むこう川 2005


2005.1.8

“きょうと土曜サロン”の新年会にて、ケーナとギターで OLLANTAY(3拍子のほう)と DANZA AYMARA の2曲を演奏させていただきました。ケーナが主役の音楽をやるは久しぶりでした。 緊張しまくりで、まったく拙い演奏だったのに、「感動しました」「涙が出ました」などと 言っていただき、ちょっと複雑な思いでした(もちろん嬉しかったけど)。 なにしろ、そういう感想を言ってもらったのはすごく久しぶりでした。最近、知り会いが 演奏を見に来てくれても特に感想を言ってくれないことが多く、まあ、何年もやってると そんなもんかな、と少し寂しくはあったのですが、聴き馴れたからというだけでは ないのかもしれません。数年前、グループ活動を始めたばかりでめちゃくちゃヘタクソだった 頃の方が、よく褒めてもらっていたのは確かで、じつはその理由には薄々気づいているのです。。


2005.1.15

にわかに慌ただしくなり、なにかの映画で耳にしたセリフをふとつぶやく。

・・・ 行動は思索の敵なり ・・・


2005.1.16

LOS MUSIS 始動。本日の顔ぶれは、某アウトクトナ練習会に酷似。。
成り行きでいろんなことに噛んでる私だけど、無理はしたくないと思う。


2005.1.19

クスコダンスの会。夜の公園でギターを弾くのは指が痛いので、次回よりスタジオを
予約していただくことに。(ストリートミュージシャンの皆さん、ごくろうさまです。)
だけど春になってまた外でできるのが楽しみだ〜。


2005.1.20

考えてみたら私はほとんどいつでも死んだように生きている。
意味のないパズルなんかで時間をつぶすような、どうしようもなく怠惰な人間。
モチベーションはいつも、スペシアルな音楽と、かわいい子猫なんかの仕業。


2005.1.23

マリネラ・ダンスのレッスン。第2回目の今日はなんとなく全貌が見えてきた感じです。
かなりハードですが、見た目はゆったりしているワイノのほうがさらに筋肉痛の予感。


2005.1.26

長い包丁で自分を刺し殺す夢を見た。


2005.1.26

ある人がテレビの街頭インタビューに答えて曰く・・・
「あなたがリラックスするのはどんなときですか?」
「そうですねえ、、ひとりで静かに本を読んでるときとか、ですかねえ。」
・・・家に帰ると、家族全員が首を吊っていた。
1通の置き手紙。
『ひとりでいるのが好きなあなたの幸せのために我々は消えます。』

こんな早とちりはしないようにね。


2005.2.1

きんと冷たい晴れわたった空を見ると、プーノのアコーディオンが聞こえてくるような・・・


2005.2.4

停滞。フォルクローレの楽器もCDも手軽に手に入るようになり、あっちこっちで
教室やワークショップが開かれているけれど。先生も生徒もいっぱいだけれど。
私のやりたいことはちっとも進まない。誰もいない、道のない森のよう。
ああああのギターが聴きたい(弾きたい)んだってば。

2005.2.5

静寂を愛さない音楽ファンなんて、私は信じない。
音楽を語ることの限界。音楽の前で私たちは沈黙するしかない。


2005.2.6

なんでそんなに“舞台に出ること”に必死になんの?それがわかんない。
文字で綴った業績が欲しくてグループやってるわけじゃないんだから。
ともかく、良き仲間たちに乾杯。いっぱい酸素使うのは気持ちいいね、
冬なのに汗かいて。とどのつまりは、チームワークです。


2005.2.10

刺激的な日々を生きてるときも、惰性で退屈な日々を過ごすときも。
深いところは変わらない。静かな熱い海はむこうがわまでつながっている。


2005.2.11

岡田浩安さんと犬伏青畝さんのライブ@カサ・デ・ラ・パパ。
カーペットに座ってお菓子を食べながらのアットホームなライブでした。
トラッド系フォルクローレ曲の刺激的な演奏がたくさん聴けて良かった。
なんだか少し勇気づけられました。


2005.2.13

今日は関西フォルクローレの一大イベントとなった、『吹田フォルクローレ・フェスタ』
アマチュア、プロ、合わせて20組の演奏が入場無料で聴けるという素晴らしさ!
(私はお金払って演奏させていただく側でしたが。)しかもゲストの豪華なこと!!!

SIN MALVIVIRは、6人編成での本格デビューってことで、たくさん聴いて欲しくて、
MCは曲名紹介程度にして20分の持ち時間に5曲詰め込み、長いこと会っていない
友人にも年賀状で知らせたり、自分たちの出演時間までも宣伝したんだけどな。
それでもやっぱり相当な数の知り会いが、「え?もう出番終わったの?」と午後から
やって来てました。特にペルー人の友人にはぜひ聴いて欲しかったのにな、残念!
まあ今回はどの曲も失敗しまくったから、ちょうどいいか・・・。次回がんばろ。

私は AUTOCUTONA KANCHAY というグループにも参加しました。
まあ、どうにかこうにか。。。現時点でやれるだけのことはやりました。。。
甲高い声を張り上げて歌ったので、後で高山病のような頭痛になりました。

ともかく、終了後のビールタイムはとっても幸せでした。
まあね・・・、世の中、なんだかなああ〜〜〜?って思うことも多いけど・・・
まあまあ、ふふふふっ、っていうこともあるから、元気だしていこ。


2005.2.15

いやあ〜、我がシン・マルビビールの録音を聴いてると、つくづく「いい曲だなあ〜〜〜」
と、うっとりします。 (^0^) 「曲はいいんだけどなあ〜〜〜」って・・・。あはは。
演奏をじっくり聴くと、まあその、いろいろなことがあるんだけど、、、(@_@)
気持ちのいい“瞬間”も何度かあったりするので、今回はこれで良しとしとこ。
(うぅ、練習ではもうちょっとキマッてたんだけどな〜)

それはそうと、今回、私の衣装は『羊飼いの少年』が コンセプトだったんだけど、
「なんでポニタさんだけ普段着なの?」と言われました。
上から下まで(靴と靴下も!)着替えたんだけどなぁ〜。ダメか?


2005.2.17

梅田の雑踏で。どこからかチャラチャラと聴こえてくるエレキギターの音が
チャランゴのカランペアードに聴こえて。ふ、と笑いながら、のたりのたり歩く。

日常の中に潜む非日常。夢うつつの路地を歩く。

去年の台風で崩れなかったのが不思議な廃屋。苔むした木製の牛乳箱。
ここはナント、住人在りダナ。小さな軒下に並べられた植木は、質素な器ながらも
手入れが行き届いて青々としげっている。

A los Bozques...

見渡す限り続くビルの群れ。切れ間なく行き交う車の音。
灰色の空を見上げていると、吸い込まれて消えてなくなってしまいそう。
自分が何者だかわからなくなって。

風がつよい。涙が出そうだぞ。
特急電車の中で安野モヨコの「働きマン」など読んで、ゆっくり息を吸いこむ。
さて、怒濤の日々の始まりか。逆境?トンデモナイ、、助走のための後ずさりさ。


2005.2.25

梅が満開。12月と同じ寒さなのに、花は春が近いことを知ってるらしい。


2005.3.3

ベテランのプロが若いプロに言った。
「あなたは自分が一番上手いと思ってるかもしれないけれど。あなたはもっと
下手な演奏をたくさん聴いてその良いところを見つけて真似した方がいい。」


2005.3.4

ただ楽譜通りの音を間違わずに出すだけならば、何のための音楽だろう。


2005.4.6

ペルーの山の音楽が好きで・・・ペルーの文化にふれたいと思い続けて・・・
大音量のサルサを聴きながら・・・ロコトを刻みながら・・・探し続ける日々・・・。
久しぶりの自分の時間に好きな音楽を聴いたときの安らぎはどんなに大きいことか。
どんなときでも音楽を聴けば心は落ち着くもので、そんな場所が欲しいと心から願う。
民族音楽の名曲喫茶があったらいいのに、と思う。


2005.4.7

腕時計を忘れたので、時間を見るためにケータイ電話を取り出す。
パカと開いて、おもしろかったメールを反芻してニヤニヤする。
パコと閉じて、ポケットに戻す。 ・・・ で、今、何時だ? ん?

床を磨きながら、立てかけてあるギターの弦を一本、ぽーんとはじいてみる。
胸に染みる音。もっと生のギターの音を聴きたい。弾力ある弦に触れたい。
今なら心の一番奥まで響くと思う。たった一本、たった一音で、苦しいほどだから。


2005.4.8

ゾウの顔を描くのは難しい。特に顔が難しい。中でも口が難しい。
正確に述べるならば、「鼻の下がよくわからない」のだ。
とにかくいつも上唇を描いた時点で敗北するのであった。ぱぅお〜。

どうでもいいけどプーノの音楽は、どの楽団もそれぞれ良いなあ!
バホ・ギターのかっこよさときたらもう涙ちょちょぎれ、哀しくなるほど。


2005.4.9

カハマルカの謎・・・CDを聴いていると、笛やバイオリンなどの他、たいていギロや
太鼓が入って賑やかなのに、ジャケット写真には二人しか写っていないものが多い。
「カハマルカのグループといえば二人組!?」と思っちゃうくらい、圧倒的に、写真は
二人組。でも演奏してるのはどう考えても大勢いる。なぜだ?・・・謎だ。
そして歌にしろ、笛にしろ、ハーモニーが不気味だ。私の音感は悪いのではっきりとは
わからないのだけど、普通のハーモニーと違うような気がする。う〜む。謎だ。


2005.4.10

ポニタです、、、チャランゴ歴は5年以上になりますが、一度もソロを弾いたことがありません。


2005.4.11

世の中は花見だかなんだか知らんけど、マンドリンの低音がワイルドにべげべげ弾くのは
かっこいいものであるよ。人間、自分に自信のあることだけやっておけば間違いはない。
よくわからない世界に踏み込んでハッタリだけでなんとか誤魔化そうなんて思うとしんどくなる。
まあそんなこんなで、私はまだ何もできないけれど、地道に石垣を積み上げていくだけです。


2005.4.12

ポニタです、、、好きな缶切りは、「ガンジー缶切300番」です。


2005.4.18

急激な体重減少に、これはちょっとヤバイなと思った。翌日、熱を出した。
風邪は意外にも、近年稀に見る早さで治癒したけれど、一向に食欲が戻らない。
それでも気分の落ち込みがないってことには大きな満足感がある。
ところで、あまり人には教えたくはないのだが、まあここだけの話なんだけれど、
ペルー盤中古LPレコードはハズレがないねえ〜、うん。


2005.4.20

ポニタです、、、大勢での合唱は別にして・・・二度と歌うのはよそうと思いました。


2005.4.28

快晴! 平日の昼間に近所のスーパーで350ml入り缶ビールを1ダース買っても
どうってことないけれど、平日の昼間に梅田駅横のコンビニで100ml入り缶ビールを
1本だけ買うってのは何故か後ろめたい。


2005.4.29

ゴールデンウィーク1日目。ジャケットを眺めながらレコードを聴く。

   

左より Los Aymarinos(左の人のギター、糸巻きが8個。 6コースで、弦は7本しか張ってないようにも見える。謎。)
Conjunto Ancashino Atusparia(めちゃ渋なジャケット。髪は七三、オア、オールバック。 古いギター超カッコよし。)
Lira Paucina(メンバー写真が見たかったな〜。)



2005.5.1

ゴールデンウィーク3日目。ジャケットを眺めながらレコードを聴く、第二弾。

   

左より Luis Alberto Valencia y el duo Hnos. Valencia (ジャケはようわからんが、渋いエクアドル音楽。)
Los Hnos. Portugal(一張羅っぽい背広でキョーツケしてるのがカワイイ。中身はヤラビとワイノ。)
Raul Garcia Zarate(若い。)



2005.5.3

・・・ガソリンの切れた車みたいに、動けなくなるときがある・・・


2005.5.4

美容院というところは、微妙に緊張しながら、リラックスするなあ。
「かゆいところとか、あられますか?」 「いいえ、あらせられませぬ。」


2005.5.5

大阪・中之島まつりにて、SIN MALVIVIR で演奏してきました。
知り合いが数名聴きに来てくれました。カティちゃんがお休みで、1曲、K田さんにボンボを
手伝ってもらいました。演奏終了後、お昼ごはん食べてビールを飲んで、天気の良い川べり
で、見に来てくれた人も皆一緒にいろいろ演奏して遊びました。とても楽しかったです。
でもなぜかこの頃、マルビの演奏の後には、「これは本当の私じゃない」というような
妙なくすぶった思いが残ります。


2005.5.11

昼食を八王子のペルー料理店で食べまくるつもりで、朝食抜きで新幹線に乗った、のだけど、 お店は夕方より開店ということでガックシ。しかし、めげない。次は四ッ谷の南米料理店へ向かう。 こちらは営業中、ヨカッタ・・・。 ドアを開けるとさらりとフォルクローレが流れていて(もっとコテコテでも よかったんだけど)、店内のインテリアはペルーアンデス風。 メニューは南米各国の料理がいろいろ豊富にあったけれど、ペルー料理のページを開いて渡される。 後で訊ねてみたら、思った通りスタッフは全員ペルー人とのこと。 マテ茶とロモ・サルタード(牛肉とポテトフライのトマト炒め)とアンティクーチョ(串焼き肉) を頼み(まるで肉食獣ですな)、食後にペルーコーヒー(お湯に液体コーヒーを注ぐやつ、懐かし〜!) を飲む。めちゃ美味!
さて、夜は本来の目的、ペルーより一時帰国中の笹久保伸さんギターリサイタル@市ヶ谷。
産地直送ピチピチ新鮮なアヤクチョギター演奏。メリハリのきいた演奏はとても日本人離れしていて かっこよかった。CDでは聴いたことがないような奏法も多く見られておもしろかった。 とてもお若いので、これからがますます楽しみです!
コンサート終了後は、ペルー音楽好きな憧れの先輩方にビールを誘っていただき、幸福でした! 特にPさん、Hさん、Yくん、大変お世話になりました。皆さんの足元にも及ばない私だけど、 またいろいろ話を聞かせてください。(って、こんなとこに書いててもあかんけど。)
帰りは3900円の夜行バス。格安だけあって、夜行バス仕様ではなくて普通の観光バス。 シートはちょっとしか倒れないし、足置きも無い。7時間けっこうつらかったー。 けど、安さに満足。とにかく充実して楽しい東京日帰り旅行でした。
2005.5.19

先週、雨の日にバイクで転倒、右手の小指側から地面に激突。一瞬、脳天を殴られたような衝撃 で、肋骨やら鼻やら肩やらあちこち痛かったけど、しばらくするとだいたいおさまり、骨と関節の 無事を確信した。足はズルムケただけで済んだ。いちばん痛かった右手も、分厚いスノボー用 ゴム手袋をはめていたのと4本の指がジャバラのように力を吸収したことで、骨折は免れた。
あれから1週間。右手全体がぷっくり腫れて、アンデス人のようなかわいいお手々になっています。
このところちょっと忙しくて体重が減り続けていたのだけど、事務仕事も肉体労働も全面休業して、 家事もろくにできずゴロゴロしてるので、もとに戻りそうだなと思っていたのに、なぜか体重は コンスタントに減り続けている。ダイエットしてるわけでもなんでもないのに3ヶ月で5キロ 減、って、ちょっとヤバくない?まあ、べつに元気なんだけどね。


2005.5.22

今年も一大イベント、『三木山フォルクローレ音楽祭』が無事終了しました。
何が楽しいって、やっぱり年に一度たくさんのフォルクローレ仲間が一挙に集まれる
ってことでしょうか。趣味の合う友人に会うのは嬉しいことで、それが一挙にたくさんで、
毎年この日にしか会えない人たちもいるわけで。演奏ははっきりいって慌ただしいし、
とっても疲れるけれど、同窓会みたいに嬉しくて(いや、実際の同窓会というのは
あんまり行ったことないのだけど)、気分よく盛り上がれるお祭りでした。。。

私の裏三木山・・・祭りの前日は、真っ昼間から合同アウトクトナの練習。ゼイゼイ。
夕方からはSuguiyama氏の指導の下、歩く練習をして、その後プカソンコで打ち上げ。
某事情により、明け方に2時間ほど睡眠したのみで、祭り当日を迎える。
朝食も摂らず現地に向かい、アンティクーチョ・コラソン1串とクスケーニャ1本で舞台に出る。
ムシスの演奏終了後、東京土産の海老煎餅と発泡酒で乾杯したものの殆ど空腹のまま。
夕方はようやくのんびり聴く体勢に。そしてすべての演奏が終わってロビーに出た時
セサルさん(@プカソンコ)がコカコーラを勧めてくれたので飲んだら、テキーラ入り!!!
テーブルには缶コーラと紙コップしか置いてなかったのだけど、なんと、カバンの中から
ほとんど中身が残っていないテキーラの瓶をニョッキリ覗かせて、ニヤリ・・・。
昔、病院で打ってもらったモルヒネ注射のように、いっきに昇天しました。。。



2005.5.25

手を怪我していると、財布から小銭を出すのに著しくモタついてしまう。
で、つい千円札ばかり使ってしまい、財布が小銭でどんどん重たくなってしまう。
よく行くうどん屋が、リニューアルしていた。なぜか黒っぽい内装。以前はJ−Pop
ばかり鳴っていたのが、なぜかモダンジャズがかかっている。だけど、うどん屋。
右手でお箸がうまく使えないのにきつねうどんを頼んでしまった私、いつもにも増して
ズルズルとすする。こういうときは、J−Popのほうが良いのですが・・・


2005.5.27

アンカシュのギターはかっこいいねえ〜。たまらんねえ〜。


2005.6.2

プチ交通事故から3週間。事務職には復帰するも、肉体労働のほうは依然休業中。
右手も 《なんとなくふわっと、グー》 ができるようになってきましたが、
《グッと、ギュー》、もしくは 《ギュッと、グー》 は、まだできません。
足のほうは、飛んだり跳ねたり走ったりはできるけど、ほふく前進は不可です。

それよりなによりビビッているのは、筋肉の喪失。右腕が左腕より細く なってしまった。さわってみると弾力が無くて、まるで病弱なお姫様のようにふにゃふにゃ。 そしてそれよりなによりもっとビビッたのは、手のひらの小指側の肉球 (正しくは小指丘というらしい)がストンと無くなってる。 全体的には肉厚でゴッツイ手なのに、そこだけほっそりと女らしくて、 すっごいアンバランス。そしてそして本当に箸より重いものが持てない体になってしまった! あぜん。たった3週間で。
しかし、お姫様のような手になるのって案外カンタンってことなのね。 誰でもなろうと思えばお姫様にもオッサンにもなれる。たった3週間で。生まれつきの体質 なんかじゃなくて生活習慣を変えるだけのことじゃん。やろうと思えばなんでも できるんじゃん。って、ますます自信をつけ、つけあがる私だった。


2005.6.5

WANKARのケニスタ、アプリマク出身のヘゲルさんのグループの演奏を聴きに行きました。
チャランギスタの奥さんとは前から知り合いで、ギターのお兄さんも一度ライブで会っている のですが、とにかく彼らの暖かい人柄が大好きで、会えるだけでも楽しみなライブでした。 親戚のおばさんに2年掛かりで織ってもらったというポンチョにはヘゲルのフルネーム、生年月日、 奥さんの名前などが織り込んでありました。終始ニコニコして顔を見合わせながら演奏する3人、 息がピッタリなのは本当に羨ましい限りです。 休憩をはさんで2部制で約1時間半のステージを、お客さん総入れ替えで、続けて2回。 元気いっぱいノリノリで飛び跳ねながらのステージなのでかなりスタミナを使うと思うんだけど、 全力投球な姿勢に感動しました。なんというか、見習わなくちゃいけないな・・・と思うところが たくさんありました。反省。
4年前、日本に来たばかりで日本語ぜんぜんしゃべれないヘゲルさんが、通訳を介して 「ポニタさんはいつも幸せそうに笑ってますね」と言ってくれたことを思い出します。 ううう、私にもそんな時代があったのか・・・。今、その言葉をそっくりそのまま、 君に返します!いつまでもその笑顔をなくさないでいて欲しいです。心から。


2005.6.6

右手をケガして、フライパンが持てないとかバイクに乗れないのは仕方がないと思う。
でも、そういう力仕事ではなく、もっとナンデモナイしょ〜うもないことができないとき、
「えっ? なんで!?」と、うろたえてしまう。
シャーペンの芯をノックできない、とか、出し過ぎた錠剤を1粒、瓶に戻せない。とか。


2005.6.13

この土、日について、どうでもいいようなことなど書き留めておく。(今日は月曜日)
土曜日早朝、カサデラパパの荷物を積んだレンタカーで大阪を出発、 フォルクローレ・イベント『第26回アンデスのこだま』が開催される東京・江東区 へと向かう。みきやん、みげる、ポニタを同乗させる為わざわざ大きな車を借りてきて くださったインティさんに同情しつつ同乗。
途中のサービスエリアで、アカパナ御一行に遭遇! ロランド・エンシーナス氏のきつい握手に衝撃が走りました!!というか、右手のケガが 治ってない私は「イターイイターイ!」と飛び跳ねました〜! いやぁ〜一瞬どうしようかと躊躇したんだけど、右手を差し出されて左手を出すわけにもいかず ・・・、マジで痛かった!その後アンこだま会場でも久々に会った人たちと何度か握手の場面が ありましたが、たいへん失礼ながら、「ごめんね!ケガしてるので」と断わって3本指で 握手しましたとさ、とほほ。
『アンデスのこだま』は、いつもながら素晴らしく楽しめるショーでした。出演グループは 個性豊かで演奏レベルも高く、入場料は安い。 寝不足で風邪もひいていた私(ボロボロでんなぁ)は、何度か咳き込んで演奏中にロビーに 出てしまったのだけど、映像つきモニター完備で、ロビーで店番してる人も楽しめる構造。 なんと、トイレの中にも演奏が流れてました。 (しかし、レコードならともかく、生演奏を聴きながら水を流すのはかなり申し訳ない 気がして心の中でスイマセンスイマセンと謝ってしまいました。)
コンサート終了後は、夜を徹して車を走らせ(というか、運転奴隷に車を走らさせ)、 日曜の朝、大阪に帰り着く。少々仮眠の後、朝食も摂らずにアウトクトナ・カンチャイの練習会場へ。 9時半の開始時刻には遅刻してしまいましたが、おにぎりを食べながら午後3時までサンカで ひたすら音出し。なぜか私はどんどん元気に・・・。(サンポニェロズ・ハイ?)
夜は、クスコダンスの練習。久々にわりと大勢集まったので嬉しかった。 なんの楽器をやるにしろ右手、右腕が重いのはつらかったけど。んでもって眠くもなってきたけど、 しんどくても充実してるのはシアワセ。(待ちぼうけやスッポカシにはもうウンザリだ!)
みきやんと丸2日分の乾杯をして終電ひとつ前の電車で帰宅しました。怒涛の週末、終わり。



2005.6.15

なんだかなー。何か棒きれを握りしめて、腕を縦にずぶずぶと裂きたくなるなー。


2005.6.18

アカパナ(ムシカ・デ・マエストロス六重奏団)@“集・空・間 Tio”(兵庫県芦屋市)
ロランド氏は先週高速で出会ったことを覚えてくれていて、とても親しみのこもった挨拶を してくれました(痛い握手はまぬがれ、ハグで命拾い)。 会場は狭くて暑かったけど、それが許せる、さすがの巧さ。第1部はいつものように元気に楽しく モレナダやらいろいろ。第2部は悲しい物語の朗読入り組曲でした。まるで映画を見ているように 情景が浮かんでくるのでした。そしてとっても手作りな懇親会は、カサデラパパさんと “Tio”のオーナーに大感謝、時間も当初の予定を延長して飲んで食べて歌って踊って大騒ぎでした。 ワイラさんに名古屋大学や京都文教大学、大阪のオッサンなどが次々に演奏を繰り広げ、そこに アカパナのメンバーが加わって伴奏してくれたりハモってくれたり踊ってくれたり、めっちゃ感激 の嵐でした。翌日のカサパパ掲示板はきっと感動の書き込みが殺到だろうと思ったのにそうでも なかったなー、ううむ。でもきっと、あの場にいた人は皆きっといい思い出ができたことだろう と思います。


2005.6.19

某「たのしむ会」にて、右手を怪我して以来ほとんど初めてギターをたくさん弾いた。
普通に弾いてるように見えたかもしれんけど、カルナバルやタキラリを以前のように
弾くのは、不可能でした。小指と薬指の根元が痛くて、グー、パー、グー、パー、が
できないんだよねえ。まあ、もともと親指と人差し指だけで弾く人もいるけどねえ。


2005.6.22

たとえば、リズムのおかしな偽ペルーワイノを自分が演奏すること。
それがいやなのは、同じ心を持つ人たちに申し訳ないと思う気持ちや
自分の音楽的嗜好といった個人レベルでの納得の問題だけではなく、
絶対に、殺人と同じくらい、間違ったことだという気がするから。
そして私はしばしば罪を犯し、まっすぐな心から目を逸らして生きる。どうぞ私を裁いてください!


2005.6.25

レンタカーに6人乗って名古屋へ遊びに行きました。(約1名は仕事だったらしいが。)
カーステレオが結構いい音だったのでハイテンションになり、行きも帰りも車内には
ワンカヨ風奇声、奇笑、牛の声、クスコ風オッサン唸り声、アヤクチョ風猫声などが
とどろいていました。“バス・デ・クリスタル”(クリスタル観光のバスを勝手に
そう呼んでいる)にも2台遭遇しました。
名古屋大学構内にて楽器を鳴らして遊んだ後、(約1名は仕事だったらしいが、)
昼食もそこそこに、「プキオ」というペルー専門店へ行きました。
残念ながら踊り用ハサミは売ってませんでした。クスコやアレキパの踊りの衣装は、
季節がら触わるのも暑いという感じで、みんな、帽子やカバンなど小物のみを買いました。
店長のミゲルさん(プキオ出身)はハサミのダンサンテのような顔でした。(?)


2005.7.3

右手の怪我の回復は、事故から3週間後にぴたりと止まってしまった。今もまだグーができないし、 指も手のひらも手首も肘も肩も痛いのに、もう何日経っても(今でひと月半経ったけど)症状は いっこうに軽減しないのだった。がびーん。。ギターを1曲弾きとおすのは、軽〜いワイノですら 修行のよう。アルペジオなんて、ほとんど拷問。痛い、だるい、重い、つらい!!!
けれど今日は、久々にクスコ人(最近の観光地化したペルーを憂う)とワイノを、ギターと チャランゴを交替で弾いて歌って、心底楽しくなりました。明日から私は肉体労働の職場にも 復帰の予定。休職中にのめり込んだスペイン語の集中学習も続行する予定で、寝る暇がない。
私の夢はかなう日が来るのかな?早く出会い過ぎた人、出会うのが遅すぎた人 ・・・もう一度出会えるだろうか?心から分かり合えるはずの人・・・もう一度正しく出会える その日まで・・・どうか遠くへ去って行かないでください。どうか、遠くへ行ってしまわないで ください。


2005.7.13

ペルー音楽というと、よく、「まったりした・・・」と形容される。でもじつは私がやりたい
音楽は、まったり系というよりも、べっけべけぇ〜の、けちょんけちょん系だ。
ときどき、自分がふたりいたらいいのに、と思う。どんなに上手い人が伴奏してくれても
それはそれ、自分のギターと自分のチャランゴを一緒に弾きたいという思いは消えない。
永遠に有り得ないんだけどね。(録音ではやはり、同時に弾くのとは違う。)
だけどなによりも、いちばん悲しく、紛れもない事実として目の前にあるのは、、、
「誰も、私の歌や私のギターや私のチャランゴを、聴きたいと思わない。」ということだ。


2005.7.21

やばいやばい。病院に行かなくちゃ!
肉体労働に復帰して以来、右手小指がどんどん曲がらなくなってきました。
しかし8月になるまでどうしても時間がとれません。
で、今日、初めて気づいたのだけど、小指、どえらく薬指側に曲がっています。
事故から2ヶ月半、、、今頃気づくなって感じですが。


2005.7.22

コユビって、何の役にも立たないようなちっちゃい指だけど、無いと困ることもある。
なにしろ小指が動かせないとクスリユビまでフヌケになっちまうから困っちゃう。
(皆さんもお試しください。コユビを立てたままでどこまでクスリユビが曲げられるか。)


2005.7.24

疲れが限界に近づいてくると無意識に、階段を昇るとき「いち、にい、さん、しい、、」と
数えたり、「ほいっ、ほいっ、ほいっ、、」とつぶやいたり、、、なんしかリズムを刻んでしまう。
一定のリズムを刻んでいると、長くてしんどい時間も乗り切れるのはなぜだろう?
歌や踊りが人を楽しくさせる秘密もそのへんにもあるのかな?


2005.8.1

病院へ行った。朝10時から午後3時半までかかって、レントゲンを4枚撮り、
診断書1通と、近くの開業医への紹介状を1通をもらった。
まあ、だからといってどうなるわけでもなく、心の納得以外に変化はなし。
今日も終電間近。月曜の繁華街は週末と違って「真の遊び人」が多い。


2005.8.2

美容院へ行った。ある漫画のセリフがツボにはまる。
『いつもこんな・・・理想と現実のギャップに歯ぎしりして気絶。』
気絶ってのが、全力投球感が滲み出ていて、なんとも、、、。


2005.8.6

『大熱帯展』の展示会場にて、SIN MALVIVIR で8曲演奏した。
なんだか音響のことをまったく考えてない場所での演奏(吹き抜けの広いホールで、 階段の上から1階の人に向けて演奏するという・・・)で、せっかく借りてきた サウンド・シエロの良い機材を以ってしても客席まで(席も何もなかったけど)音が届かなかった。 「なんかお客さんの反応が薄いな〜?アホなMCにも笑いがないし?」と思ってたら、 実はぜんぜん聞こえてなかったのでした。それどころか姿もよく見えてなかったらしい。 一所懸命演奏したのに、うう、ガクッ。
後から考えてみれば、物理的に無理な設定なのは一目瞭然だったんだけど、準備の時間が なく、経験不足なこともあり・・・、まあ、私らの考えも甘かったのだけど、イベント企画の 皆さん、二度とこのようなことのないようにね。。。 いっそ、お客さんから大ブーイングが出れば良かったんだけど。。。SIN MALVIVIRファンが一向に 増えないのは何故かしら?(私の性格が悪いから?) 演奏の善し悪しはともかく、 いい曲をいいアレンジでやってると思うんだけどなあ〜。
この日の演奏は、人の心に何も残せず、録音もできてなかったので、 せめて曲目を記録しておく。
Marcha Akuchimay, Ollantay, Cerrito de Huajsapata, Ama Qonkahuaychu, Totoras, El Condor pasa, Vaso de cristal, Loca Juventud.


2005.8.11

ぐにゃぐにゃ曲がりくねった山の尾根道をブレーキのきかない車で暴走している・・・
という夢を見た。このままでは確実に落ちて死ぬ!嫌だ!と思ったけれど、ふと、
「これは夢だから目覚めてしまえばいいんだ」と気付き、自分の意志で夢を終えた。
「夢ならば簡単」・・・という歌があるけれど、たしかに。現実はなかなかむつかしい。

すこうし泣きたくなったりもする。右手の小指は皺がなくツヤツヤと光って(パンパンに脹れて)
他の指とはまるで違う生き物のよう。ビールを飲むとそこだけ赤くなって、ウインナソーセージ
に似ている。第二関節は自分の意志ではいくら頑張っても30度くらいしか曲げられないし、
意志に反してそれ以上曲がったときには、とっても痛い。
少しずつでも良くなっていればいいけれど、何日経っても状態はまったく変わらないので、
このままではいつ治る日が来るとも思えない。それでも他人の目には、「3ヶ月も経つのに
いつまで言ってるの?」としか映らないのだろうな・・・。「たかが小指1本」とか・・・。

今日の朝ごはんは「そうめん」、昼ごはんは「きつねうどん」、晩ごはんも「きつねうどん」。
毎日がそんなわけではない。アンティクーチョにパパレジェーナ、そしてタコス、タコス。
アルゼンチン人がサンバを歌えば、ペルー人はサマクエカを歌う・・・そんな日もある。


2005.8.14

私の学校に友人が訪ねてきた。私は最近スペイン語を少し覚えたのを自慢しようと思い、
スペイン人の知り会い(男性)を呼んできて、彼女に紹介しようとした。
「こちら、私の友人です。ええっと、初めて会うよね?」「うん。大阪に住んでる人?」
「えーと、どこだっけ、Donde vives?(どこに住んでるの?)」
「ウイッ!?ケェッ!?」スペイン人の彼はすっ頓狂な声を上げた。
ん?聞こえなかったのかな?もう一度聞いてみる。「Donde vives?」
「・・・。」・・・沈黙・・・おかしいな・・・。(汗)
もう一度大きな声でゆっくり聞いた。「Donde vive usted?(あなたはどこに住んでますか?)」
「クエーッ!!!!」彼は奇声を上げるだけ。まったく通じていない。
そうか、しまった、うっかりしていた!彼はスペイン人ではなく、カッパだったのだ!!!
・・・へんな夢だった。


2005.8.21

20日〜21日、『かけゆストリートフェスティバルまつり(仮称)』に参加しました。
ロス・ムシスとシン・マルビビール、ふたつのバンドで演奏させていただきました。
のんびりと蝉の声の中、心地よい音楽がいっぱい聴けて、仲間と笑いっぱなしで、
楽しくて、天国のような2日間でした!


2005.8.22

仕事をひとつ、辞めた。自分でもわかっていたことだけど、
医師の口からそれを聞いて、やっと決心がついた。

「このまま仕事続けてたら、一生、小指、曲がらんようになるよ。
いくら治療しても、火に油を注ぎながら水かけてるようなもんやからね。」

「小指が痛くて曲がらない」というだけで、こんなにも多くのことができなくなるとは 知らなかった。たとえば、狭い場所にミニバイクを止めるとき、 左手でハンドルを持って、右手でバイクの荷台をヒョイと持ち上げれば簡単に方向転換 できるのだけど、小指を立てたまま4本の指で持ち上げようとすると いっくら頑張っても持ち上がらない!!! 信じられないことだけど。私が借りてる駐輪場は 地面が砂利で引きずることが不可で、めり込んじゃった日にゃあ、もう、どうしても動かせない。 今までなんでもなかったことが小指1本で、まさか、なんで?って感じ。 仕方なく、バイクを体で支えてハンドルを放し、両手で荷台を持ち上げようとして、バランスを崩し 倒してしまう。ミラーがぐにゃり。 そうこうしているうちに電車が行ってしまう。あうあう。早く出たのに遅刻。 ま、運転するのにも多少無理があるんだから、バイクなんか乗るなってことか・・・。
包丁を握ることもかなり難しいが、なんとか頑張る。硬いものを切るときは、ちょっと 泣きたくなる。玉葱のみじん切りは、かなり泣きたくなる。しみるとかじゃなくて。 そして、いくら根性で頑張っても無理なのが、皮を剥くとか海老の背綿を取るとか。 それと、掃除や洗い物は、とにかく恐怖。重いものを持ったり、固い蓋を開けたり、ほとんど拷問。 力を入れると痛いし、ぶつけたり引っ掛けたりしては20秒間飛び跳ねる。他の指にも負担が かかるせいか、どんどん痛い範囲が広がっている。手首や肘まで痛いし、親指も腕も常に筋肉痛。

こんなに無理してきたのにね、辞めるときはあっさりだった。
悲しいというより情けなかった。いったい何のために、誰のために・・・。


2005.8.24

縁の下の力無しは、ここに絶命・・・。ぷちゅん。(全崩壊)


2005.8.31

「ウオッシャブル!」とつぶやく。
悲しかったことを洗い流す。

土曜日、朝はマリネラの練習用スカートを縫い、夕方4時から9時すぎまで SIN MALVIVIR の練習。
帰宅後、スカートの続きを縫って、午前3時に中途挫折。Zzz・・・
日曜朝からアウトクトナの集まりでワカピンキージョを練習して、午後よりマリネラダンスの
レッスン(中途半端なスカートをはきながら)。夜は公園でクスコダンスの音楽隊。
月曜日、恐れていた筋肉痛もなく意外と元気。火曜日夜、またもや SIN MALVIVIR で集まり
充実した練習。すべてがとても楽しく、みんないい人ばかりで、
はい、このようにして皆様のおかげですっかり幸せになりました。(うるうる)

「ちゃんごら・・・」とつぶやく。これで満足してる場合ではなかった。
いつも私を悪の道から軌道修正してくれる天使に感謝しつつ・・・オヤスミナサイ。


2005.9.5

ビデオやDVDのある世の中で良かった。10年前にすでに録画されていて良かった。
出会えなかったことに、今からでも出会えて良かった。
頭の中のシミュレーションと現実は違う。「実現」してきた人々に敬礼。
きのうはギターの4弦と5弦を半音下げて、きょうは6弦を半音上げる!ウシッ!


2005.9.8

ふにゃっとしあわせだった数時間後に、きりきりきり、、と、きりで胸に穴を開ける。


2005.9.15

京都フォルクローレ音楽祭が終わり、あちこちの掲示板にもう少し反応があるかと思ったら、 労いの言葉は飛び交っていても、音楽そのものに対する感想はあんまりないので、このごろは そういうことネットに書いちゃいけないことになってるのだろうか?と躊躇してしまった。 が、まあ、ここは私の“ひとりごと”のページなんだから、好きなことを書いてみる。

まずは、9月10日(土)菅沼ファミリー@カサ・デ・ラ・パパ
小学4年生の息子さんのギターとチャランゴが上手いという話を聞いて、「“9歳にしては上手い” ってことだろうか?それとも、9歳にして大人並みの弾き方をするんだろうか? (ナマイキそうだな〜)」と思ってました。そして実際の演奏を見たら、どっちでもなかった。 はっきりいって、「大人並み」なんかではなく、そのへんの大人よりずっと上手かったです。 というか、「大人ではこうは弾けないよな〜」って部分もあって、妙に惹きつけられました。 物心つく前から弾いていたというだけあって、笑ったり話したりするのと同じくらい自然に のびのびと弾いてる感じ。考えて弾いてるって感じがしない。素直で嫌味のない音が生き生きと 躍動している。そいでもって、高音の切れも良くて、低音はびっくりするくらい力強く しっかりと確実。いや、もう、参りました。
いろんな曲をいろんなアレンジでやっていてアンサンブルとしても良いバランスでした。 お父さんの家族を包み込むようなあたたかさが素敵でした。

翌日、9月11日(日)第3回京都フォルクローレ音楽祭@パセオダイゴロー
十数組のアマチュアグループと2組のゲスト演奏。アマチュアグループも毎年どんどん演奏レベルが あがってきてる気がした。音響もよくなったし、司会も慣れてきた感じで、継続はかなり力なりって ことかな。
自分たちの演奏に関しては、初めて人前で演奏した頃は仲間がいろんな感想を言ってくれたけど、 このごろは聴き馴れたのかなんにも感想聞けないことが多いので(もしくは目立ったところしか みんな聴いてないので伴奏のリズムがどうだったかまではわからない)、自分で録音を聴くしかない。 反響しすぎでざわついた会場だけに、感度のいいマイクをいい場所に置かないと真実の音は 録れませんね。
今年の録音はいい感じでした。通勤電車で機嫌よく聴いています。やっぱり、 「ああ、楽しかった」だけで終わってしまうの、私は気持ち悪い。なんらかのフィードバックが ないと、やってて虚しい。
交流会はレストランを借り切って歌あり踊りありコントあり(?)のハチャメチャ大騒ぎで、 他のグループの人たちとそれほど話はしてないのだけど、まさに音楽で交流したって感じがして 楽しかった。こっちも録音したぜ!ガチャガチャした雑音や上機嫌の奇声なんかがライブハウス っぽくてまたいい感じ!

しかーし、ギターの上手い人って、たくさんいるなあ。その腕が欲しいよ、私ゃ。いや、腕よりも 耳?センス? 
しかーし、ワイノを弾く人は少なかったですねえー。ボコボコ弾いて欲しいよ、 アンカシーノ!(酔)
あれだけ腕があったら、ワラスもパリナコチャスもプキオもシクアニもアコマヨも チュンビビルカも思いのままじゃん? ん? ちがうか? ちがう、のかも。


2005.9.20

ある場面で、「チャランゴのポニタさん」などと呼ばれて、ちょっと違和感をもった。
私はチャランギスタではない。では、ギタリスタかって? そういう問題ではなく・・・
いろんな音を集めてひとつの音楽にできたらいいなあと思うだけなので、チャランゴの音が
欲しいと思えばチャランゴを弾くけど、いらなければ無理に入れようとは思わないし、
チャランゴを使っていろんなことをやってみようとか、ギターで何でも表現してやろうとか、
そういういう気持ちも特にないしなあ。そこまで楽器と一体になりきれてないってのもあるの
かもしれないけど、どうも楽器職人にはなれないのだった。


2005.9.21

ネットサーフィンしていてふと気づいた。ペルーワイノ・ファンはとことん少ないってことに。
「ペルー音楽」で検索すると、「ペルーには、ケーナやサンポーニャを使った“フォルクローレ”
以外に“アフロ”や“クリオージョ”の音楽もあるんだよ!」と説明するページがあったりする。
・・・あれっ?私の好きなペルーワイノは、どっちからもはみ出してるじゃん!


2005.9.22

暑い日は特急電車に乗る前に茶屋町の酒屋で缶を1本買うのが癖になってしまった。


2005.9.23

時代が変わったという理由だけで、まだ壊れていないものを捨てるのは忍びないけれど、
大量のフロッピーディスクを処分した。
1998年の暮れにペルーに行って、1999年に私のフォルクローレ人生(?)が始まった。
その頃ホームページ用に書いた自分の文章を読むと、あまりにキャピキャピしていて
この世のものとは思われない。(恥ずかしいっていうより、これ、誰!?)
自分でも言っていた。「わたしはフォルクローレの子供」だと。今は少し変わったかもね。
悲しいメールのやり取り、今でもニヤけてしまう楽しかったこと、いろんな時代があった。
でもずっと、変わらないものがある。これからもきっと、変わらないだろうものがある。(臭)


2005.10.13

二重螺旋綱渡り(きょう見た夢)
「もうこれ以上進めない・・・。」綱の上で立ち往生する私。足下の綱には足を一歩ずつ
引っ掛ける為のループがずっとついていたのだけど、それがこの先なくなっているのだった。
しかしよく見ると、ここから先は手すりの綱のほうにループがついている。
なるほど。ここでくるりとウエシタひっくりかえればいいわけか。よいしょっと。


2005.11.1

最近のビクビク。
日が短くなり真っ暗な午後7時の住宅街は、まるでコンピュータゲームのよう。
無点灯の自転車がぴゅんぴゅん飛び出してくるので、私のバイクはヘナチョコな走り。

最近のジリジリ。
小指のリハビリは、10歩進んで9歩下がる。それもとってもとっても小股でね。
そうこうするうちに時間だけが進んで、がるるっる。

最近のウハウハ。
さきほど、背伸びをしましたら、椅子の背もたれがすっぽ抜けて後ろにぶっこけました。
いや〜、びっくり!子供の頃はよくこけましたが。久々に爽快でした!


2005.11.7

中途半端なデジタルオーディオに心底腹が立つ。殺意を覚えるほど憎たらしい。
なんで「1回だけ」取り込めますなの? なんで編集ができなくなるの?
ピントはずれではないですか、著作権とか言われても。だってこの録音、私が演奏してるん
ですけど? 著作権があるとしたら、「私」じゃないの? なんで自分の演奏を自由に編集
できないの? 何故、この世にたったひとつしかない録音を、死に追いやろうとするの?
なんの役にも立たない録音機に、私は「バーカ!」と言うしかない。


2005.11.10

カメラ付き携帯電話にも「バカ、バカ、バーカ!」と言う。
友人に撮ってもらった自分の写真を自分のパソコンに自分で保存しようとしたら、また何か
制限がかかって難儀する。だから、写ってるのは「私」なんだってば。


2005.11.19

メディアの多様化、時代の濁流から『絶滅危惧音源』を救うため、私は私の部屋の奥深く、
(アルパを倒さないようにバランスをとりながら)アンデス山脈のようなCDの山を越え、
アマゾン奥地のカセットテープ領域に乗り込んで、ぐろぐろと配線をひくのであった。
さて、この魂の叫びたちを聴いて思ったこと、声を大にして言う。(文字を大にして書く。)

ゆめゆめ思うことなかれ。この音楽は・・・うまい、へた?

伝統音楽の場合さらに「ほんもの、にせもの?」なんて議論も加わることがあるけれど、
踏んではいけないそこここの地雷は、迂闊なふるいわけ。浅はかなレッテル貼り。


2005.11.22

ときどき無性にすべてを壊してしまいたくなる。「ゼロ」に戻りたくなる。
これは昔から私の悪い癖。。。でも今は一匹狼ではないので我慢する。

ホームページを開設したばかりの頃は、フォルクローレが好きという人を見つけただけで嬉しくて
すぐにメールしたり、リンクを張りあったものでした。今はそんなことしてたらキリがないので、
ごく身近な人が開設したときくらいしかリンクも増やさないようになりました。まあなんていうか、
都会の寂しさのようなものを感じないわけでもない今日この頃のWEB世界です。

私がいちばん好きなのは、クスコの田舎や、アプリマク、アヤクチョあたりのギターとマンドリン、
もしくはチャランゴの少人数編成のバンドだな。声を大にして言うけれど。


2005.11.23

『総合フェスタ2005』というイベントにて、SIN MALVIVIR で9曲、LOS CONDORITOS で2曲
演奏しました。LOS CONDORITOS はダンスチーム LAS LLAMITAS の伴奏団です。
録音を聞いたらそう悪くはなかったんだけど、音響設備がなかったので演奏中はお互いの音が
聴こえにくく、いまいち気持ち良くなりきれませんでした。やはり、『聴こえる』ということが音楽の
第一条件ですね。とはいえ、自分が聴くことより人に聴かせることが第一目的のときもあるのかも。
耳がまったく聞こえない女性がギターに合わせて歌っているのをテレビで見たことがあります。
それは、『信じる』ことで可能になるのかもしれません。


2005.12.4

アルゼンチンギターと歌の桑原しんいちさんの『ギター弾き語り教室・発表会』を見に行った。
心に響く歌を聴けたので、行って良かったと思った。
それにしても皆さん弾き語りといってもかなりギターに重点を置いた高度な演奏を目指されていて、
汗をかきながら取り組んでおられる姿がとてもいいなぁと思った。はっきりいって、うらやましかった。
「私は一体、何歳からギター弾いてるんだっけ?」と自分のことを哀れに思った。
捨てられた猫は野良猫としてたくましく生きていくしかないのか・・・。(誰か拾って!私を育てて!)


2005.12.9

『トロ』のライブに行った。フォルクローレに日本語の歌詞をつけて歌った歌を聴いていたら
自分が20代の頃作った歌を思い出した。南米の音楽などまったく知らなかったけれど、
童謡やアジアの民族音楽を意識して作ったうたは、どこかケチュアの音楽にも似ていた。


2005.12.11

『第3回吹田フォルクローレフェスタ』にて、20組出演の中、SIN MALVIVIR も4曲演奏。
「あがらなければ大丈夫だろう、普段の練習どおりできれば・・・」と思いつつも、超アガリ性な
メンバーをかかえる我がバンドとしては、五分五分の賭けでした。
まあ、今回はなんとかいい感じで演奏を終えました。録音を聴くといろんな粗が見えて(聴こえて)
うぎゃあ〜〜〜!発狂!だけど、ともかく今の私たちとしては十分な出来じゃないかと思いました。
3人からスタートして、今の6人になったのがちょうど1年前。チームワークもよくなってきたか?


2005.12.15

ひさしぶりに故中島らも氏の比較的古い本を読んでいた。お風呂の中で。缶ビール飲みながら。
氏の当時の本業であった広告業界の話で、“あまり話し方が流暢すぎると却って言いたいことを
相手に伝えない”というようなことが書いてあった。『技術を出さない技術』というところに、
思わず、ウンウンと頷く私。

とはいえ、ちょっと汗かきながら練習しないと弾けないようなチャランゴってのも、たまには
弾いてみたいもんだ。「そうじゃない、もっとこう!」なんて罵られながら練習したりしてね・・・。
誰にもけなされないかわり、誰にも褒められない。って、なんか子供の頃を思い出して悲しくなる。
いや、べつに褒められたいとか目立ちたいとかいうわけじゃなくて、、、そういうんじゃなくて、、、
あまりにも達成感が無くて苛立たしいんですね。次々と難しい課題を与えられて、汗かいて
練習して、ひとつずつクリアしていく、着実に上達していく、という人々の姿を目のあたりに
見ていると、なんだかとっても羨ましい。私ももっと、いぢめられたい!!!って思う。

結局、「自己流」の上達が遅いのは、「できることしかできない」からなんですよね。
やっぱり人間ちょっと「無理め」なことに挑戦していかないと、変わっていけないんですよね。
そうは言っても、CDを聴いて、どう弾いてるのかすぐわかる曲というのはもともと自分でも大体
弾ける範囲の曲なわけで必死に練習することもなく、逆に聴いただけではどう弾いてるのかわからない
ような曲は、どうやったら弾けるのかがわからないわけだから、練習の仕方もわからずお手上げ。
こんなふううに行き詰って、はや何年? 誰か助けて欲しい〜と叫び続けて・・・


2005.12.22

音楽のためにはまずは静寂な空間が必要。そんなわけで、ひとりの時間というのが大切になります。
そして誰かの音楽を聴こうと思ったら、あるいは誰かに音楽を聴いてもらおうと思ったら、(このとき
初めて音楽に名前や意味が付随するのかもしれません)、共有の時間というのが大切になります。
私は、宝くじに当たって大金持ちになって、「さあ、何が欲しい?なんでもどうぞ。」と言われたら・・・
、、こんな特別な時間を買えたらいいのになぁ、、と思います。


2005.12.22

20代の頃、思っていた。
・・・人間よりも、植物とかに生まれてきたかった、と。 (いちばんなりたかったのは、水。)

きょう、まっ白な雪がどっさりつもりました。

今思うのは、ともかく人間だったから今まで生きてこられたし、これからも生きていけるということ。
とっくに死んでいただろな。弱いものや、環境に適応できないものが容赦なく淘汰される世界では。
へなちょこな若い時代をなんとか乗り切れたとしても、もはや寿命。自然の世界・・・進化のための
徹底した合理主義の中では・・・。だけどニンゲンはもはや変化の速度を自粛すべき段階なのかも
しれず、、、もっとゆっくり歩くためなのか、私みたいな落ちこぼれも育ててもらって、ありがたや。
つまり何が言いたいかといいますと、、、生きててヨカッタ。って感じ。なんかバカみたいだけど。


2005.12.27

(Q)生まれ変わるとしたら、男か女かどっちがいいですか?
(A)んなもん、どっちだっていんだよっ!

時代が時代であればいろいろ大変だとは思うけど、まあだいたい今のような世であれば、
男であろうと女であろうと、私は私だし、好きな人はトモダチでありコイビトです。ちゅっ!


2005.12.28

年末そら耳ニュース。けっこう不謹慎で、ごめんなさい。

『奇跡の生還!家族とプチ再会!』(奇跡の生還!家族と無事再会!)

『雑巾職人、力を入れています。』(臓器移植に力を入れています。)


2005.12.29

歌うことが大好きです。下手だけど、好き。歌うのは気持ちいい。
歌うのは、走ったり、眠ったり、食べたりするのと同じくらい生理的に気持ちいい。
気持ちよく歌いたいだけっていうとき、「どんな難しいメロディーを歌ってやろうかな?」
なんて考える人は少ないと思う。体の中に音が響くのを楽しむだけ。びびびん、って。
楽器もそんなふうに、鳴らしていたいものです。


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