ミゲルのペルー再訪記

第七章 ペルーの博物館

第一章 目的・道程

第二章 空港・飛行機

第三章 リマの風景・ビキさん一家

第四章 ナスカ、プキオ、そしてコラコラ

第五章 ペルーの交通事情

第六章 クスコ、慕わしい町

第七章 ペルーの博物館

第八章 プーノ、 ビルヘン・デ・ラ・カンデラリア

第九章 チチカカに浮かぶ島々

第十章 ゴーバック・トゥ・マイホーム

第十一章 ペルー雑感

 リマの名も知れぬ博物館
 ペルー到着早々ヒメナとカティちゃんに案内されて見学に行ったのだが、時差ボケと車酔いで博物館の名前すら確かめられなかった。今思うと玄関先の佇まいや壁の色から国立人類学考古学博物館では無かったかと思う。とにかく収蔵品の量が半端ではない。図書館の収蔵庫と見紛うような丈の高い棚が部屋中びっしり並べてあって、またその棚にギッシリと土器や木製品が並べてあって、そのような部屋がまた幾つもある。とにかくその量に圧倒される。展示室にはミイラや人骨が発掘時の状態のまま展示されている。また黄金製品も人面型の壁飾りをはじめアクセサリー類など非常に多くの展示があったがさっと見ただけで早々に退室してしまった。前庭にカントゥータの赤い花が咲き乱れている。新鮮な空気が心地よかった。

 国立博物館
 さすがに国立博物館、非常に広いスペースに素晴らしい展示。インカ・プレインカの地域別・時代別の文化がスムースに頭に入るようになっている。大体1フロアーで一つの地域の文化が年代毎に展示されていて、そのようなフロアーが幾つもある。ここの目玉はやはり黄金の仮面らしく、照明を落とした金庫のような小部屋にスポットライトを当ててそれだけが展示してあった。赤外線センサーがしつらえてあるようだったので部屋の外から見物していたらガードマンが「入っていいよ」と声を掛けてくれた。しかし私にとってここで一番素晴らしかったものは年代物のケーナとサンポーニャの“音”。展示品の横にボタンがあって一回押すとケーナ二種類サンポーニャ二種類の音色が音階を追って流れてくる。ペンタトニックのようだが何処か外れている。実に微妙な音階だった。

 クスコのインカ博物館
 カテドラルのすぐ隣にある比較的規模の小さな博物館だが展示物はどれも一級品。と思う。レベルは国立博物館に負けていない。と思う。展示の順序もよく整理されていて分かりやすい。マチュピチュの模型は精巧にして正確。しかしここでの圧巻は中庭で行なわれている現地の人による織物の実演。いわゆる動態展示だ。三本の横木とシャトル、リャマの骨で作った爪だけで複雑ないわゆるアンデス模様を織り上げていく。すぐ横に腰を降ろして飽きずに一時間は見ていたのだが、その間に2センチほど織り進んだだけ。一本織り上げるのにどれぐらいの日にちが掛かるのだろう。
 ここでは織り上げた品物の販売もしている。いわゆる展示即売だ。ここで販売しているものはその辺で売っているものとはまるでレベルが違う。ポンチョ、チャレコ、ファハ、どれも素人目にも違いがはっきりと分かる素晴らしいものだ。この後プーノ、タキーレと土産物屋は何軒と無く見て廻って其処比処で素晴らしい民芸品を見たが、これだけのものには終にお目にかからなかった。おそらく彼女達は織るという行為だけで博物館からそれなりの報酬を受けているのだろう。だからじっくりと丁寧に本来の仕事が出来るのだ。しかしそれにしては高い。いや、それだから高いと言うべきか。どれも200〜300ドルはする。しかしそれだけの値打ちは充分ある。値切る気もしない。しかしその頃には私たちの金銭感覚の方がも狂ってしまっていた。大体6ソーレスも出せば日本では二千円くらいの値打ちの食事が出来る。と言うことは60ソーレスは2万円ぐらいの感覚。300ドルは900ソーレスだから30万円くらいと勘違いしてしまう。当時のレートで言うとたった3万6千円なのだが…。結局買う決心はつかなかった。

 特に名を秘す、とある博物館
 名を秘すのは今後私のような無理なお願いをする人間が増えると博物館に多大な迷惑を掛けることになるだろうからでそれ以外に理由はない。
 この博物館は非常に繊細な収蔵品で知られた博物館。ケーナ、サンポーニャの類も千五百年前から四百年くらい前までのものが揃っている。あるつてを頼って試奏をお願いしたところ「許可する」という返事が来た。出かけると展示室ではなく収蔵庫に案内された。展示室には現在ケーナ1本サンポーニャ1個だけが展示されておりそれ以外はすべてここにあるという。案内してくれた学芸員の方は所用があって立ち会えないとかで「自分も収蔵品の音色は聞いたことが無い」と非常に残念がっていた。警備員一人を残して自由に吹いていいと言うことだったが試奏に耐えそうなもの5管5個を選び吹いてみた。またこの警備員が良い人で展示室に人がいないときを見計らってそれも吹かせてくれた。ケーナは音の全くでないものが1本あったが音の出たものは我ながら良い音色がした。サンポーニャは4組音が出たが後は空気漏れがあり音が出なかった。音階を探った結果を記す。

 とここまで書いてきて大変なことが起こった。音を記録したMDが突然読み込み不能になってしまったのだ。妻が曲の切れ目にしるしを付ける作業をしているとノーファイルと表示されてウンともスンとも言わなくなった。ソニーもアカンで。

 今回は1週間もクスコにいたにもかかわらず遺跡や博物館には殆ど行かなかった。別に遺跡巡りや観光を軽視していた訳ではない。タンボマチャイ、プカプカラ、サクサイワマン、オリャクタイタンボ、そしてマチュピチュみんな懐かしい。できればもう一度見てみたかった。しかし学者でも研究者でもない私にとって、遺跡や遺物あるいは歴史などにに精通する必要はない。そこにそういうものがあり人々の暮らしがあったということを記憶に留めておくことが大切なのだ。いつかまた来よう、私に記憶と言うものが残っているうちに。



← 前ページにもどる   ↑ ページトップへ   次のページへ →






「ミゲルとポニタのペルーふたり旅2007」表紙に戻る

「ミゲルとポニタのフォルクローレ生活」ホームページに戻る