議に思っていたのだがふと思いついた。フリアカはプーノと同じく高度3800メートル。空気が希薄で飛行機のペイロードが落ちるのだ。そこで燃料を軽く積んでアレキパで補給する。そういえばボリビアのラ・パスでも必ずサンタ・クルスを経由してアメリカへ向かうということを聞いたことがある。さっき隣の席のオジちゃんに「アレキパでは機体を乗り換えるのか?」と聞いたところ「座ったまま」と教えてくれたが、それも納得がいった。
とっぷりと日が暮れた頃リマに着いた。先に書いた料金の高い空港タクシーに乗ってホテルへ向かう途中、“袖ヶ瀬自動車教習所”と大書されたマイクロバスを見かけた。何故か気になって帰国後調べたのだがそういう地名すら見当たらない。今もって気になっている。気にする理由など何もないのだが。
ホテルに着いた途端、猛烈な吐き気と頭痛が襲ってきた。暑さと湿気、空気のドロドロ感が不快だ。低地病、わずか3週間で体だけはすっかり高地の人に成り仰せたようだ。
2月16日
引き続き気分が優れない。チェックアウトぎりぎりまでベッドでごろごろするが、チェックアウト後は搭乗手続きの始まる夜8時までどうやって時間を潰すか思案する。体調が良ければもう一度ビキさんを訪ねたり、この機会にワカ・ワヤマルカの遺跡や博物館巡りをしたいところなのだがちょっと辛い。そうだ日本秘露友好会館へ行ってみよう。そこには柔道、剣道、空手の教室があると云うし日本書籍の図書館もあると云う。道衣を借りて久しぶりに一汗流せばすっきりするかも知れないし、逆に本でも読んでゆっくりすれば良い。
日秘会館の受付で荷物を預かって貰えないかと頼み込むと日系のおネェちゃんが「普段はそんなことはしないんだけど」と言いながら預かってくれた。仕種がすっかりペルー人だが、それが感じが良い。
まず移民資料館を見学する。日秘相互関係の展示や沖縄出身の何とか氏の顕彰展示などがあるが、私が目を引かれたのは当時の日用雑貨。箸、茶碗、唐傘、弁当箱、そういうものだ。特に、渡航する息子に母が渡したものであろう、お守り袋にはグッと来るものがあった。
図書館にはマンガ本が沢山あって私は赤塚不二男、妻はドラエモンを読んで夕方まで時間を潰した。
空港では散々待たされた挙げ句搭乗手続きが始まった途端、私達は列から外されてラン・ペルーの窓口へ行けと言われた。どういうことかを聞くと到着便が6時間も遅れたためAAでは東京行きに接続しなくなったのだと言う。そこでラン・ペルーのロサンゼルス行きに乗ってロサンゼルス発東京行きのAAに乗れとのことだ。ラン・ペルーには連絡してあるから大丈夫だと言うが物凄く不安。誰か一緒に付いてきてくれないかと言うと「OK」と荷物検査の主任を付けてくれた。ランペルーの窓口に行くと案の定
「そんな連絡は来ていないわ」と断られる。
主任が私達に代わって事情を説明するのだが
「ダメ、コンピューターが拒否しているわ。あなたのところがちゃんと手続きしてい ないのよ」と言われている。
主任がAAとランペルーの間を何度も往復して調整してくれるし、ランペルーの窓口嬢もコンピューター相手に何度も搭乗券発行をトライしてくれるのだが結果は上手く行かない。主任が一旦AA戻ろうと言うので行くとファンと云う日系のオペレーターが
「コンピューターに再入力したので絶対大丈夫。今度はあなた達だけで行ってくれ」
とのこと。行ってみるとやっぱりダメ。こんなことを4度繰り返した。最後は頭に来てAAの事務室に怒鳴り込んだ。するとファン・オペレーターが「申し訳ない。もう0時を過ぎたのでランペルー搭乗も間に合わない。ホテルを提供するので一日便を遅らせてくれ」と言う。やむを得ない。条件を飲んだ。
AA差し回しのタクシーで連れていかれたのが先に書いたロス・デルフィーネス。こんなことでもないと絶対に泊まらない。
2月17日
AAからの迎えの車は午後7時丁度に来た。空港に着くと昨日の検査主任が手を振って迎えてくれる。搭乗手続きが始まるとファン・オペレーターが来て「ご迷惑をおかけしました」と謝って搭乗券を発券してくれた。これで家に帰れる。搭乗ロビーに行くとまたマリエと出会った。「二度あることは三度あるってホントだね」などと極めてベタなことを言い合いながら再々会を喜ぶ。まだまだ色々なことがあるのだろうが(本当にこの後も色々あった)取り敢えずはこれで大丈夫だろう。
マイアミで入国審査官が
「入国目的は?」と聞くので
「アイム・ゴーイングバック・トゥ・マイホーム」と言うと
「トランジット・トゥ・ジャパンでいいよ」と言って笑った。
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