むこう川 2004


2004.1.8

暮れに2度ほど見かけた公共広告機構のCMで、BGMに流れるソロ・ギターが なんとなくアヤクーチョ風なのが、とても気になっていました。CMのことなので次は いつ見れるかもわからなかったのですが、このお正月に録画したビデオの中に たまたま入っていたので、よく聴いてみました。
ふむ、キーはBフラット・マイナーかなあ?ピアノでいうと 黒鍵をすべて使う音階。(なんでわざわざこんなキーでやるのかな?と思ったとき、 或るCDが頭をよぎりました。)リズムはカルナバル風。ギターの4弦を1音下げて 8フレットにカポタストをつけると、ベース音が開放弦となって弾きやすい・・・。 う〜む、これは・・・。 最初にテレビで見たときは、まさか本当にペルーのギターがテレビCMで流れるとは 思ってもなくて、“たまたまペルー風なクラシック・ギター曲”だろうと思ったけど、 「たまたま」こんなギターを思いつくかなあ?単純だけどチューニングを変えないと 弾きにくいベースや、この特徴的なメロディーとリズムを「たまたま」同時に。
・・・そして、夜。ほとんど無意識に、先ほど頭をよぎった“或るCD”(ペルー採録盤)を 聴いていたら、、、あら?この曲じゃん!まさしく同じ演奏が入っているではないの! あっさり解明!(というか、ずっと前から持ってるCDなのに、早く気づけよって感じ。(^o^;)  やはりペルーの曲でしたね。ああ、すっきり!
ほぼ同じアレンジなので、このCDをそのまま使ってるのかと思ったけど、ギターの音色が ぜんぜん違うし、よく聴いたらまるで違う演奏でした。 ペルー録音のほうは、高音がピュンピュン、低音はビリビリして、いかにもペルー味の 深く濃い演奏。CMのほうは、クラシック音楽的なやわらかい音で、アクセントを控えた やさしい仕上がり。リズム自体も微妙に異なります。それにしても、こういった曲が テレビCMで流れるとは(ラジオでもやってるらしい)、意外でした。


2004.1.9

中年老いやすく、ガクッとなりガタピシ。


2004.1.10

ロス・ムシス関東新年会。いつも関西からひとりで参加しているが、今年はみきやんとふたり
連れなので心強かった。東陽町の駅を降りてから、みきやんが、「この道、見覚えがある」と
いうので、安心してついていったら、“文化センター”に到着した。練習場は“教育センター”
なのに。と、ここで気がついたのだが、みきやんは“教育センター”に行くのは初めてなのだった。
“文化センター”には「アンデスのこだま」のときに来たことがあるから見覚えがあったのだった。
私は毎年関東新年会に出席していて今年で4回目だというのに、一度も行ったこともない人の
記憶(?)を頼ってついていってどうするというのか!?困ったものである。
こんな困ったふたりではあったが、帰りは高速バスのターミナルまで送ってもらったので、無事
帰ることができました。関東の皆様、本当にありがとうございました。なむなむ。


2004.1.15

意味もなく夜中に目が覚めた。と思ったら立派に朝だった。なんて暗い朝でしょ。
気温が「さむい」から「つめたい」に変わって何日経っただろうか。
町は冷蔵庫の中みたいに灰色。“あめときどきみぞれ”が降るし。
でも大丈夫。目を閉じてあったかい太陽の光をイメージしてみる。ニヤニヤ顔で。
すると、そんな馬鹿みたいな自分がおかしくて本当に笑ってしまうにょにゃはは〜。
根菜と鶏のおかゆに、味噌を少し入れたらあまりにおいしくて、うっとりしました。


2004.1.25

今日はレストラン・プカソンコで内輪の演奏会があった。
エル・シエロの有志3名が「ペルーの曲をやります。」と言ったとき、何の曲だろう?
と考えたけど、まったく見当がつかなかった。ところが、ケーナのPさんが「では、、」
と言ってマイクに1歩近づいたとき、或る曲のイントロのケーナが鮮やかに空耳に
聞こえた。その1〜2秒後、Pさんはまさにそのフレーズを吹き始めた。・・・・・・
家に帰ってから何気なくテレビを見たら、クイズ形式のバラエティーをやっていた。
「では、Bちゃんの解答を見てみましょう!」と司会者が言い、Bちゃんが「はいっ!」
と言ってフリップをひっくり返そうとした瞬間、問題も聞いてないのに彼女の解答が
わかっちゃった。ほう〜。 ・・・・・・しかしまあ、なんの役にも立たないのだった。


2004.1.27

先週、大寒波がやって来ました。今週になってもずっと寒いまんまです。
2〜3日だけ冗談で寒いんだろうと思っていたのに。。。
しかし瞬間湯沸かし器とガスストーブと密閉型住宅のおかげで、冬もずいぶん
シアワセになりました。子供の頃はマジで「毎年冬が来るのなら、もう死にたい!」
と思ったことすらありますが、生きていれば良いこともありますね。


2004.2.3

親知らずを抜いた。
まだ生えてもいない、地中深くに横たわって眠る歯を、たけのこのように掘り起こして
抜くのだった。(実際には「タケノコ掘り」という悠長なものではなく、 歯茎を切り開いて歯を何分割かに
ギュンギュン切ってはガリガリ抜き、 ギュンギュン切ってはガリガリ抜き、、、土木工事の如く・・・キャ〜)

顔に、口のところだけ穴のあいたシートをかぶせられ汗をかいたので、これは顔が
小さくなるかもしれないと思った。そして1時間近く口の端をグイグイ引っ張られていた
ものだから、口は(ますます)大きくなり、、、きっと今の私はジュリア・ロバーツそっくり
に違いない、、、と想像していたのだけれど、、、術後、鏡を見た私の顔は、頬から顎、
唇が脹れていて、なんとなくジミー大西だった。  FOTO


2004.2.15

たくさんの同好会があって、たくさんの愛好家がいて、あちこちで盛り上がっていて、
楽しそうな人々がいて、いろんな人がいて、、、、、素晴らしいことだよね。
けれど、そんな中で寂しく感じるときもある。「いいな」と感じる周波数は人それぞれ
微妙に違っていて、私はたいてい少数派。たとえば仮に私が自分の好きな音楽を
いい感じに演奏できるようになったとしても、喜んでくれる人はいったい世界に何人
いるんだろう? 昔から、どこに行っても(どのジャンルにおいても)大多数の中に
溶け込めないことが多い。(もちろん心底楽しめる集まりも多くて感謝してますが。)
私はいい歳をして、いまだに自分から人の輪に入っていくのが苦手だったりするし、
そんな人間が人をまとめられるタイプであるはずがないのは言うまでもない。
(なにしろ小学生の時には、一度学級委員に選ばれたけれど、泣いて嫌がって、
再選挙に持ち込み、見事落選を果たした!という最悪な実績もあるほど・・・)
で、なんで、大人数ムシスのリーダーとかやってるんだろうね?困ったもんだよ。


2004.2.17

何もできず、動けずにいる。やるべきことはたくさんあるのに。胸が痛くて息苦しい。
部屋にあるたくさんの楽器やCDも、すべて無意味に思えてくる。
無駄。何の役にも立たないよ。こんな私が持ち主では。。。
私は“求めてばっかりで、求められてはいないんだ。”という現実を思い知る。


2004.2.18

朝、目が覚めたら涙が流れていた。悲しい夢を見たわけでもないのに。


2004.2.19

ココナッツカレーを食べている私の足元を、大きな猫がゆうゆうと
通り抜けてゆく。 ・・・ ゆうゆうと歩くねこ、そんな人に私はなりたい。


2004.2.20

たとえば人生において、果てしなく低迷状態に陥っていきそうに思えるようなときも、 ギターの腕がいつも停滞と上昇を繰り返してきたことなど思うと、そうそう落ちて行く もんではないって気がしてくるよ。いつもね、もう弾けないだろうなあって思いながら 数年ぶりに楽器を触わった時って、「あれ?昔より弾けるじゃん!?」と驚いたりする。 そんなふうに忘れてる間にも蒔いた種は育っているものだから、気楽にのほほんと 生きていてもなんとかなるのかもしれない、ね、きっと。 ともかく、命があるうちに 登れる山の数なんて限られているんだろうから、いそがない、けど、いつまでも 寝転がってる場合でもない・・・

痛みを忘れてしまったら致命的。からだじゅうにクギを刺しておかなければ。


2004.2.24

楽譜を書くのはなかなか大変な作業だ。はんぱだらけのペルーワイノをキレイに書こうなどと 思ったら、書いては消し、書いては消し、とてつもなく時間がかかる。でもそれをやってる時間は 充実感があって好き。何もかも忘れて没頭できるから。。。好きな曲をどんどん書く。 曲の構成がよく理解できて、なるほど〜と感心する。伝統曲の形式、メロディーやリズムの 特徴もよくわかる。五線譜ノートが大好きな曲でどんどん膨らんでいくのは、とても幸せ。
だけど、自分の書いた楽譜を人に渡すのはあまり好きじゃない。自分でとった大学の講義ノートを 回すのに似ている。ケチで見せたくないというのでは決してなく、なんとなく恥ずかしいから。 「私の書いたものを信じて、テストで失敗しても知らないよ〜、そこまで責任持てないからね〜。」 という気持ち。「これさえ覚えれば、テストもバッチリ!」なんて参考書みたいなノートは しょせん書けないし。
まあ似たような理由で、私は人の書いた楽譜や売ってる楽譜もあまり信用しない。信用しない というと言い方がおかしいけど、それを見ただけでフォルクローレが再現できる楽譜など、 ほぼ存在しないと思うから。(というか、そんなもんあってもコワイし。)
そして、私が自分の書いた楽譜を見ながら演奏することは、滅多にない。(たまにはあるが。) たいていあれだけ苦労して書いてたら、書いてるうちに覚えてしまうですな。


2004.2.26

ジェイム・ガルディアという人が主題曲を担当している日本映画があるというので、 レンタル・ビデオを探してみた。タイトルは『絆 - きずな -』(1998年)。 ビデオ屋ではすぐに見つかった。じつは、スペイン語の検索サイトでサーフィンしてたら 日本語サイトに舞い戻ってこの映画にぶつかったのだが、、、と言えばもうお気づきの方は多い と思うけど、私はペルーのチャランギスタ、JAIME GUARDIA (ハイメ・グァルディア)を 検索キーワードに入れたのだった。1998年というと私はまだ フォルクローレをぜんぜん聴いてなくて、この映画の存在も知らなかったし、もしかすると アメリカ人とかのジェイム・ガルディアさんが本当にいるのか?とは思ったけど、、、 果たして、ペルー人のハイメ・グァルディアの歌とチャランゴが主題曲として使われていた。
しかしヤクザ映画でなぜペルー音楽なのか?(いきなりパリオニ〜タ、陽気なWAYLLACHA。歌詞は ケチュア語だし。笑。)  劇中で、主役の役所広司さんの妹はクラシックのバイオリニストだが、う〜ん、音楽つながりに しては遠い、遠すぎる(笑)! が、ふたりの子供時代回想シーンの父親役が田中健さん なのだった!そして・・・、ふふふっ、(^m^)  これから見る人のためにこれ以上は言わない! 全体的にはハードボイルドで、泣ける映画。 役所広司さんがなかなかカッコイイのだが、フォルクローレや南米色の映画ではまったくありません のでその手の期待はしないように・・・(^^)
ところで、ハイメ・グァルディアの歌とチャランゴに、ケーナの音がかぶっているんだが、 私の持ってるCDではほとんど聞こえないくらいの控えめなギターが伴奏しているだけなので、 もともとそういうバージョンがあったのかどうか気になるところ。これは後から重ねているのか? どうも、ペルー人が吹いているとは思いにくいケーナという気がするが?では誰が 吹いているのか?田中健さんて感じもしないし、もしかして役所さん?クレジットを見ると、 「ケーナ演奏指導:瀬木貴将」の名があるが・・・。
今年1月8日の日記に書いた、公共広告機構のCMにも使われたコルカのカーニバル曲、 『VILCAS PLAZAPI』も、1998年の日本映画、『愛を乞うひと』で使われていたそうで、 そちらも一度見てみたいと思う。同じ年代にペルー音楽の起用、、、何か関連はあるのだろうか?


2004.2.27

下記映画(『絆』)に関する記事を読んでいたら、『妹(バイオリン奏者)のコンサートで 思い出の曲「パリオニータ」が演奏され涙する・・・』とあり、、、 え?そんなシーンあったっけ?と、慌ててもう一度ビデオをチェックした。なんと・・・!愕然! そういえば役所広司がお墓の前で吹いてたケーナもこの曲だ。げろげろ(失礼)。 だけど私にはどうしても「Parionita」に聞こえましぇ〜ん。いくらスローテンポで演奏しても、 こうは有り得なし。WAYLLACHAの片鱗もなし。「荒城の月」をテクノクンビア調で演奏するより ひどい!(断言) 編曲の域を越えて完全に別の曲と成りはてり。(T_T)


2004.2.28

ううむ。いろいろな事実が明らかになるにつれ、何人かのクラシック音楽家に、 不信感というか嫌悪感というか、憎悪に近いものを感じるようになってしまった・・・。

べつにいくらでも自分のオリジナルな作品を創ればいいやんかぁ。音楽なんて 無限なんだからさぁ。 どうしてもどこかからモチーフを借りて来なきゃならないときは、オリジナルに 対して最低の敬意は払って欲しいよ。だいたい、意味も分かってない言葉を使う必然性なんか 全然ないんだよ、自分の言葉で喋ればいいんだよ。なんとなくカッコイイというだけの 理由でかなり恥ずかしい間違った英語を並べていたひと昔前の日本のポップスみたいだよ? なぜ飾るの?ありのままを出せばいいのに。どうせ心に響くのは真実だけなのに。 大多数を騙せてもたったひとりに見抜かれることを恥としないのがプロ?


2004.3.1

映画、小説、絵画、音楽、、、すべて見方考え方はひととおりではなく
「ちゃんちゃらおかしいこと」にポロポロ涙を流してしまう。


2004.3.2

私は病気だ。その変な8等分の音楽をやめてくれ。


2004.3.3

「あなたなしでは生きていけない」と、テレビで若い女が叫んでいたので、
前に見たキューバ映画を思い出した。
年老いたその女は悲しい目をして静かに歌っていた。
「あなたに会う前だって生きてきたのよ...生きていけるわあなたなしでも」

・・・それが本当だったら誰も麻薬中毒とかにもならないだろうね。


2004.3.4

いえいえ、あなたの仕事は完璧です。おそらくいろんな制限の枠の中で依頼者が求める 用途、目的、要求に応えるものを作らねばならないのでしょう。その中で 職人的に良い仕事がなされているのを見ると、さすがだなあと感心します。 これはまったく嫌味ではなく、また、私がひよったわけでもなく、その見地からは、 間違いなく成功していると思うのです。
そして、とるにたらない私の落胆はぜんぜん別のところにあるのです。


2004.3.5

親知らずを抜いた跡がボッカと穴のあいたままだから、
タピオカ入りココナッツミルクを飲むときは気をつけないとね。
アコヤ貝になってしまわないように。


2004.3.6

今朝見た夢。女友達がふたり、私の家(なぜか一人暮らし)に遊びに来た。 ふたりは私の友人だが付き合った時代もフィールドも住んでる地方も別で、 彼女達同士は面識もないはずなのに、いつのまにか仲良しになっていて (まったく女ってやつは!)、私の冷蔵庫にロクな物が入っていないとかヒソヒソ笑いながら 夕食を作り始める。私ははだしでベランダに出て街を眺める。夕日に赤く染まった街。 差し出されたのはとっても不味そうなスパゲティ(水っぽいナポリタン風)。 スパゲティなら私が得意なのに。 きっと私のこと「料理なんかできない女」って思ってるんだね。いいけどさ。 悲しくなった私は部屋の隅に座ってひとりでビールを飲む。あっというまに真っ赤っか。 なんだかやな気分。心が迷宮入り。


2004.3.7

今読んでいる本と、それに関するひとりごと。 (書評どころか、感想文ですらない。)

『ジャンキー』(ウィリアム・バロウズ著・鮎川信夫訳/河出文庫)
ジャンキーが書いたとは思えない冷静で淡々としてなおかつ陰鬱でない クールなジャンキー本。
日本語で『回復不能麻薬常用者の告白』などというと非常におどろおどろしいのだけど。
若い頃に単行本で見つけたときは、高くて買えなかった(というか文庫本しか買わない主義 だった)
のだが、今思えばあの頃に読まなくて幸いだったかも。 (なにしろ麻薬を完全肯定しているし。)
しかし、今この本に出会ったのは悪いことではなかった。私は麻薬中毒者ではないけれど、知らない
うちに何かに依存してしまっていることはよくある。依存しているものが手に入らないときの対処法や、
日頃の自己抑制の在り方について、学ぶところのある本だと思いました。


『性同一性障害』(吉永みち子著/集英社新書)
“性同一性障害”について正しく理解したかったので、この本は多いに 役立ちました。
ところで本筋から外れますが、性転換という不可逆的な施術を受ける前には、ガイドラインに のっとって
各分野の専門家が入念な生活実態調査やカウンセリングを行い、治療が適正であるかどうか チェック
するのはもちろん、「リアルライフテスト」という術後の生活シミュレーションなどを通して、 あとで本人が
後悔することのないよう十分に確認がとられるということなのですが、このような方法は 人生のあらゆる
場面において、もっと実践されるべきだと思いました。私たちはつねに頭の中に公正な委員会を 設置し、
ものごとを冷静に客観的に分析、判断し、あらゆる予測をし、自己の行動を制御せねばなりません。
…って、こんなことわざわざ肝に銘じなあかんのは、無制御人間アホボケカスッの私だけか。



2004.3.8

このところ、バロウズ言うところの“麻薬切れの病気”みたいになっちゃってた。
もちろん麻薬はやってないけど、形態としてよく似た状況だったような・・・。
長い間ナチュラル・ハイが続いていたからだろうかー。

バロウズによると、“ジャンキーは生涯の半分を待って過ごす。”

なるほどね。しーかし人間が待ってもいいものは、たとえば「午後3時」とか
「日没」とか、確実に毎日やって来るものだけだ。いつ来るのか?あるいは
来るのか来ないのかさえわからないようなものに心を奪われたらだめだ。

まあ、だめなんだけど、ね。
 “一度ジャンキーになったら永遠にジャンキーだ。” そゆうこと。

気に入った一節、
 “「マニャーナ」の意味は、「星のめぐりがよくなるまで待ってろ」ということだ。”
ついあせってしまう自分に言い聞かせるセリフとして、有効。


2004.3.10

“フォルクローレ主題曲つながり”ということで2本の映画(ビデオ)を借りてきた。

『橋のない川』(1992年/ガレリア・西友)
エルネスト・カブールが音楽を担当したことでフォルクローレ・ファンからも多いに注目 されたであろう映画。『絆』のハイメ・ガルディアの軽い雰囲気の歌&チャランゴとは 打って変わって、超絶チャランゴに力強いサンポーニャとケーナも加わって、誰がどこから 聴いてもフォルクローレ!という強い印象の残る曲が全編にわたって何曲も流れる。 明治〜大正の奈良県の農村が舞台だが、不思議と違和感はない。 それはそうと、物語のテーマは部落差別問題なのだが、それよりも子供達の行儀の良さや 大人らしさ、人と人とのつながりの濃厚さに愕然とし、ほんの数十年のうちに、 この国は何を手に入れて何を失ったのだろう?と考えてしまった。 (作品の意図から外れたところで感心してすみません、て感じですが。)

『愛を乞うひと』(1998年/東宝)
主題曲の原曲はペルーのカルナバル曲。物語は現在のおだやかな母娘の旅と、母の壮絶な少女期の回想が 平行して進む。回想シーンでは壮絶な少女虐待の場面が続く。B.G.M.のギターは、雨の朝に 見る悲しい夢のようなメランコリックさ。この映画を見ながら「あ!ペルーのギターだ!」などと 思う人はほとんどいないだろう。誰でも、幼い少女が実母に顔が変わるまで殴られるシーンを 見ながら、B.G.M.を冷静に分析的に聴く気分にはなりにくいだろうし、また、ギターの奏法が ペルー独特の抑揚を押さえ気味にしてフォルクローレの印象を消しているせいもある。 まあ、南米と何の関係もないこの映画(舞台は日本と台湾)にペルー風味など必要ないのだから それでいいんだろうけど。(単に素材としてこの曲を用いたってことですね。)

ついでに、2004.2.26に書いた『絆』(1998年/東宝)に関する追記。
ハイメ・ガルディアの「Parionita」が主題曲として、また物語中でもキー・ソングとして 使われた映画だが、原作の小説(「海は涸いていた」白川道著)では、その役目を果たすのは 「ショーソンのポエム」というクラシック曲で、ケーナやケーナに準ずる楽器も特に出てこない のだった。どう考えてもその方が自然なんだけど、原作に主人公が憧れを抱く「海の向こうの国」 としてペルーという国名が何度も出てくるので、その辺から発想されたイメージなんだろうな。 (しかし原作は主人公のペルーへの執着ぶりがしつこいほど描かれているわりに、ペルーに 関する具体的なイメージの記述は皆無だ。何かにつけかなり緻密な描写や説明がなされている 分厚い小説だけに不思議な気すらするが、まあ中途半端なペルーのイメージを描かれても 却って嫌だから、良しとしよう。)


2004.3.19

朝、玄関のドアを開けた瞬間、後悔した。寒いじゃん…! もう着替えなおす時間もなく、
なかばヤケクソな気分でコートの襟も合わさずに駅まで飛ばす。窓越しには暖かそうに
見えたのにな。桜のつぼみの先に薄いピンク色が見えるものの、春はまだ遠い。


2004.3.20

簡素な造りのペルー製小型アルパにアイリッシュハープの弦を代用して張っていたのだが、 もともと張ってあった弦に比べてアイリッシュハープの弦は太くてうまく巻きつかず、 すぐ弛んだり、はずれたりする。鍵を使って回す鉄製の糸巻きは固くて肉体労働。しかも 何度やってもさっき合わせたばかりの弦がもう狂っている。 別の弦に張り替えたほうがいいと思いつつも、弦代も馬鹿にならないけど、それ以上に、ひととおり 弦を本体の穴に通すだけで大変な時間と労力がかかることにうんざりしてしまった。
問題なのは太すぎるナイロン弦の中音域だけだから、なんとかならないかとミゲルが頑張った。 弦を絞めていくと全体でネックを引っ張るのだから多少たわんで最初に合わせた弦の音程が 変わっても当然だ、根気よくやるしかないのだ、という。「ピシ」とか「メキ」とかいう音を 聞いたけど、それでビビッていたんではいつまでたっても合わせられない、とミゲルが力を込めた。 と、特別にいやな音がして、見ると、底板がベキベキに割れて支柱がはずれていた!
支柱は底板に組ませてあるわけでも台座に乗っているわけでもなく、それどころか何の 引っ掛かりもなく、ただ本体に斜めにもたせかけて木ネジ1本で留めてあるだけだった。 それを32本の弦でグイグイ引っ張るのだから、構造的に持ちこたえるのは無理というもので、 直径8mmぐらいもある太い木ネジが「へ」の字に曲がって、底板のラワンもグサグサに裂けていた。 こんなに力のかかるところに柔らかいラワン材というのもそもそも無理な話。 (だからこそもとは釣り糸のような細い弦を張ってあったんだろうけど。)
しばらく途方に暮れたけど気を取り直し、本体に台座となる出っ張りを埋め込んで、 そこに支柱を組ませてネジで留めるというように、構造改革的補強を施しつつ修理することに 丸1日を費やした。
深夜、なんとか形になり、しかも最初よりずっとしっかりした造りになり、楽器として蘇える日が 近づいた気がした。その瞬間、頭の中にアルパの音色が響いた。
目の細いコンドル mi condorcito chinito, mi condorcito chinito
右の翼でチャランゴを、左の翼でギターを奏でるが如く
その音色は山の向こうにも届くだろう
ひとりぼっちでも空を舞うだろう

ひとりで弾いてもメロディとベースがそれぞれ自立していて、ひとりで弾くからそれらが 絶妙のタイミングで共鳴、呼応し合える・・・というところがいい。

2004.3.21

いつもいつでも音楽に救われてきた。そのことをよく知っているのに。
今すぐにだって、沈んだ気分から立ち直らせてくれるとわかっていたのに。
なぜいつまでもくだらないテレビを見て時間を潰しているのだろう。
惹きつけられて買った本も3ページ読んで積み上げたまま。
わかっている。心を揺さぶられるのが怖いからだ。


2004.3.22

今朝見た夢・・・チャランゴのかっこいい曲を聴いている。そのCDは
どれもいい曲で、こりゃいいものを見つけたなあ〜!と興奮している。
・・・当然ながら、目を覚ましてからどんな曲だったかは思い出せない。
そこんところが、タルティーニ(@悪魔のトリル)とは違うのだなあ。
(いや、タルティーニと違うのは、“そこんところ”だけではないと思うが。)


2004.3.23

今朝見た夢・・・夢の中の私が、「さっきの夢は凄かった!」と話している。 その夢というのは、、、巨大なダムのような橋の上で路線バスが到着を告げたのだが、 本当の目的地である地下鉄の駅は何百メートルも下の川底に入口がある。ここは同じ駅名だが 私鉄の駅前だ。間違いに気づいた運転手は、ほとんど螺旋階段のような坂道へバスを ジェットコースターのように急下降させた。ブレーキは効いていない!だめだ! カーブを曲がりきれない!と思ったが、無事に坂下で停止した。。。 その夢の話を夢の中の私がしているわけだが、何も言わないうちから皆が「ほんとに怖かった」 「びっくりしたよねえ」と言うので、もしかしたら皆で同じ夢を見ていたの?それって もの凄く珍しいことじゃない?と驚いた。 違う違う、皆いっしょにバスに乗ってたじゃないの、夢じゃなくて現実に。 現実?だってこれは夢でしょ?だからこそかすり傷も負っていないのだし。 そうか、バスに乗っていたのは現実(ただし夢の中の)で、今こうして話してる私が まだ夢の中なんだ、と気づく。そして、そんな夢の中の私を見ているもうひとりの私が、 ああ朝か、と思う。


2004.3.25

先日、レストランに予約の電話を入れたときのこと。
「本日6時から○名様のご予約ですね。お名前のほう、よろしかったですか?
は? よろしいもよろしくないも、予約なんだから名前はズバと聞いてくださらんと
困ると思うのじゃが?面倒くさい世の中になったものじゃなあ。


2004.3.26

のんびりしたスーパーのレジ係はいやだ。
ブックカバーの折り方がブヨついた本屋の店員はいやだ。
街には不安と緊張と、どうしようもない渇望がうずまいている。
喜劇的犯罪は身のほど知らずな欲望から生まれるのかもしれないが、
毎日報道される無名の人たちの小さな無数の惨劇のもととなる不幸は、
根拠のない不安や、実体のない渇望によって培養されている。
「癒し」なんて生やさしいものじゃなく、“抗鬱系グッズ”の開発を急げ!


2004.4.6

お気に入りCDのコーナーを作ろうかな〜とか言って何年経ったかしらないが、 久々にCD紹介です。

近頃の超お気に入りCD(ぶっとび編)
『LOS PACHACHACAS DE CUTERVO』(E.I.R.L, PERU)
これは凄いの一言です。「絶対音感」を持ってる人に聴いてもらいたいです。 そして採譜のプロに楽譜を書いてもらいたいものです。
弦楽器なしで、太鼓、トライアングル、ギロのリズムに乗って、歌と笛が交互に 繰り返します。カハマルカ特有の陽気なリズムがなぜか不吉に聞こえます。 そして呪いのように頭の中でエンドレスに響き続けます。 (このCD、71分21秒もあるのら〜) なんだか不気味なハーモニーなんだけど、 確固たる自信に満ちた歌声は、じつにカッコイイ。ジャケット写真の不敵な面構えも素敵です。 左手に持っているのは太鼓のばちのように見えますが、細い縦笛 (片手で吹ける指穴の少ないやつ)です。

『Lo mejor del...TROVADOR ANDINO』(SONO RADIO, PERU)
何がそんなに嬉しいのかわからないが、聴いてる方まで笑ってしまう脱力のワイノ 弾き語り集。
一見ただの酔っ払いのようですが、じつは本当にただの酔っ払いかもしれません。 しかし軽快なギターといい、ふざけたようなボーカルといい、 単調になりがちなワイノをなかなか味わい深く聴かせてくれます。 本当は上手いのにそれを感じさせないというような、 まるで超一流のお笑い芸人の如くツボを押さえた歌・・・・・・ とか言うと大袈裟すぎて、このオッチャンにはまったく不似合いですな、ィヤハハ〜!


2004.4.10

『京都土曜サロン15周年記念・音楽会&パーティー』にお邪魔してきました。
第一部は山科駅にてケーナ教室、歌唱講座の発表会。
第二部は場所を変えて、飲み食いしながらの演奏パーティーでした。
“マルビビル”も3曲やらせていただきました。じつはミゲルは原因不明の病気で
かれこれ2週間入院しているのですが、外出許可をもらっての演奏でした。
先輩方の素晴らしい演奏もたくさん聴けて和気あいあいと楽しい集いでした。


2004.4.23

今朝、、、友人や親戚がいる席で、キレて料理の並んだお膳をひっくり返す、
という夢を見た。 「やっちゃった!もうオシマイだ!」と思い、ヤケになって
大泣きするのだった。。。 (^_^;(^_^;(^_^;

誰も何も言ってないんだって。そういうことならそれでもいいけど。
何もなかったんだって。きみがそういうんならそうなんだろう。。。というか、
これ以上言うと私が精神病院に入れられるんだろうから、もう言わない。

朝晩と昼間の気温差が、まるで砂漠のよう。(北陸は雪だそうで)
日本には四季がある、なんて嘘だ。冬と夏があるだけ。(春と秋は単なるハザマ)
日本国民の間に“イジメ体質”が蔓延ってる感じがして、ゾッとする今日この頃。
(私のことを嫌いな人もたくさんいるんだろうな。もうそんなことでは泣かない)


2004.4.24

その日、私は話したかった。聞いてほしいことがあった。
私がおかしなことを言ったら、すかさず突っ込んで欲しかった。
でも、誰も本当のことは言わないし、内面を曝け出したらそれだけで人間失格。
私は躊躇した。誰もが、話題は“今日の天気”で十分だと思っているらしかった。
“オモシロイコトを言わない私”は何の役にも立たないようだから、ごみ箱に入る。


2004.4.25

お風呂に入っていたら、奥の部屋からかすかに音楽が聴こえてきた。
不覚にも「EL CONDOR PASA」で泣いてしまった。・・・ああ、重症。

誰の演奏だったのか確かめに行くと、ミゲルが LOS INCAS のLPを間違って
45回転でかけていたことが判明。。間近で聴くとアホのような音色。。それで
感動していた私はいったい・・・? 現実というのは、このようなものです。。
・・・ああ、苦笑。


2004.4.27

5階の窓から見る今日の雨、
ざああああああああああと、垂直に落下する水水水の連続連続連続。

この雨で「燃えないゴミ」になってしまった私は収集車にも置き去られる。

アスファルトから見る今日の雨、
オカルト映画で見たような、鉄の矢が、空から無数に降ってくる。アーメン。


2004.4.30

女王蜂は毎日2000個の卵を産むんだって。私は毎日食べて寝るだけのケムシだ。
そう、私を虫に喩えるならば、ケムシ以外の何物でもない。ケムシの歌で有名なのは
「泣き虫、ケムシ、はさんで捨てろ」である。これまた私にピッタリではないか。

不幸も幸福も頭の中にあるものだから、目の前の出来事に関係なく、人は泣いたり
笑ったりできるのです。だから貴方はいつだって(事実がどうであれ)、たやすく私を
幸福にできるのです。もちろん、どん底に突き落とすことだって。

単純な私は、ほんのちょっとのご褒美があれば、るんるんと頑張っちゃう♪ けど、
がんばってがんばって、最後に出したS.O.S.が暗闇に消えてしまったようなときは、
毎日毎夜、泣き暮らす(ケムシ)というありさまです。


2004.5.2

TOYO草薙さんのチャランゴ・ライブに行ってきました。第1部はチャランゴ・ソロでした。
“咳払いのできない曲”の最中でお腹をグウと鳴らした私は人間失格です。
第2部はギター伴奏つきでした。どこかで見たよな楽器屋さんが、いつもと違う顔で(?)
ギターを弾いておられました。(^o^) 緊張感と楽しさのある鬼ごっこが良かったです。
打ち上げにも参加させていただきましたが、ほとんどがチャランゴの生徒さんだったので
最初は緊張してました。けど最後は歌って踊って人のサンポーニャまで吹いてたような。
そして帰りの電車の乗り換え駅あたりでガンガンに酔いが回って正体不明となりました。


2004.5.5

某イベントのチラシに「オルローのカーニバル(ボリビア舞踊)」と書いてあったので、
昨年秋に雨で中止になって見れなかった40人の舞踊団だ!と思って、大きな期待と
大きなカメラを持って出かけた。しかし、2人組がモレナダを1曲踊って終わりだった。
ん〜〜〜〜、たしかに、40人とは書いてなかったもんな〜。ブスブス、不完全燃焼。
まあ、退屈な連休中に、フォルクローレ仲間の顔が見れたことで良しとしよう。


2004.5.13

 雨のトルティー屋 (enca japonesa)

外は冷たい雨だけど 灼熱地獄のカマの中
きょうも焼きますトルティーヤ ああ 雨のトルティー屋
ヤケド覚悟のこの仕事 ギターのタコも泣いている
あ〜あ〜ここは○○、 ○○○四丁目〜(わわわわ〜)


2004.5.17

昨日は関西最大のフォルクローレ・イベント、三木山フォルクローレ音楽祭でした。
前夜からずっと激しい雨で野外ステージは中止でしたが、そんなことでフォルクローレ
マニアの気分が盛り下がるはずもなく、一般のお客さんも意外と来てくださり、とても
楽しいイベントでした。ロス・ムシスの出番は夕方5時前でしたが、なにしろこの日しか
集まれないものだから、先着隊は朝9時から練習開始。その後メンバーが到着する
たびに練習再開で、かなりの回数弾きまくり!だったのに本番で間違えた私。(T_T)
前日はカントゥフォルクローレ連酩と前夜祭で深夜まで遊んでそのまま大阪に宿泊、
朝6時起きで三木市に出発。帰る頃には体はクタクタ〜でしたが、心は元気でした。
失敗や心残りはいっぱいあるけども、ほぼかすんでしまうほど、オーライ、です。


2004.5.22

マルビビール(MALVIVIR=悲惨な生活をする)というグループで毎週あそんでいます。
グループ名は、西語辞書をパサッと開いたときに目についた単語で、大阪駅前にある
ビルの名前に似ていて覚えやすかったから決めました。しかし、ペルー人の友人から
「悪い名前だと悪いことが起こる。変えた方がいいね。」と真顔で言われ、ビビる私たち
でした。最近メンバーが次々と不幸に見舞われるので、やはり名前が良くないのかも?
ということで、新しい名前を考え中です。いまのところ、新マルビビール(SIN MALVIVIR
=悲惨な生活をすることなく)というのが、有力候補です。

ところで、マルビビールのメンバーは全員ロス・ムシスにも所属しているので、1月から
5月半ばの間は、ムシスの曲ばかり練習しています。月1回のムシス練習だけでは、
皆についていけない人もおり、いわば、ムシスの落ちこぼれ補習組です。
さて本日は、三木山音楽祭でのムシスの演奏も無事終わり、久々にマルビビールの
レパートリーに戻りました。ムシスで演奏した曲と同じ地方の似た感じの曲があって、
このところどうしても途中から混線してしまってたのですが、いざ立ち返りますと、何も
考えなくても完璧に長い歌詞も間違わずに歌っているではありませんか。不思議です。
もう、何ヶ月ぶりかに弾く曲も、完全に思考停止・眼球運動停止状態で、手が勝手に
弾いているのです。壁一面の大きなタペストリーを見るともなく見ながら、長い繰り返し
の曲を自動演奏していると、刺繍されたウロス島の人々や、何かよくわからない動物や、
さまざまな幾何学模様が、ぐにゃぐにゃ揺れて不思議な心地良さでした。


2004.5.27

私の周囲の人々はみんな自立していて、私を困らせるようなことはしない。
私はそれが、ほんのちょっと、さみしい。


2004.5.27

このところ、夜が不眠症気味で、起床時間に熟睡してしまう。
毎日夢を見る。私は夢を見るのが大好きだ。こわい夢ですら見たい。
真昼がすっかり「夏」なだけに、夕方の涼しさがもの悲しい。
コンビニの酒はどれも甘ったるそう。透明な青。空缶、
夜空に、とばして。あっかーん!


2004.5.27

おねいさん、おねいさん、連続投稿は禁止ですぜ。


2004.5.27

そろそろ旅に出ます。
いや、まあ、その、つつましやかに読書などして。頭の中でどこかへ、ね。


2004.6.3

矛盾だらけと言われても、それが真実。誰の心もひとつだけしかないのです。


2004.6.4

UVカットのサングラスがとても怪しいので、いっそイカレついでに
花柄シャツと黄色いズボンで出勤する。

繁華街から徒歩ほんの10分で、昭和40年代風の朽ちた長屋の路地があり、
ペンキの剥げた木製の牛乳箱やら、30センチの軒下に並べられた植木など。
この町に溶けたい。私は「居場所」なんかなくてもいい。溶けてしまいたい。
皆さまの記憶の中に同化して、実態を無くしてしまいたいと思うのです。

いろいろあるけど平気な顔して歩いていよう。
空を見上げて思う・・・私は水とか空気とかになりたい。


2004.6.5

いちおうアンデスマニア(?)としては、試しておかねばならんだろうと思い、 某「アンデス産のマカ、ローズヒップのリキュール」というやつを飲んでみた。 (駅構内コンビニエンスストアにて購入。275ml、580円。)
梅酒と白ワインを足して朝鮮人参エキスを滴らしたような(?)・・・味自体はそう悪くないけど、 個人的感想としては、「甘すぎて飲めにゃい!」でした。ま、リキュールってそんなものか。 レモンでも絞ってうまくカクテルすればいいんだろうけど。しかし甘いカクテルって、 お店で出されたら「おいし!」て思うけど、家でわざわざつくろうと思わんな。手間はかかるし 失敗したら不味いし、おいしくできてもどうせそんな甘いのたくさん飲めないし。 説明書には「ロックまたは水割りで」とあったけど、水で薄めたりしちゃせっかくの 16%が意味ないじゃん!
純粋なものを求めれば最終的には工業用アルコールかなあ、と思う今日この頃。もっとも、 薬でも、精製されたカプセル剤よりハーブティーなんかの方が低成分ではあっても気分的に 効くことがあるくらいだから、あんまり味も素っ気もないのも、どうか。


2004.6.6

吉田徳明さんのチャランゴライブに行った。(@アマウタ文化倶楽部)
あいかわらず1時間半飽きさせない話術はさすが。
けれど、私にとってチャランゴという楽器が遠い存在になってしまったという感覚は
このあいだのTOYO草薙さんのライブでも同じだった・・・。私側の問題なんだけど。


2004.6.7

私はどこにもないこの空間に言葉を散りばめるだけ。
毎日あくせくアクセスする必要はなく
ジェリー・ガルシアでも聴きながら、きぃ、と椅子の背にもたれて
ときどき空を見上げるときみたいに、ふと・・・


2004.6.8

“アンデス産のマカ、ローズヒップのリキュール”は、レモン水で割って
ウォッカをドボドボ入れたら、おいしかった。・・・しーかし酔わんな。


2004.6.9

つつがなく虫の日(6月4日)も過ぎ、ムシムシした梅雨に入りました。
半年後の誕生日には十の位も上がろうかって勢いで歳をとる毎日です。
ホームページ開設時の明るさはどこに行ったのか、愚痴尽くしのこの頃。
20代なら、情緒不安定になっても、「いつまで思春期やってんだか〜!」って
笑われるくらいでしょうけど、今や、「更年期ですか?」と心配される気配すら。
「要介護老人」と書こうとして変換したらば、「八日以後老人」とか出るし。
あーもう、今日は九日ですよ。すでに中年時代も終わってますか。あーあ。

このところ、10年前、20年前、25年前のことなどが、次々と頭によみがえる。
八日以後老人になってしまったせいかもしれないし、たまたまつけたラジオで
80年代ニューミュージック特集をやってたり、本屋で懐かしい某パンク歌手氏の
小説が平積みになっているのを見たりしたせいかもしれないが。

思い出すのは、たとえば18か19歳頃の或る日のことなど・・・
私は机の引き出しの奥に「へび花火」1袋を見つけた。そして、いつ買ったのかも
覚えていないものだから、きっともう、シケッていて火もつかないだろうと思い、
なんとなく机の上でライターの火を近づけてみた。
そしたら、ショオオオオオ〜〜〜〜〜〜〜〜ッと、ものすごい量の白煙とともに、
ニョロニョロニョロニョロニョロニョロニョロニョロ出るわ出るわ、へび花火!!!
わ、わ、わ、わ、と慌てふためいても、どうにも止まらない!ケムリで真っ白に
なりゆく部屋!机の上にはとめどなく噴出する直径1センチの黒い円柱が、
ニョロニョロニョロニョロニョロニョロニョロニョロ〜〜〜〜・・・
・・・学習机の真ん中に真っ黒な焦げ跡が残ったが、この経緯についてはあまり
にも恥ずかしいので、家族にも秘密にしていた。今なら笑えるネタとしていろんな
人に話すかもしれないけど、まだ羞恥心とかプライドがあったのだなあ。感慨。
(やってることのアホさは変わらんけどね。)

“果てしない欲望”についてではなく、“ちっちゃなお気に入り”について話そう。
心の支え、目標、御守り、みたいな。いつか辿り着きたい場所とか。
・・・引き出しの奥のへび花火のように忘れてしまうかもしれないけれど・・・
ともかく、100年後の手帳に大切なアドレスをメモっておく。


2004.6.10

墓穴を掘ったついでに、ブラックホールも掘って今すぐ消えてしまおうか。
ああもうときどきなにもかもがやんなっちゃってこのぺーじなんかまっくろに
ぬりつぶしてしまいたくなっちゃって、もうどうでもいいって思いながら、なお
求めてしまう我が心にうんざりだ。


2004.6.11

ただの並木道に、雨が降って、深い森のようです。


2004.6.16

「この人、自分と同じ種類の人間だな」と感じる人がいる。何十年生きていろんなことを体験しても 基本的人格は変わらないんだろうと思う。ところが近頃、昔は「この人、私と近い。いや、私より 重症?将来大丈夫なんかいな?」なんて思っていた人たちが、いつのまにか 役者になってテレビドラマに出ていたり、作家になって賞をとっていたり、ああもう老後も 安心じゃん!てなくらいBIGになられていたりして、「おいおい、私こそ大丈夫なんかいな?」 と急激に不安になっています。大物にもなれず何も残せず、主婦になったものの子供すら 生んでないという非生産的(浪費オンリー!)人生を送ってきた 私は、これから一体どうなってしまうのでしょう。
ふと、私の知る限り一番将来が心配だった某ギタリスト氏は今どうしてるんだろう? と思い、なんの気なしに、その人の名前(本名フルネーム)でWEB検索してみたら、 なんと、100件以上もの該当ページが!思った通り本人からの発信はないけれど、 ライブ情報、ライブレポート、うげげ、なんじゃこりゃ、バイオグラフィーなんてのもあって、 1行目にかつて私が所属したバンドの名が。 2行目以降もたくさんの懐かしい人やバンドの名が並んでいて、うげげげげ!と 思うが、ここ10年の分は私の知らない名前も増えてくる。最後に会ったのは20年くらい前だしな。 なに?ヨーロッパツアー、DVD、なんのこっちゃ、時代は変わったな〜。 それでもやっぱり、死ぬまで基本的人格は変わらないんだろうと思う。というか、 変わってないよな、どう見ても。はは。「かなりアブナイ人らしい〜」なんて書かれている。


2004.6.17

コンビニには次々と新開発の飲料や食品が並べられるけれど、
私の気にいった商品は、なぜかすぐに姿を消してしまうことが多い。
というわけで、『チョウカラ(コーンスナック)トム・ヤン・クン味』は
今のうちに食べておいた方がいいよ。 ((株)ジャパンフリトレー製造)


2004.6.18

愕然とした。このところいろいろな思いがあって、4年間もさらけ出しっぱなしの
ホームページを少しずつ見直していたのだけれど、、、4年前に書いたページには、
ほんとにバカじゃないの?って心配するくらい、子供みたいにチャランゴ弾いてるだけで
大喜びの私がいて、これが私?と、不思議な気分。
ホームページを開設してまもなくロス・ムシスが発足し、翌年には三木山で演奏して、
その直後、左手のくすり指と心を骨折。。以来、チャランゴはほとんど弾いていない。
あれから3年経ちました。心の金魚にエサをやりながら。


2004.6.19

合奏では、旋律よりも伴奏を担当するのが楽しいなぁ〜。
もっと楽しいのは、最小限の音ですでに曲が成立しているところに、
あってもなくてもいいような楽器をそぉっとくっきり重ねること。だなぁ〜。
それこそ神経が集中してゆくというもの、です。フ、フ。


2004.6.20

『片思い』というものは存在しないと思っている。 男女間に限らず、人間間に限らず。
つまり、私がペルーワイノを好きなら、ペルーワイノのほうでも私を好きに違いない
と思っているのです。世の中に溢れている『片思い』な人々というのはきっと、
どちらか一方、もしくは両方が、現実を正しく認識していないだけだと思うのです。

そして、「今の私は現実を正しく認識できてないのかなぁ・・・」って思うようなときは、
・・・切ない。とほほ。


2004.6.22

新マルビビルのために音源のダビングをしていたら、関係ない曲まで聴きこんで
しまいました。だいたい自分たちで演奏しようという曲は好きな曲に決まってるし、
好きな曲が収録されてるディスクやテープは、どの曲も好きな傾向があるわけで、
「ああ、これも、おお、これも、カァッコイイ!」と、気が狂ってしまうのです。

同じ曲を同じようにやってるつもりが、自分たちの演奏はむぁ〜ったくカッコヨク
ないって事実には愕然、ガァ〜ックリだけど、これだけカックイイ曲を集めてきた
自分のセンスをカックイイと思うことにして、我を励ますのであった・・・。


2004.6.23

カサ・デ・ラ・パパで安いチャランゴを購入する夢を見ました。
私はチャランゴをこっそり弾きたい。目立たないように、そっと。


2004.7.2

昨日今日、MAYAのライブを連チャンしました。
同じ曲を聴いても、まったく違う印象を受けることがある。アレンジを変えて いるのもあるだろうけど、実際に演奏がどれほど違っているのか、私には判断できない。 なぜなら私自身の感じ方がどんどん変わりつつあるから。


2004.7.3

『アンデスのこだま』(東京都墨田区)
お昼前に東京駅に着いたみきやんと私は、渋谷の「ムルギー」でカレーを食べ、 そこでバッタリ会ったじゅらさるてぃーとさんの案内で「チチカカ」(輸入雑貨屋さん) へ行き、民芸品とはいえかなりよく鳴るサンポーニャを吹いて喜んだり、中南米マガジン ・バックナンバーの“濱田滋郎の人生相談”などを立ち読みしたりして時間をつぶす。 歩行者天国で『脱・悲惨な生活!』と、七夕飾りに願い事を書いてウチワをもらって、 ビールを飲んで、楽器屋さんのギター売り場でワイノを一発歌って店員さんに睨まれる。 日暮れになり、アイスキャンデーを食べつつアンこだま会場に着くと、知った顔がチラホラ。 「メトロの半蔵門線」なんてまるで近未来時代劇の舞台のような見知らぬ土地で見る 知り合いの顔は懐かしくてしみじみと嬉しかった。
コンサートはいつもながらいっぱい勉強になるというか感心しまくりというか、 みんな(関西人は特に)、一度は見に来るべきだよ、うん、と唸ってしまうのだった。 何が凄いって、出演グループの演奏も高水準だけど、セッティングのスムースさがまた 素晴らしく、音響や照明、構成などがアマチュアのイベントとは思えないほど洗練されていて 感心するのである。
さて内容についての個人的感想はというと、もうメロメロです。パルワイのペルーの踊りと ミスティの演奏、いつまでも終わらないでいて欲しいような至福のひとときでした。 なんというか、パルワイは「踊りを越えた踊り」というか、踊りって、見ていてこんなに 楽しいものだったのかと驚くほどでした。すごいです。汗いっぱいになって楽しませてくれて ありがとう!って感謝の気持ちが湧いてくるのでした。後日ビデオが出るかもしれないけど、 前から2列目で見たあの迫力は伝わるのかしらと思う。
踊りの伴奏と演奏のトリを務めたミスティは、さりげないチャランゴも 光っていて、いつもながらグループ全体の醸し出すおだやかな心地よさが素敵でした。 もう私はミスティと寝食をともにしたい!などとわけのわからないことを 心の中でつぶやいておりました。(まったくもってわけがわかりませんが。)  踊りの伴奏は1曲が長くて大変そうでしたが、ミスティのみの演奏は4曲だけで、内心 もうちょっとやって欲しいよぉ〜と思いました。が、また会える日を楽しみにしてグッと 我慢する私でした。コンサート終了後は挨拶もそこそこに突っ走らないと最終の新幹線に 間に合わないため、なごり惜しくて泣きそうになりました。全員と握手してサインしてもらいたい 気持ちでした。(←普段はこーゆうことあんまりしないんですが。)
帰りの新幹線の切符を買ったら、財布には小銭少々しか残らなかったので、 スリに遭ったのかと思いましたが、考えてみたら銀座のCD屋さんでアフリカ音楽のCDとか 買っちゃってたせいでした。 もたもた切符を買って、もたもた乗り場を探して、もたもたしてたら、新幹線の改札から ホームまで全力疾走するはめになりました。それが遠いんだよね。発車ベルを聞きながら なんとか最終ののぞみに飛び乗り、もう、へたりこんでゼエゼエ。吐きそうなくらい苦しくて、 日常の運動不足を悔いました。しばらくして元気を取り戻したらお腹が空いたので、 Gパンのポケットから出てきた洗濯してクチャクチャになった千円札で幕の内を買いました。 カバンの底の秘蔵の2千円札は使わずに済みました。神様ありがとう。弁当、おいしかったです。


2004.7.15

「高校生の頃、ロックをやってました。」とか言うと、「ハードロック?ヘビメタ?」
なんて聞かれることが多い。(ちなみに、どちらでもゼンゼンない。)
まあ、似たような状況は、いつの時代のどこの世界にもあるわけで。

ついでだから言っておくと、私の顔を見るたびに、チャランゴを差し出して
「ペルー式トレモロ、やってください!」と言う人もいらっしゃいますが、、、
そんなん、できゃしませんし、べつにやろうともしてません(今のとこ)。
まあ、マイペースなんで、、すみません。


2004.7.16

ボクノミューズが背を向けるとき、ボクハ憐れな詩人になる。
ボクノミューズが微笑むとき、ボクハ詩そのものになって弾む!


2004.7.19

木下尊惇さんのフォルクローレ・ワークショップ
「楽器がなくても大丈夫。みんなで楽しく、フォルクローレのリズムに熱くなろう!」
第1回「cueca/クエッカ」(教材/〜Viva Mi Patria Bolivia/我が祖国ボリビア〜)
に参加してきました。ひとことでいうと、とても為になってしかも楽しかったです。

楽器の演奏法、主に技術的な方面でのワークショップや教室はたくさんありますが、 このような、フォルクローレのリズムを全体として捉えるための講座というのは珍しいですし、 演奏グループ全員で参加すれば、翌日から音が変わるかも?  ぜひ、いろんな人に聴いて欲しい講義だと思いました。音楽の理論的な話でも、 説明の仕方が上手いなあ!喩え話がおもしろくってわかりやすいなあ!と感心しました。 終了後も、皆さんの熱心な質問が続き、すべてに丁寧に答えてくださり、 たくさんのお話を聞かせていただきました。私としては、「ボリビアのポピュラー音楽と してのフォルクローレ」というのはあんまり知らない分野で、いつも、「サヤは・・・、 カポラールは・・・」という話がよくわからなかったのですが、歴史的流れのお話を 聞いて、いくつかの謎が解けました。(笑)


2004.7.29

「最近どうも、自分のやってることは“神の意志”に背いてるんじゃないかって気がする。」
「はぁ?」
「なんていうか、やりたくもないことを誰かにやらされているような・・・」
「それって、、、、、“神の意志”じゃなくて、“ジブンの意志”では?」
「ハッ!」
「オノレは神かっ!?」ってなことになるわけでございますが、そのように訊ねられましたらば、
いちおう、YES(JESUSではないけど)なのでございます。自分の中では。おそらく誰もが。


2004.8.7

ここ数年、人間の死について考えない日は一日もないので、
暇を見つけて少しずつ自分の部屋の整理もしているのだが、
あんまりなガラクタの山に呆然としてしまう。
この混沌は、次の時代にはどうしているのだろう?
すべて灰になっているのだろうか?
少なくとも、私の頭の中の混沌は一瞬にして消えるはず。


2004.8.8

大阪府某市の祭りにて、30分のステージに参加。
「ワイキパナイ」というグループにて5曲演奏。とりあえず。


2004.8.11

人生を救えるのは、「笑い」だけかも。


2004.8.14

オリンピック開幕中だから言うわけではなく、常日頃いろんなことを何でも都合よく
解釈してしまう自分自身にふと気づいたり、テレビで興奮気味に話す人を見たり
するにつけ、思っていることなんだけど・・・

・・・人間ほど『感動』を欲しがる生き物はいないだろうな。

(というか、人間以外には『感動』を求める生き物なんて、いないかな?)
(いや〜、霊長類とかイルカとかわかんないですよね〜。)

極まったところでは、愛や憎しみ。繁殖や戦争。根っこの部分としては、
あらゆるものに対する意味付けや物語性を求める心。そうして、歴史を
創り上げたり反芻したり・・・。
人間にとって『感動』は、おそらく必須栄養素みたいなもので、それなしでは
健全に生きられないみたい。だけど、過剰摂取もまた毒?
必要以上に欲しがる中毒者、多数。

子供の頃よりも子供のような今の自分を、冷めた目で見るもうひとりの自分。


2004.8.16

お盆は何をしていたかといいますと、借り物のバイオリンで「サクサイワマン」や
「カエルの唄」を練習していたのであり、本日はベトナム民謡で踊っています。


2004.8.18

地球上にある人間の魂の総量は変わらないから、人口が増えすぎると、 一人一人の心は小さくなっていく・・・

それは仕方のないことだから、どうしても強い心が必要なときには、 月の引力を利用するしかない・・・

そんなことをおぼろに考えながら、今朝、わたしは 耳の軟骨そっくりの迷路の中で回っていた。


2004.8.19

私に名前をつけてくれた人たちに感謝します。
それは親だけでなく、たとえば『ポニタ』というのはインターネットの便宜上
自分で勝手につけたニックネームだけど、今ではインターネットの場以外でも
毎日、「ポニタさん」「ポニちゃん」、あるいは「ぽにぃ」などと呼ばれている。
(本名で呼ばれるのは歯医者さんに行ったときぐらいだ。給料袋も「Ponita」だし。)
そして私はポニタになった。ポニタでいられることは嬉しい。


2004.8.21〜22

今年も『鹿教湯ストリートフェスティバルまつり(仮称)』(長野県)に行ってきました。
“LOS MUSIS”は、1日目=12人、2日目=13人で4曲演奏。(曲目は2日とも同じ。)
【TRES ROSAS, CIUDAD DEL LAGO, ANTONIO MOCHO, WAJCHAPUQUITU】
2日目には、私はもうひとつのグループ、“SIN MALVIVIR”でも4曲演奏。
【MARCHA AKUCHIMAY, CERRITO DE HUAJSAPATA, TOTORAS, VASO DE CRISTAL】
“MISTI”のかてさんがギター、チャランゴ、アコーディオン、チャフチャスで
特別参加もしてくださいまして、大感激だったのですが・・・
本番はムシスに続けての演奏だったこともあり、4曲中3曲は最近練習し始めたばかり
の新曲だというのにメンバーも変わったばかりだというのにいきなり担当楽器も違った
というのに当日練習が1回もできず、寝不足ボケボケの頭のままだったので、、、
・・・あああ、言い訳はしますまいっ!(もう、じゅうぶんしてるけど・・・)

祭りは、実行委員さんの至れり尽くせりの心が温かくしみて、仲間に会えて嬉しくて、
いろんな音楽がいっぱい聴けて、本当に楽しいものでした。

−−−帰りの車の中での会話−−−
「その部族の言葉を話せる人はもうひとりかふたりしか残ってなくて、そのお婆さんが
亡くなってしまったら、もうわかる人はいなくなってしまうとか・・・。」
「へえ〜、日本のトキみたいやなあ〜。そのお婆さん、繁殖させなきゃ〜。」
「お婆さんの繁殖・・・・・・・・・?」 (深く考えないでください。)

車で駅まで送っていただいて、電車に乗ると、某プロ笛吹きのTさんにばったり
出会いました。私たちの楽器を見て、「どんな曲を演奏されたんですか?」と
聞かれたので、「アクチマイの行進曲に、セリート・デ・ワクサパタに…」とすべて
答えたら、「マルチャでアクチマイなんてやってるグループ、他にないでしょ?」
と言われました。んん〜、でも、わかりませんよねえ〜? だって、かてさんも
あのややこしいギター、唐突に弾いてくれてたしぃ〜。(かてさんは別枠?)
まあ、最近のマルビビルはみきやんの歌とマンドリンしか褒めてもらえないので、
(その昔は「ケーナに味がある」しか言われなかった。←褒め言葉かどうかは謎。)
歌も楽器もダメな私としては、選曲の良さでも褒めていただければ幸いです。
(いや、Tさんも選曲が“めずらしい”と言っただけで、べつに褒めないってか。)


2004.8.25

どんな言葉も諸刃の剣であるならば、毎日こんなに言葉を垂れ流している私はほとんど殺人鬼。
自己嫌悪で自分を殺したくなることもあるけれど、私以上に私のことを憎んで私を殺したい
と思う人がいるならば、その権利を奪うことはできないと思うから自分では遂行しない。


2004.8.26

私の大好きな友達は、今日もきっちり仕事をこなしているようで。エライ♪
そうしていつもさりげなく私に力をくれるのです♪


2004.8.29

怒涛の忙しさでも、忘れたことない。意味無くたって、好きなもん。
一見、何の役にも立たないように見えるもの。でも、私には必要。
とはいえ、海を眺める老人のようです。
待っていることを忘れるときまで待ち続けるような面持ちで。


2004.9.1

川風に吹かれながら夕暮れの町を歩いて、公園。ひつじ型シーソーに
ひとり座って、MDを聴く。あぁ、こんな幸せな主婦(39歳)がいるだろうか?
自由な心でいられるひとときに感謝しつつ、CANCION 歌い上げる。

Donde esta? Donde esta tu brazo, udeguergue? (あああ〜。いづこにありや、ウデゲルゲの腕よ。)

3ヶ月後の誕生日は、心の中で盛大に祝おうと思ってます。
誰もが(特に女性なら)誕生日なんてひっそりこっそりやり過ごしたい年頃なのかも
しれないけど、こんな心のままで、縄文時代なら「ご長寿」であっただろう年齢を
迎えるとは、いやはや、まったく、おめでたいことじゃないですか!
(・・・おめでたいの意味が違うかも。)


2004.9.4

眠れませんでした。ワイノを気持ちよく弾きたいという、たったそれだけの、長年の夢でした!


2004.9.9

ダメダメな日。すべての人に、「ほな、さいなら。」って言いたくなる。
「ほな、さいなら。」


2004.9.11

最近また右手の爪を伸ばし始め、トラウマの悪夢にうなされる日々・・・。
とあるコテコテ・ペルーなチャランゴをコピーしたいなあ〜と思いつつ・・・ 資料の音源は1音半も音を下げてあって、頭の中で転調できない私は普通のチャランゴでは コピーできず、そうかといっていつも使ってるチャランゴの弦を弛めるのも、せっかく チューニングがすごく落ち着いてるのにもったいなくてイヤだしなぁ〜と思っていたら、 ちょうどいいチャランゴがあった。 こないだの日曜日、某ペルー人宅の倉庫整理を手伝った際、壊れたチャランゴを1台、 戴いてきたのだった(ボリビア産だけど)。すでに修理して、きのう弦を張ったばかり だったので、ちょうど音が下がってほとんどそのままでF#mに合っているではありませんか!
てなわけで、なんとか1曲タブ譜を書いてみた。とてつもなく大雑把だけど・・・。 ともかく、挫折禁止!


2004.9.15

さらにアヤクーチョのチャランゴとアプリマックのギターを1曲ずつ、音を採る。
ところどころ謎。目にも止まらぬ速さの装飾音が多すぎて、推考に推考を重ねる。
休みの日にギターで音を拾って作った叩き台を、電車の中や食堂でポータブルMDを
聴いて、確認・訂正する。全曲解明できるのはいつ?
そして、これが弾けるようになるのは何百年後?ともかく、挫折禁止!


2004.9.18

「間違えないように」「うまく演奏する」ことに神経集中して、他の人の音をウルサイ とすら感じるようなときの合奏は、最低だ。
メインメロディー奏者がテンポを崩したり、それどころか止まったりしてるのに、 そのまま曲が進行していくような練習では、意味がない(本番なら仕方ないけど)。  誰も間違ってないし変なこともしてないのに、演奏終了後、「うううう〜〜〜ん・・・」 としか感想が言えないときがある。なんだかわからないけど、気持ち良くない。 そういうときって、ひとりひとりは悪くなくても、みんなの息が合っていないのかも。 気持ち良くない演奏は続けちゃダメだよねぇ。すぐに止めないと。
テンポの安定しないメロディー奏者に伴奏者がついていくしかなかったようなときは、 そのせいで逆に、注意深く息を合わせる結果となっていたのだけど、、、 メロディー楽器も増えて誰に合わせたらいいかわからなくなると、とにかく自分は (メトロノーム的に)正確であれば良いのだろうって思って、我が道を行っちゃったりして、 ダメダメですね。やっぱり人の音聴いてないと、全員がバラバラになってしまう。 もともと機械的なリズムではないから、微妙な裏拍の引っ張り具合とか、厳しく 行かないとダメですね。


2004.9.19〜20

毎年恒例、『アマウタ』合宿。ワイキパナイ(=旧マルビビル)の演奏は、
酔っぱらっていたせいで(?)とても気持ちよくできました。
夜はフラメンコのステップを教えてもらったり花火をしたり、とても楽しかったです。
だけどときどき、我心不在此処・・・・・・。


2004.9.24

四人編成『Sin Malvivir』の初舞台が迫っているので、変則チューニングを要する
アヤクチョ・ギター&チャランゴの研究は一時中断とする。。。
10月3日の『Sin Malvivir』、私は4曲中2曲はギター、他2曲はチャランゴを弾くけど、
じつは舞台でチャランゴを弾くのは何年ぶりだろうーーーー???って感じ。
う〜ん、2年前ハーベストの丘で1曲だけ弾いたときにも「久々!」って言ってた気が。
まあ、今回のチャランゴはひたすらストロークだけだし、目立たないだろうけど。
かれこれ4年前 chubeiさんに頂いた『ぽにちゃらえいど』から念願の1曲もやります。
あ、でもその曲では私はギターを弾くんだった! (^_^ゞ


2004.9.26

木下尊惇さんの『フォルクローレ・リズム・ワークショップ/第2回カルナバル』。
第1回目がクエッカで、同じ8分の6拍子で似たようなものなんじゃないの? なんて思っていたらぜんぜん違った。まずは、カルナバルとは何か?というような、 音源を聴きながらの講義が少しあったのだけど、その音楽が生まれてきた経過を 知ることは物凄くおもしろい。
また、どのジャンルにも通じる音楽の本質的な話については、うんうん、とうなづき、 「スゴク正しい!」と思ったし、いざ、楽器をとりだしたときはまだ不安が 残っていたのだけど、すぐに不安は吹き飛んで楽しくなった。というのも、 私はペルーワイノがいちばん好きで、ボリビアのカルナバルとか得意ではないので ギターもチャランゴもカッコヨク弾けない。課題曲は速くてケーナも吹けない。 いくら謳い文句で、「楽器ができなくても大丈夫」なんて言ってても やっぱり楽器の上手い人が気持ちよくて、できない者は肩身が狭い思いをするに 決まってる!と思っていた。(←卑屈) ところが、導かれるままにやってると、 高度な技は何も入れずダウンアップ交互のストロークだけでも、十分カッコヨク、 ちゃんとカルナバルのリズムに聞こえるから不思議だ。 いきなり集まった何十人もの人が一斉に音を出しても頭が痛くならないと いうのも、なかなか有り得にくいことだと思う。
楽器を上手く操ることは「手段」にすぎないこと、音楽は誰でも楽しむことができるという、 当り前だけど忘れていがちなことを、再認識&体感させてくれる集会だと思います。 マジで、超初心者からベテランさんにも一度参加されることをオススメ。 次回にも期待してます。


2004.9.29

京都フォルクローレ音楽祭が迫っているせいか、体調が悪くて早朝に目が覚めます。
ロス・ムシスのような大人数での演奏は気楽だけど、今回は、SIN MALVIVIR の
関西初演奏で、けっこう心配です。(鹿教湯での予行演習は惨澹たる結果だったし〜)
そんなわけで明け方に変な夢を見ます。(笑)

俗に、白ヘビの夢を見ると、金運がいい、大金が舞いこむ、なんて言いますが、
きのう見た夢には、紙で作ったようなハリボテの白ヘビが出てきました。
ヘビかどうかもよくわからない、うさんくさいシロモノでした。(たしかに白かった。)
これはなんでしょうな? 偽金でもつかまされるのでしょうか?

今朝の夢では、フォルクローレ仲間のFさんがペルーのアルパを弾いてました。
「いや、ぜんぜんちゃんとしてまへんねんで。ええかげんでっせ。」と言いながら
ちゃんと両手でペルーの曲をうまく弾いていて、私は「すごーい」と言いながら
内心ちょっと、あせっていました。(笑)
でもなんだかベースラインがジャズ調なので、「この曲どこで覚えたん?」ときくと
「これは、ロス・チチャス」とか言っていました。ようしらんけど。


2004.9.30

記録的猛暑といわれたこの夏も、そろそろ終わりという今日、
バイト先の事務所に冷房がつきました。あはは、なぜ、今?
理由・・・いらなくなった所から持って来ただけ。
うぅ、7月に欲しかったよぉ〜ん!


2004.10.3

けさ見た夢・・・楽屋でみきやんが髪を三つ編みにしている。「私も三つ編みにしようかなあ。」
と、編み始める。なぜか私の髪はへそまであって(現実はひとつに束ねるのも困難な短髪)
「こんなに長い髪、三つ編みにするしかないよなあ、なんで今までしなかったんだろう?」
とか思っている。
そうこうするうちに、そこはステージで、すでに演奏が始まっている。
20人ぐらいが横一列に並んで、ケナケナを吹いている。私は慌てて自分のケーナを
ギターケースのポケットから取り出そうとして、落っことしてしまう。そして拾おうとして
蹴飛ばしてしまい、ステージの端から端まで転がるケーナを追いかけて走る私・・・
えへへ、えへへ、と照れ笑いしながら・・・・・・

こりゃ、おもしろい夢だった〜と満足して、意外とさわやかに目覚めました。


2004.10.5

ふうぅ〜、ようやく立ち直りつつあります。 10月3日の『京都フォルクローレ音楽祭』では 聴かせどころでギターをトチってしまい、そうでなくともこのところずっと、なんとはなしに ユウウツだったので、もうペコ〜ッと、へこんでしまったのでした。 別に、ミスしたから悪い演奏だとか、間違えなかったら良い演奏だなんて思わないけど、 せっかくのいいところ(静かなイントロ)で曲想をぶち壊してしまったのは確か。。。
誰も良かったとも悪かったとも言ってくれないけれど・・・というか、そもそも誰も 聴いてなかったんじゃ? うちらの演奏が終わった後、何人かの知り合いが来て、 「あら、終わったの?」って。どうせ私がやる音楽なんて誰も聴きたいと思わないんだ。 私なんて、私なんて・・・ 口ばっか偉そうで何もできないし、頭は悪いし、性格は悪いし、 足は短いし、腹は出てるし、もうすぐシジュウだし・・・  ああもう、人格全否定でどん底まで落ち込んでしまうのだった。 遠くからありがたい励ましのメールをもらったりもしていたのにね。すっかり孤独な気分に 陥ってしまった私、アホです。

夜、「とちった?わからんかった」との言葉に、少し安心した代わりに今度は、 必要以上に「失敗した〜」と騒いでいる自分の自意識過剰さが恥ずかしくなって、 それはそれで、また落ち込むのだった。くうう〜。


2004.10.6

ようやく勇気を出して、『京都フォルクローレ音楽祭』での SIN MALVIVIR の録音を聴いてみた。 自分では、4小節ほどずっとめちゃくちゃに弾いていたように感じてたけど、実際には、 1音、2音、はずしたのが3ヶ所くらいあっただけだった。うう〜ん。過ぎてしまえば一瞬。 気づかないってことも有り得るわけか。 このところの鬱状態のせいで自己過小評価がどんどん膨らんでしまったのか?それともやっぱ 自意識過剰?

大きなミスのなかった他の3曲(ミゲルが回数を間違えたけどそりゃ毎度のことだ) がどうだったかというと・・・、 やや走り気味。確かに、ミスがなければ良いというものでもないですな。(苦笑)
その3曲、私のMDによると私の出した音はほとんど聞こえてなかった。 まあ、あってもなくてもいいような賑やかし役だから、後ろの方でチャラチャラ 鳴ってりゃそれでいいんだけど、、、それも聞こえてない。(4人に増えた意味ないじゃん!)  んまあ、目の前で見ていたお客さんには、表情や動きでノリが伝わったことでしょう。。

気をとりなおして、もう少し10月3日のこと。。。
私が参加したもうひとつのグループ「アウトクトナ・カンチャイ」は、無事デビューを 果たしました。ところどころ不揃いだったり、ちょこちょこと間違いなどはあったけれど、 大勢の人が足を止めてくれたということでは大成功だったでしょう。 その心中が「なんじゃこりゃ?」だったとしても。(笑)  個人的には、でかい音で吹いて、でかい声で歌って、気持ち良かったです。

打ち上げでのリラックスした演奏は良いですね、見るのもやるのも。 オタバレーニャスのまったりしたサンファニート、パパ・レジェーノのクエカやバルス、 気持ち良かったです。愛知の若者は、いつでもどこでものびのびやっててさすがだし。 SIN MALVIVIR もカティちゃんのバイオリンも加わって素晴らしかったはずなのですが、、、 ヤケ・ビールがぶ飲みの私は、どんな音痴で歌ってたか、わっかりましぇ〜ん! こっちは録音もしてないし、まったくの無責任演奏でした。それでも、みなさんの 笑顔が嬉しかった。
ステージで見るお客さんの笑ってない顔というのは、恐ろしいものです。 確実に演奏に響いてしまいます。 (だからほんとはお客さんも一緒に音楽を作ってるって思って欲しいんだけど・・・)
じつは鹿教湯でも、演奏がイマイチだったことよりも、お客さんがみんなカレーの屋台に 並びに行ってしまったことに落ち込んだのでした。一生懸命やってても、 無価値なのかって思っちゃう。ま、実際たいして意味ないけど。


2004.10.9

けさ見た夢。。。
なぜだかわからないけれど、私は家を燃やして死んだことにして、どこかに 逃げなくてはならないのだった。一番大事なものだけ持っていこう、、、 と思い、ギターとチャランゴとケーナを持って家を出るのだった。
さて、体育館みたいな小さなホールで学園祭のような舞台を見ている。 ひとりのおじさんが出てきて歌おうとするのだが、誰かギターを弾いてくれないか、と言っている。 そんなこと急に言われてもなぁ〜、だいたいこの人、誰だよ?って感じで、みんな知らん顔。 でもよく見るとなんだか見たことある顔。「この人、スレーニョスのボーカルの人ちゃうん!」 と私が言うと、突然みきやんが、「私が弾きまあす!」と言って、なぜかバンドゥリア を持ってピョンピョン飛び跳ねながら舞台へ出て行き、歌い始めたおじさんの横で、 バンドゥリアをポンペケポンペケ弾いている。 曲はアヤクーチョ・ワイノ、クスコ風のバンドゥリアはいまいち合ってない!  私は、「それじゃ私がギター弾く!」と叫んで、舞台に走る。舞台そでにギターを持った おじさんが立っていたのでギターを借りようとすると、これはダメ、と首を横に振る、よく見れば スレーニョスのギタリスト。しかたなく私は自分のギターケースへとダッシュする。 ああ、早くしなきゃ曲が終わってしまう。だけどなぜあのギタリストは弾かないのだろう。。。

ここで目が覚めました。 LOS SUREN~OS はアヤクーチョのトリオですが、後で写真を確認したら、舞台そでにいたのは チャランギスタのほうかもしれなかった。 いや、よくわからない、なにしろ双子みたいによく似ているので。。。  みきやん、変な役でごめん!


2004.10.10

このページは、私ポニタのひとりごとのページです。自意識過剰の炸裂場所です。
と、断わっといてと。。。 (^_^)

このあいだ自分たちの演奏の録音を聴いて、「ま、こんなものか」と納得していたけれど、
ヤケクソついでに、本番1週間前の練習の録音も聴いてみたら(聴くのも試練と覚悟して)、
それが、、、意外とよかった。プーノの曲では真っ青な空が、クスコの曲ではくるくる舞い踊る
カラフルな刺繍のスカートが、目に浮かぶ。。。なんて言ったら言い過ぎ?
しかし、なんで本番でこれが出ないかなあ〜。


2004.10.11

お祭りだとか誕生日や結婚のパーティーだとか友達や家族や近所の人やほんとにワイノの
好きな人たちが集まって飲んだり食べたり歌ったり踊ったり大騒ぎしながらそんな場所で
演奏するのは楽しいだろうな。いっぱい野次とか飛ばされながら物が飛んできたりしながら。
いろんな思いをぶつけ合いながら泣いたり笑ったりしながら。


2004.10.12

クスコの田舎の女の子のかん高いニャアニャア声の歌を聴きながら掃除していたら
ベランダからきれいな白い猫が入ってきた。和猫のような顔立ちで青いひとみ。
警戒しながら少しずつ、部屋の中に入ってきた。私は知らん顔で座っていた。
猫との暮らし、なめらかな毛に触れることを夢見ながら・・・。
目を開けたら、猫の姿はなかった。

数時間後、また白猫が部屋に入って来ていたのに、私はぜんぜん気づいてなくて、
バイク屋からかかってきた電話に大声で挨拶したら、飛んで逃げちゃった。
ああ、もうとうぶん来てくれないだろうな。


2004.10.16

大切な人たちに迷惑を被らせてはいけないと思うから踏み留まるけれど、
それがなければ、とっくに世界を敵に回して私は孤立している。


2004.10.17

ペルー人のS君が某公園で日本人にクスコのダンサを教えているらしいとの噂を聞き、 通りすがりを装って様子を見に行った。 いつもCDで聴いてるようなクスコの曲(何曲かは初めて聞く曲だったけど)を、 音楽の応援で呼び出されたというS君の兄、I君のケーナに合わせて、私もギターを弾いた。 クスコの踊り、クスコのケーナ。ダンサ、カルナバル、ワイニート。 踊る人たちのために演奏するのはとても楽しい。これだよ、これ! 演奏はあくまでも裏方で、 主役はみんなの笑った顔、生き生きと動く身体、いつのまにか集まってきて座って見ている人たち、 夜の公園、ゴミ収集車、などなど。
演奏者は舞台の下から見上げられるものじゃなく、いつでも歌や踊りの伴奏者で、人生の伴奏者。 そうするときがいちばん幸せだ。ああ、いかにもクスコらしいワイノを奏でるケーナ、 ふわふわ踊る女の子たちを見ていると、ここがペルーのような気さえしてくる。 舞台で演奏するときも、私の目にはヒラヒラ踊る人の姿が目に浮かんでいるのだけど、 聴いてるお客さんにはそれが見えてないんだろうなあ〜。(あたりまえだって。)
最近、この世の中に違和感を感じることが多すぎて、、、私が好きな物を同じように好きだと 言ってくれる人はあまりにも少ないし、遠すぎるし、じつは全部私の空想じゃないかとすら 思えてくるし、すっかり自分に自信がなくなっていたので、少しだけ救われた気分なような、 ますます悲しくなるような夜でした。


2004.10.21

《本日の発見1》  音楽は、HUAYNO的なものと非HUAYNO的なものに分けられる。

  西洋古典音楽でも、純邦楽でも、ワイノ的なものとそうでないものがある。
  何をもってワイノ的というかというと、それは口でいうのは難しい。


《本日の発見2》  「おなか」の裏側は「せなか」ではない。

  胸の裏が背中で、お腹の裏はほとんど腰である。
  こんなことを意識するのは、胸の痛みが強くなってきたからだ。


2004.10.22

「なぜ」と「もしも」が、禁じられて久しい昨今。箱のふたは閉じられたまま。
私はシュレジンガーの猫を抱き続けている。箱の中で生きていながら死んでいる猫。
さて、巷では手品が大流行。いつのまにか猫は屋根の上で寝そべっているのだった。


2004.10.24

音楽は、運動であり、時間であり、瞬時に消えるものであるわけですが、
どこか遠くへ行き失せてしまうものではなく、この場所に留まるのです。
なんとなく、反復運動のような感じ。海の波や、ぶらんこに近い感じ。

ふと思う。『波』という字は、水辺の皮。


2004.11.2

本日のB.G.M.は、『Lo mejor de los Hnos. Alvarado』

 アルバラード兄弟

ようわからんけど、チャランゴ2〜3台、ギター2〜3台に、歌、という編成のようです。
明るいメロディーのワイノ、のびやかな歌声、いろんな音が飛び交う軽快な演奏。。
写真を見ると、チャランゴは、弦の本数が6本とか8本とかの小型のもののようです。
そして、時々ものすごくかっこいいギターを弾く人がいてます!こういうオッチャンが
元気なうちにペルーへ行って、直に習ってみたいものです、ホントウに!!!


2004.11.3

梅田スカイビルで、バイランドペルーとボリビアウニダの踊りを見てきました。
ティンクなどはすっごく楽しかった。なるほど、CDを聴いていて、なんでここで
唸ったり叫んだりするのか?と思ってたところの理由がよくわかりました。


2004.11.6

この5日間、Los Hermanos Alvarado を聴き続けていたところへ、
今日、FALCON の8弦チャランゴを借してもらって、嬉嬉嬉の嬉です。


2004.11.10

でもまだ弾かない。ただひたすら聴く。


2004.11.11

すべての楽器は、やかましい。なにしろ音をたてるのだから。
たくさんの音が次々と重なり合って、うるさいどころか気持ちいいなんて、
音楽は、奇跡です。
飛んでくるボールを、その位置や速度を計算もせず瞬時にスポンと
受けとめられるのと同じくらい、奇跡です。


2004.11.12

ワンカベリカ出身のペルアーノに、故郷の話を伺いました。(日本語でカタコトと。)
町の人はみんな踊りが大好きで、生まれた、死んだ、ひと集まる、踊る、だそうです。
どんな音楽で踊るのかと聞くと、クスコからきた音楽や、ワンカイヨのワイラスや
チョンギナーダ、そして、海岸の町イカに出稼ぎに行ったときには、そこの黒人の踊りを
覚えて帰ってくる。ワンカベリカの踊りというのは特にないけど“いろいろミックス”だそうです。
そのかたは、ぱっと見たところ、おじいちゃんですが、あるコンサートで、若い女の子たちに
囲まれて踊っている姿を見たとき、とてもかっこいいと思いました。


2004.11.13

クスコ出身のペルアーノに、故郷の話を聞きました。(流暢な日本語・関西弁混じりで。)
彼自身はまだ若くて、“新しいフォルクローレ”の演奏を目指している人だけど、
今日は日本人にクスコの踊りを教えるための音源を我が家に物色しに来たのでした。
いじわるな私は、「若い人が今さら伝統的な音楽なんかやらなくてもいいと思ってるかも
しれんけど、今そういう音楽をやってる人たちが皆お爺さんになって、伝統が消えていく
としたら、どう思う?」と聞いてみた。すると、「それは・・・、ないです。」と、きっぱり。
クスコでは幼稚園から会社員まで強制的にクスコのダンスを踊らされるから、誰でも必ず
踊れるし、演奏の好きな人もいる。伝統が途絶えてしまうことは有り得ないそうです。

そうだといいな。そして、伝統として引き継ぐだけじゃなく、若い人たちの中から次々と、
名人芸みたいなワイノの演奏家が出てきたらいいな、と思う。
ちなみに、私がこの12日間(しつこく)毎日聴いている Los Hermanos Alvarado は、
彼も気に入ったようで、CDを探す手もお喋りも止めて聴き入っていました。(^^)

引き継がれるべきは、「民族楽器を演奏すること」よりも、「あのリズムや節回し」など、
その土地に固有な「感覚」だろううな。
だから、民族楽器をよその国の音楽に使っても、それはそれでいいし、伝統音楽に
シンセサイザーやエレキ楽器を使っても、上手くやれば全然問題ないと思う。遅かれ
早かれ文化は混ざり合っていくのだろうし。。だけど、世界中の音楽がすべて同じに
なってしまったらツマラナイし、「とりあえず伝統楽器だけ使ってみました。変わってて
いいでしょ?」みたいなのは、ちょっと。


2004.11.14

アイリッシュの演奏とタップダンスの合同ステージを見ました。
最初にダンスなしでの演奏がありましたが、「踊りの音楽に踊りがないと非常に寂しい。」
と笛の演奏家の方が言っておられました。
う〜ん、このところキーワードは、ひたすら“踊り”ですねえ〜。
私は踊るのが苦手なので、踊りのことはあまり考えないように今まで生きてきたけど(笑)、
どうやらもう逃げられないようです。ただし、最近、『踊る人』と『演奏する人』の2種類の
タイプがあるらしいとわかって、少し安心しています。このあいだ、ビデオで自分が演奏して
いる姿を見て、「私は踊る側の人間ではない。」と確信しました!なんか変な姿だしぃ。


2004.11.17

缶ビールを飲みながら歩くと、座って飲むよりよく回るので経済的だと思った。
5分後。缶ビールを持って歩くと、すぐに気が抜けて不味くなることに気づいた。
たまたま流行なのか、クリスマスが近いせいなのか知らないけど、街じゅうで
甘ったるいラヴ・バラードが流れている。わざわざこんな歌を聴いて、気分を
盛り上げないといけない人たちもいるのかな? 私は、すべての
『感動させたがっているもの』から目を背けていても、こぼれそうなのに。


2004.11.19

今朝見た夢。。私はログハウスの屋台で、焼きそばパンをせっせと作って売っている。
その屋台はペルー人のお店で、他にもかわいい小物や赤いTシャツ等を売っている。
店のアルバイトは何人かいて順番に昼食をとりにいく。焼きそばパンは、焼きそばの
量を均一にするのがなかなか難しいのだった。長い夢だった。夢とはいえ、よく働いた。


2004.11.21

『JULIANA(フリアナ)』という女の子の名前がタイトルのペルー映画を見た。
舞台はリマ、義父の暴力から逃れて家出した少女(少年)が主人公。
孤児たちは、お金を稼ぐために、どんどん歌を作ってはバスの中で歌うのだが、
そのリズム感が素晴らしく、空き缶ドラムを使ってのドンチャン騒ぎシーンがイイ。
孤児の少年が、ノリノリのリズムで明るく歌っていた歌の歌詞が、胸に痛かった。
うろ覚えだけど、こんなような歌詞・・・

   どうして死んじゃったの?
   目が覚めたとき ぼくは悲しかった 
   でもそれは現実じゃなかった
   ぼくが見た夢だったんだ
   もう二度とこんな夢は見ない


2004.11.23

日本で『フォルクローレ』というとき、それは『民族音楽』からかけ離れたものを指すことが
多いので、『より民族音楽的』なものが好きな私としては、なかなか話がしにくいです。
『民族音楽的』というのは、その土地の“地域特性”を色濃く表わしているもののことで、
もちろんそういった中にも、職人技を持つ演奏者や特別に好きな楽団や尊敬に値する人
などはたくさんおりますが、「誰誰が作った曲」とか「誰誰がやってる曲」とかいうこと
ばかりを取りたてて云々するものでもないように思います。

たとえば富や名声を得ようと思えば、人とは違うことをしなきゃならないでしょうけれど、
それよりも、この人たちはただ自分たちが好きで楽しいからやってるんじゃないのかしらと
思えるような、せいぜい小さな町の人気者として何十年も同じような曲を演奏し続けている
ようなバンドが私は好きだなあ。“世界的に有名な民族音楽家”なんて、なんだか変?

『ポニタさん=ペルー音楽を好きな人』と思っている人がいます。
それは間違いではないです。でも、ペルーの音楽なら何でも好きなんだろうとか、
ボリビアの音楽は嫌いなんだろうとか思うのは、たいへん大きな間違いです。
ときどき、「この人の話している『ペルー』と、わたしの『ペルー』は違うな。」と思うことが
あります。「この人の話している『フォルクローレ』と、わたしの『フォルクローレ』は違うな。」
と思うのと同じように。

今日も、Sくんのクスコ・ダンスの練習に参加してきました。
踊りの練習をするのにレコードを使わないというのが、すごく気に入っています!!!


2004.11.28

にわかには信じがたいことですが、踊り音痴の私が踊りを習う羽目になりました。
(注:Sくんが教えるクスコダンスとは別枠。クスコダンスでは私は演奏のみ担当。)
『ペルー人が教えるペルーの踊り』と聞けば、そりゃもう興味津々なものだから、
誘われるままホイホイと見に行き、ビデオや衣装を見せてもらってキャピキャピと
喜んでたら、いつのまにかもう、踊るっきゃないという状況に・・・。
しかもモロに苦手な系統かもしれない“マリネラ・ノルテーニャ”!Elegante!
だけど、、、まあ、ともかく第1回目の今日は、、、ジタバタしてきました。
体動かすのは気持ちいいし、楽しいけど、人には見せられない姿です。(冷汗)


2004.12.15

ペルーから海を越え山を越え、物好きなCD屋さんの手を経て、我が手元にCDが届く。
ふにゃふにゃのプラスチックケース。ジャケットの紙はやたらツルツルテカテカで、
ペルー盤特有の匂いがする。私はこの匂いが大好きだ。


2004.12.19

チャリティーコンサート(@梅田スカイビル)にて、「ワイキパナイ」というグループで 2曲演奏させていただきました。じつはメンバーは、今年10月の京都フォルクローレ音楽祭 (@パセオ・ダイゴロー)に出演した SIN MALVIVIR の4人に2台のバイオリンが加わった 6人でした。参加すること自体かなり急に決まったのですが、さらに6人目のメンバーは 本番2日前に突如、一緒に出ませんか?って話になったのでした。
てなわけで、演奏はちょっと“やっつけ仕事”っぽかったかもしれません。音数が増えて 個々の細かいミスが目立たなくなったのをいいことに、粗い演奏をしてた気がします。 音は分厚くなったしハモリも入ってなんとなく綺麗なんだけど、全体のバランスに気を配る 余裕もなく、後で録音を聴いてみると、なんだか最初から最後まで全員が前に出ていて、 「今、誰が主役?」ってのがわからなくて、やかましい感じでした。
客席で聴くとどんな印象だったんだろう?ぜひ感想を聞いてみたいと思うのですが。


2004.12.22

私が音楽的に信頼できると思っている人から、
「ポニタのアヤクチョワイノはきれい」と言われて、ちょっと安心した。


2004.12.23

某忘年会。今日はみきやんとドゥオ(ギター&マンドリン)で歌いました。
みきやんとのつきあいは4〜5年になると思うけど、ふたりだけってのは初めてでした!


2004.12.24

たわいもない冗談やちょっとした言葉のひとつひとつが、命そのものなのだと思う。


2004.12.27

すべての楽器がリードをとれて、かつ、すべての楽器が伴奏にまわれるバンドって
いいなぁ〜。例えば、絶対ぶつかると思っていたマンドリンとチャランゴの共存。
マンドリンとチャランゴが順にリードをとるペキペキのワイノなんて、いいよなぁ。
(ただいまの B.G.M. は、EXPRESION@CUSCO)


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