むこう川 2002


2002.1.1

ともかくも新年。今年はもっとクリアな見通しを立てたい。
冷静な判断。伝統と確信。ん?
受け継がれていく部分と新しい遺伝子の組み合わせである私の部分。
身辺整理。シェイプアップ。賢明な時間配分で上手くやらなくちゃ。
いちばん愚かなのは本末転倒というやつ。見失うな〜。


2002.1.6

途方もなく長い階段の下に立って、どうしよっかなあ〜?と考える私。
神さまから拒絶された者の運命やいかに…?


2002.1.14

スタイルに“イイ”も“ワルイ”もない!
問題は、ナイヨウのアリヨウ、それだけだ!
だからきみはいつでもきみの一番好きなスタイルで行けばいい。

人生は旅。旅の恥はかき捨て。
恥など掃いて捨てるほど!と吐き捨てる。
恥を公にして、「聡」となるのは本当か?


2002.1.26

きのう突然、胃痛と吐き気でバイト先から病院送りとなり、点滴するも
一向に回復せず、夜にはガンガン熱も出た。
今朝は熱も下がり妙に体が軽い。

目玉のレンズについていた汚れがどんどん取れて行くような、というと
大袈裟だけど、5センチ背が伸びれば違ったものが見えてくるように。
子供の頃は、すべてをわかりたかった。その反面、クリアーな目玉には
世界がとてもつまらなく映るんじゃないか?と不安を抱いていた。
でも、そんな不安自体が殻の中の屈折した考えだったのだろう。
いろんなことが、いろんな人が、ますますいとおしく思えてくる。


2002.1.27

すべての善なる才能は生かされるべきなのに。
世界のあっちこっちに埋まっているのだな。
『先生』が不足してるのだな。絶対的に。
もったいない子供達がたくさん待っている。

たけのこ!掘り起こして!


2002.1.28

好きな映画
『パンダコパンダ』 宮崎駿(原案・脚本)、高畑勲(監督)アニメーション
『同(続編)雨降りサーカスの巻』


昔、何を見ても悲しくなるほど神経参ってる時期に、知人から勧められたのだが、
“両親のいない子供が健気に明るく頑張ってる”という設定が、とても嫌だと思い、
見ようとしなかった。最近になって何故かビデオを買ってしまったのだが、なんとも
バカバカしく、ほのぼのした子供用(幼児向け)アニメである。
ある日小学生のミミ子の家に、パパンダ(父)とパン(息子)のパンダ親子が
やって来る。ミミ子はパパンダに、「私のお父さんになってね!」とお願いする。
「そのかわり私はパンちゃんのお母さんになるわ!」と言う。
(う〜ん、パパンダからすると息子のパンは孫になってしまうのか??)
という不思議な関係が、なぜかごく自然である。
ミミ子はパンちゃんの理想的な母親である。あんな優しげな女性が、本物の
母親として登場すれば、「げっ、嘘くさ!」と思ってしまうところであるが、
(未だにひねくれているのか?私。(^_^;)ミミ子が小学生というのがいい。
ちょいと無理して背伸びしているに違いない母親ぶりである。でもミミ子はそんな
自分の状況にまったく無頓着というか、その能天気ぶりは見習いたいものである。
私はマジでこの映画は傑作だと思っている。後の作品群と比べても、30〜40分の
短編であるという点だけでも、ずっと素晴らしいと思う。
(小さな子供が1時間もじっと座ってられるかよ〜っ!)
しかし、だからといって今すぐビデオ屋に走ろうと思ったアナタ、言っておくが、
いい大人が感動して涙するような作品ではないのでお間違いのないよう…。
(わるい大人である私はたまに泣いたりする)


2002.1.28

どんなに好きな音楽でも、そのときの気分に合わなければ聴く気はしない。
だから結局、選ぶのは「聴く人」だ。無限の状況の中で…。
「選ばれよう」なんて考えるのは辞めた方がいい。


2002.1.28

子供は走るのが好きで
少女は前髪が5ミリ短いと泣いた

君はひとつの山を登りきり いい景色をながめてる
とても気持ちいい風を 感じているところ

君のタマシイが好きだ
とはいえ きれいな君には見とれてしまうけど

安心しておやすみ 星が見守っている
明日からまた 黙って歩き始めよう

          (『頂上の小屋』より)


2002.2.13

変なところでチカラ入りすぎたり
肝心なときにボーッとしてたり…
まだまだコントロールが甘いな。


2002.2.21

現在わが家では物置きのような部屋に篭もらないとカセットテープが聴けない。
なので、聴きたいテープはMDにダビングしているのだが、きちんとタイトルを
つけてなくて、何がなんだかわからないMDが山積みになってしまった。
通勤電車でひとつずつ聴いていたら、今朝、宝物音楽に出会った。
最近はますますジャンルにこだわらず何でも気に入ってしまう私だが、
「うん、なかなか良いねえ〜。」なんてもんじゃない!
頭から湯気が出そうなほど私が本来好きなのは、やっぱりこれだよ!と思った!
どうやらペルー、クスコあたりの古い演奏で、ケチュア語のかわいい女の子の
声に、例のテープ逆回転みたいな変なギターやらバンドゥリアやらが延々と…。
前に立っていたロック系兄ちゃんに、思わず「聴いてみ!」と、ヘッドホンを
差し出したくなっちゃいました。ググッと押さえるその衝動…。(^_^;


2002.2.22

今朝、アルパを弾く夢を見た。パラグアイ・アルパの形で大きさは普通の
半分ぐらい、という変な楽器ではあったが…。(しかも弦はゴムバンド製で
ビロンビロン伸びてとっても弾きにくいのだった! (^_^;)
私はペルーのアルパが大好きなので、もっと多くの人に聴いて欲しいし
弾いて欲しいと思う。私もいつか弾けたらいいなあ〜と思う。
でも、今はそれより先に、すでに持っている楽器をどうにかしなくては…。
まずはペルー製バンドゥリータちゃん。
ときどき弾いてはみるのだけど、弦が今にも切れそうなほどサビサビで、
まったく音が響かず、上手くも弾けないので、つい放ってあるのだ。
今年のお正月、これとよく似たエクアドルの楽器に触わらせてもらって、
その素晴らしい音色に驚いた!うっ!これはイケナイ!うちの子だって
手入れすればちゃんと鳴るはず!だよ〜ん!早くなんとかしなくては…!


2002.2.24

ついに決心し、16弦のバンドゥリアの弦をすべて張り替えた。
んもう、居ても立ってもおれなくなって、町の楽器屋さんへ連れて行ったのさ〜。
ロックな店員さんに、同じ太さのエレキギターの弦を選んでもらったのさ〜。
弦の太さは2種類だった。本数は多いけど(20弦のも見たことある)、2種類の
弦で良いのだったら、見かけよりはお手軽な楽器と言えるかもしれないね。
さて、1時間半もかかって(相当どんくさい (^^;)すべての弦を張り替えると…
別人(別楽器)のように美しく蘇ったよぉ〜!ボディもオイルで磨いたし!
音もスンゴイよぉ〜!急に10倍上手くなったような気になるぐらい!
うしししし!(でもゼロの10倍はゼロだ、うぎゃあ〜!)

私としては、ピック使うの下手なのでマンドリンより好きだなあ〜。
というか、最近アルパやギター系の楽器が好きで、マンドリンやチャランゴ系が
ちょっと苦手になってるんだなあ〜。困ったことだ。

ふむ、今、「系」などと書いてしまって、ふと思ったんだけど…
ペルーの曲って、楽器が変わっても同じ(ような)音を出してることが多いような?
アルパとギター、ギターとバンドゥリア、バンドゥリアとチャランゴ、チャランゴと
マンドリン、というように。
そして特におもしろいと思うのは、“バンドゥリアとチャランゴのアルペジオ”とか、
“チャランゴとマンドリンのトレモロ”など。楽器の構造が(チューニングも)違う
から当然、弾き方がぜんぜん違うんだけど、聴いてると同じ音に聞こえる。
逆に、チャランゴの指使いでバンドゥリアを弾いたら、この曲があの曲になるとか、
そのようなことがあるようなないような…。(^o^;
(↑ 感覚のみでイイカゲンなことを言ってます。真に受けないでね!)


2002.3.16

えー、歳をとると時間の経つのが早い、などと申しますがー
クルクルと早回しで巡ってくる日本の四季が楽しめるのは
気の短い私にとって大変嬉しいことであります。
(都会でさえ四季はそうとう美しく、今年の冬も幸せだった。)
10代の頃は、「今しかできないことを…」と思って、未完成を承知で
デタラメな絵や言葉を書きまくったり無茶な音楽を作ったりしたものだった。
今は今で、歳くっちまった自分だからこそできること、てのがあるのかな?
などと思う。例えば桜の花を見ても、思い出す事柄は年々増え、その
ひとつひとつが自分勝手な思い入れと共に混ざり合っていくのだから。


2002.3.18

おあそび。 que?


2002.3.19

ある未知の国のモノについて知りたいと欲している。
そしてそれについて、「それは何という…」とか、「ホントウは…」とか、
「フツウは…」とか、どうでもいんだ。
呼び名は知らなくてもいいし、理屈は自分の中で組み立てるだけ。
たとえば能天気なラブソングに変換して歌ってみるか。

  キミのナマエはしらない〜
  でもキミのことは知ってる〜
  ボクの手の中でうたうキミを知ってる〜
  トモダチはあきれかえってるう〜
  オカーサンは目をそらすう〜
  だけどボクは とってもシアワセッ!
  るぅ〜らっらっら るぅ〜らっらっら
  キミの存在が シアワセッ!シアワセッ!シアワセッ!
  キミを見つけて シアワセッ!シアワセッ!シアワセッ!

日本人はモノに新しい名前をつけるのが得意だ。(商売上手だから?)
増え続ける名前のおかげでいろんな話ができるようになったけど、
もはや実体の見えない名前ばかりが、預金通帳の数字みたいに
右へ左へ移動し始めると、何もわからないまま“伝わったつもり”だ。
もどかしさでいっぱいだよ〜ん。

ともかく行きたい。見たい。聴きたい。さわりたい。
よく知りもしないコトについて話している自分にうんざりだー。


2002.3.30

人はどこまで分かり合うことができるのだろう。。
言葉はどこまで有効なのか。。
言語が生活や思考の様式に及ぼす影響は。。

私は戦争や宗教の暴力を体感したこともなければ、
わがままな子供のようにジタバタと生きてきただけ。

人は泣く。なんで泣く。救いを求めて。
まっすぐ、まっすぐ、すきとおる目。
今までこんなにきれいな目を見たことなかった。

緊張した現状の中で覚醒した光を放つ目。
調和と安心を抱いたあたたかい目。
どちらも私が持ち得ないもの。
不必要なものを身につけすぎたせいなのか、
毎日毎日、不必要に悩んでばかりでは。。


2002.4.5

昔っから思ってたんだけどさ、「ハッピーエンド」って何???
終わっちゃうのにハッピーなの?うそ。
終りはいつも悲しい。その先にある始まりに希望が見えたとしても、
終りそのものは、いつでも悲しいもんじゃないのだろうか?
だからといって、無賃乗車にビクビクしながら目指すべきかどうか?
「永遠」という名の執着駅。


2002.4.19

想像と現実のギャップはいつも大きくて、それこそ想像を超えている。
くだらない疑心暗鬼が生み出す陳腐な未来予想図は、
(…まったく、ニンゲンを甘く見てはいけないな…)
思いもよらない解決策で、こっぱ微塵に吹き飛ばされる!
とどのつまりは…、黒い瞳に完敗!!!


2002.4.29

ボンボの講習会に行ってきました。
基本型ワンパターンを叩く練習に終始しながらも、いろんなリズムへの手掛かりが
垣間見えた気がしました。私は10種類のリズムを覚えるには10種類の叩き方を
一から覚えないといけないと思っていたのですが、どうやらそうではないのかも?
基本はひとつで、すべてはバリエーションなのだという気がしました。
以前の自分の常識では考えられないけど、2拍子も3拍子もアクセントの位置が
変わるだけ、それに合わせて長さや叩く場所をちょっと変えるだけ、だから何も
10種類の形をノートに書いて覚えたりする必要はないんだなあ、と感じました。
おそらく、すべてにおいて彼らはそういうやり方なんですね。


2002.5.2

問題は、そのコトバが嘘か本当かではなくて、
そのヒトが信じられるかどうか。
でしょ?ねえ、どっちを信じるつもり?私は。


2002.5.3

世間はゴールデンウィークだっつーの。いつもの通勤電車も
子供連れで満員だし、外はメチャクチャいい天気。
ランチは河原の土手でワインとトリカラにしてやった。うっしっし!
は〜〜あ、報われるのなら、どんな努力も惜しまないんだけどな…


2002.5.4

彼らは決して“イイカゲン”なわけじゃないんだけど。
“アバウト”なんだよね。(笑)


2002.5.17

前にも言ったけど、神様、あんた一体、私に何をさせたいの?
強くなりたい。強くならなきゃ。強くなろう。
みんな笑ってるポニタが好き、だよね。
私だって、泣いてるポニタは嫌いだ。
でも泣いてるポニタを受け入れないと、いつまで経っても
悲しいのが止まらないよ?


2002.5.20

5月19日。どしゃ降り雨 のち 晴れ。
ロス・ムシス、2回目の『三木山フォルクローレ祭』出場を果たしました。
今年の出場者は22名。演奏はまあまあ良かったようで一安心です。
細かい点はおいといて、全体としては、リズムが著しくズレたり、間違って
オロオロしたりということもなく、なんとかまとまったようです。とにかく大人数
なので、「元気が命!」とばかり張り切り過ぎ、攻撃的な演奏だったかも…?

実は今年は、三木山どころじゃねぇよ、の心境だったのも事実でした。
というのは、1週間前からミゲルが下血、三木山翌日に内視鏡検査を
受けることになり、当日は決められた時間にお湯で溶かす類の検査食を
摂る以外は絶食ということでした。でも、自宅でじっとしているよりもずっと
気が紛れて良かったようです。ビールが飲めない腹いせに楽器や衣装を
買いまくっていた(便乗商法という?)気もするが…。
まあ、今回だけは大目に見てやろう。今回だけだかんね!!!


2002.5.22

たったひとつの出来事で、それまでの真心や真実が
すべて嘘になってしまうなんてことがあるのだろうか。
人は皆、なすすべもなく。運命に従うのみ。


2002.5.24

何かフォークソングの歌詞が手帳に走り書きしてあった。

    風がとても強い
    こんな日を待っていた
    つないだ牛を放す…

えっ…??
本当は『手を放す』でした。こんな風の強い日に手を放したら、とても
遠くまで飛んでいってしまうだろう、というラブソングのはずなのに
字が汚くて『牛を放す』と読んじゃったらば…
ああ〜、しみじみ、牧歌的〜。“牛を放す”かあ〜。イイナ。
願わくば、こういう世界に生きたいものだなぁ〜。うん〜。


2002.5.25

マイナス、マイナス、マイナスだあーー!
気分がマイナスに落ち込んで、プラス方向に進もうと
もがけばもがくほど、ますますマイナスだーーー!
あきらめて進むのをやめる。
2、3歩下がって空を行くジェット機を眺める。
もと居た場所はどこだっけ?
プラスを求めようとするな。
深呼吸して、ゼロにリセット!
3、2、1!ほら、簡単!
…ダメ?


2002.5.26

帰宅途上の道端で、ふっと気がついたんだ。今の私の状態は、
明らかに病気。
そう、病気だったんだ…!貧乏神にとりつかれてるわけでも、
不幸な星の下に生まれたわけでもなくて…!
そうとわかれば治療すればおしまいだ。この病気は薬で治る。
うんうん、防衛規制も正常に働いているな、まだ大丈夫。


2002.6.1

やっと落ち着きました。…というか…。オチがつきました。

ミゲルは去年の夏から、ダイエットもしてないのに意味なくどんどん痩せてきて、
おおよそ20キロ減。そしてこのところ全身がだるいと言い、挙げ句に下血。
内視鏡検査でポリープがいくつかある、などと言われた日にゃあ、誰だって、
あの病名が頭をよぎるのではないでしょうか。痩せた背中を見ていると涙が…。

それが、「痔」と「糖尿病」だったなんて。
どちらも大変な病気ではある。が…。
この2週間の涙を返せ、とちょっとだけ思うのだった。


2002.6.15

何が起こってるのか、なんて誰にもわかんねー。
未来はアミダクジ。どこにドボン!かわかんねー。


2002.6.16

寿命なんて誰にもわかんねー。
一度覚悟を決めたら人間強くなるもんだ。


2002.6.18

まずは、クスコ製アルパをゲット。偶然にも憧れの某氏とお揃いのモノ!
ケルマントゥのお店『Quero's』に初めて行ってみたらば、少ないながらも
ペルー盤CDあり。Mannuelcha Prado と Raimundo Thevenot をゲット。
その後コチャバンバ大阪へ1年ぶりぐらいで行き、ライブ情報などゲット。


2002.6.29

蒸し暑くなる前の、肌寒い雨の季節が好きだ。
大好きなクチナシの花は、顔を寄せてもしらんふりで、通り過ぎてから
いい香り。憎いねぇ、このやろー。

なんとなく感じるのは…地面の下で、新しい世界に向けての準備が
すでに始まっているんじゃないかってこと。姿勢よくしていよう…。


2002.7.1

ワールドカップも終わってしまった。
べつにサッカーファンというわけでもなかったが、なんとなく寂しい。
そういえば、中学校に入学したとき、女子サッカー部を作ろうと思ったんだ。
べつにサッカーファンでもなかったが、バレーボール部やテニス部など、
なんとなく「女っぽい」クラブに入るのが厭で。(その頃の少女漫画の影響で、
「女同士のイジメの世界」というイメージがあったのだ…。(^^;)
結局、女子サッカー部は、私ともうひとりしかメンバーが集まらず不成立。
その子も私も、ソフトボール部に入った。野球好きなわけでもなかったが、
野球部とお揃いの、ぜんぜんかわいくないユニホームは好きだった。
ソフトボール部はアッサリした子が多く、いつも練習より冗談ばっかりで
楽しかったが、弱かった。一緒にサッカー部をつくろうと言った彼女だけは
大変な努力家で、いつもひとり黙々と素振りをしていた。何事においても
怠惰を許さない彼女は、高校も学年トップの成績で卒業。英語を勉強して、
よく話していた通りに、アメリカ人と結婚してアメリカで暮らし、子供には
中学の時から決めていた名前(私は冗談かと思っていたが)を本当につけた。
夢をひとつずつ叶えながら着実に人生を歩いているように見えた彼女だが、
まだ赤ん坊のその子を残して、死んでしまった。


2002.7.2

他の掲示板で話題になっていたとき書きそびれたテーマ。
その1…『好きな絵本』
金の星社『ひとりぼっちのこねこ』松下佳紀・作/井本蓉子・絵

私はこの本を読んで(見て)泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて、
どこからこんなに涙が出て来るんだろうと思うぐらい泣いた。

その2…『私の最初の記憶』
ベビーベッドに寝かされていた。見たことのない殺風景なガランとした部屋。
化粧臭いおばさん達は意味なく私のほっぺを押したり大袈裟でわざとらしい
笑顔を近づけてくるので嫌いだ。私が好きなのは若くてきれいな彼女だけ。
彼女が部屋を出て行きドアが閉まると、不安になって私は大泣きした。
死ぬほど泣きまくっていたら、彼女は戻って来てくれた。何泣いてるのって
呆れた顔で。一緒に戻って来た女達も、私がこんなに悲しいのに、なんで
笑ってるんだよう!?一行が再び部屋を出て行き、またも大泣きする私。
もう一度戻って来た彼女はもう笑わずに何か言った。三度目に彼女が
部屋を出て行ったとき、いくら泣いても叫んでも、もう戻って来てはくれ
なかった。もはや部屋には彼女が出て行った扉だけしかなかった。

ついでに…『こんな子供だった』
幼稚園ぐらいの頃だろうか?誰かが看護婦さんのことを『白衣の天使』と
言うのだと教えてくれた。そのときから私の中で母親のイメージは
白くぼうっと光る輪郭となり、羽根を生やして宙に浮かんでいた。
そばにいると、声と感触とホルマリンの匂いで安心できたのだが、遠目に
見てどれが母か認識するのはひどく困難だった。間違って他人に声を
かけてしまわないか不安で、いつも向こうから声をかけられるのを待った。
かなり大きくなって、髪型やメガネの形、服装などを手掛かりにするという
手段を身につけるまでそれは続いた。それもメガネを変えられたりすると
もうお手上げ。どれが本物?疑。疑。疑。


2002.7.3

人は誰でも病気になる。それは必要なことなのか?


2002.7.4

何故みんな、見て見ないふりをするんだろう?
たくさんの人と、もっと深く関わりたい。と思うことがある。


2002.7.3

中津は公園と樹と花の多い町で、私は花の名前をつぶやきながら歩く。
キキョウ(えらく大輪だなー!)、ベゴニア、ペチュニア、サフィニア、
マリーゴールド、ヒマワリ(早いね!)、カンナ(これまたでかい!)、
ユリはまだ蕾、クチナシ、シャクヤク、サルスベリ、ムラサキツユクサ、
オシロイバナ(懐かしい!)昔、園芸関係の本を眺めるだけが楽しみ
だった日々のお陰でたくさんの名前を言うことができる。
でも花の名前を並べると、原マスミの歌を思い出しちゃう。

   くりかえし、くりかえし、なぜまた咲くのかな
   君のいない この世界で

今年も原さんの関西ライブの案内が来ていたけれど、申し込まなかった。
平静に聴ける自信がなかったから。


2002.7.7

フヌケのような1日。だめだこりゃ。
七夕さん、晴れて良かったね。って、年に1度でホントにいいの?
会うたびひとつ歳をとっているんだよ?歳をとるのが恐い年頃の私と
しては、恐ろしすぎるな。でもホントは歳とるとかそれほど気にしちゃ
いないのかな私。ほら、今日も何もせず1日を無駄にしたぐらいだし。
…うぅ、だめだこりゃ。


2002.7.29

最近よく、空気の匂いや気温や湿度によって、いろんな過去に体験した空間を
思い出します。子供の頃に佇んだ見知らぬ土地の山小屋の日暮れだとか…。
非日常的な空間、自分が誰なのか分からなくなる時間に迷い込みます。
(ボケの始まりでしょうか。)
MISTIの他、ISLA DE LA LUNA、IRA Y ARKAなどなど…、日本にいて生で聴ける
とは思わなかったような種類の音楽を立て続けに聴いたせいでしょうか?
心はトリップ気味な今日この頃です。

20、21日連休、犬山ラテンフェスティバルで夏休み気分を満喫!
ペルー音楽生演奏を聴きながらバスでのどかに移動…気だるく暑い昼下がりの
パティオ…。近場での1泊旅行ながら、まるで海外旅行のような味わいでした。
そして1週間後の28日は、大阪インティライミにて、LOS MUSIS ではしゃぐ。
ゲストは迫力の LUCILA CAMPOS y SU GRUPO…またもや、かの国へワープ!

今年の夏は暑い!熱すぎるぜよ!!!
「人生は一度だけ」…この言葉は、限りなくヤケクソに近い!!!


2002.8.5

“プロフェッショナルな活字&グラビア”もあれば、“人を舐めたような素人本”も。
さまざまなニンゲンのさまざまなソウゾウブツが溢れかえる大型書店を回遊して。
私は何も手に取ることなく店を出る。
今は人の人生にまで構っていられない。
私のことを描いた本があるのなら教えて欲しいけど。


2002.8.10

キューバのサルサバンド、“チャランガ・アバネーラ”の大阪公演を見に行きました。
オールスタンディングで朝まで踊れるサルサパーティー形式だったのですが、
“田舎音楽”好きの私としても、不思議と居心地の良いイベントでした。(とはいえ
朝までいたわけではないが。)じつは私の目当ては、ゲスト出演の“ルシーラ・カンポス”
(ペルークリオージャ音楽)と“ワンカル”(クスコ出身フォルクローレ・グループ)でした。
ワンカルは1年以上ぶりに来日時のメンバーが揃ってる姿を見れて一安心。
ルシーラとそのグループは、んもう、ホンマにゴージャスでした!生き生きとキュートに
踊りながら歌うルシーラと、ラテン系のお客さんの掛け合いは本当にノリが良くって、
心の底から音楽を楽しんでいる人たちをそばで見ているだけでも気持ち良さを感じました。


2002.8.16

世間は「お盆」。いつもの電車も客層が違う。
いつもどおりに暮らす私に、メキシコ人が言った。
「ポニタは、お墓マワリしないの?」
それを言うなら「お墓参り」。
親戚中のお墓を、それこそ「お墓回り」する人も多いというのに、
親兄弟とすらご無沙汰、いやはや罰当たりな私である。


2002.8.19

17日、18日の2日間、長野県鹿教湯温泉にて開催の
『かけゆストリートフェスティバル(仮称)』に参加してきました。
いかにも『まつり』という味わいの素晴らしくあったかい手作りイベントで、
昼は露店と演奏、夜は懇親会にてスタッフ・出演者合同の飲み会。
楽しげな人々の顔を見ているととても幸せです。踊る!笑う!壊れる!
個人的には、宴席の一角での鉄弦チャランゴ・ポトシ大会が至福でした。


2002.8.22

お盆を過ぎてから、9月下旬のような気候が1週間近く続いている。
さわやかすぎる朝晩の空気がとても物悲しい。
しかし、いい歳をした既婚の女が、「人生とは…」などと語り出した日にゃ
「家庭不和か欲求不満か?」と詮索されるのがオチであるからして、
哲学的思索は胸中に留めることとする。

それにしても貴重な体験、密度の濃い時間をいくつか過ごすことができて、
『空間』や『時間』は、“人が生み出すもの”でもある、と思ったこの夏でした。
眼精疲労とお肌のかさつきには、“天然目薬”が効果絶大ということも発見。


2002.8.24

ギター教室の友人が、『さらばアヤクーチョ村』をCD等で聴いたことないと言うので、
録音してあげようと思いました。とりあえずいろんなバージョンがあった方が参考に
なるだろうと思い、10枚以上のCDに入っていたこの曲を全部録ろうと思いました。
こんなMD貰った方は迷惑かも?という考えが脳裏をかすめはしたのですが…(^^;
とりあえず、ポップス的アレンジでケーナや歌が入って旋律のつかみ易そうなもの
から録音し始めました。と、数曲めに、ラウル・ガルシアとハイメ・グアルディアの
デュオを聴いたらば、「うぅっ!」と唸って、それまでに録音した数曲を一発消去して
しまいましたあ〜!「これ聴いときゃオッケーじゃんん〜〜〜!」て思った。
後は、本場物のギターソロ、アルパソロ、女声歌物をひとつずつ…という感じで、
結局、4〜5バージョンに絞って録音。うんうん、うんうん。これでいいのだ。

この夜、CDがバラ蒔かれた状態の部屋にみきやんが遊びに来て
怒涛のひとときを過ごすこととなる。


2002.8.31

6人の南米人を含む十数人で飲みに行った。何度でも乾杯するのはいつものこと
だけど、なんでああも男同士で抱き合ってばかりいるのか?この暑いのに!(笑)
でも、WANKARの兄弟3人が抱き合っているのを見るとなんだか嬉しかった。
ITALO、TAN~Aとほんの少し音楽の話をしたけど(SANDROは依然日本語が苦手)
彼らの目指す方向は間違ってないし、真っ直ぐ突き進んで欲しい、と思った。
いつも私は、ひとりの作った曲が兄弟たちの手によって見る見るうちに味付けされ
膨らんでいく様を目の当たりにして、魔法を見るような驚きと同時に、この上ない
羨ましさを感じていた。(私は昔一人で多重録音とかやってたからね。)
私は最近まであまり人と交わらず、仕事も遊びも独りで出来ることを好んだけれど、
今は人と一緒に何かを生み出す、1+1>2 のおもしろさをもっともっと追及
したいと思う。何をするでも、ひとりはつまらない、と思うようになった。


2002.9.13

天気のいい日は幸せ。 どんなに悲しくても。
風のいい日は幸せ。 たとえどんなに悲しくても。


2002.9.17

夢を見た。
私が部屋にいると、誰かが入り口のガラス戸を叩く。最初はセールスマンと
思って放っていたのだが、様子が変、助けを求めている? 戸を少し開けると、
その人はどっと私の腕の中に倒れ込んで来た。びっしょり汗をかいて、身体が
ものすごく熱い。すごい熱だ。ずっしりのしかかる身体の重み、熱、汗で濡れた
感触はとてもリアルで、私のお腹に流れてくる熱い汗は、血がドクドク流れて
いるのかと思うほどだった。 もしかして本当にお腹を刺されている??
この人…、死んじゃう…!?? …そう思った瞬間…
目の前を白い小さなオバケのようなものがクルクルクルと円を描いて舞い、
「死」の恐怖に意識が遠のき……戦慄とともに目が覚めた。
真夜中に、私は少し泣いた。朝になると、雨がザアーザアー降っていた。
私には何もできない。手を伸ばしても二度と届かない夢の中の人だから。
どうか死なないでいてください、と祈るしかなくて、涙が止まらない。


2002.9.18

お使いで、荷物を受け取るために、見知らぬ外国人女性(日本語力皆無?)
とホテルのロビーで待ち合わすことになった。目印にとペルーの国旗を持たされ、
「ペルー旅行社の添乗員で〜す♪」という感じだった私。
けれど、英語とスペイン語を混ぜて超早口で話す彼女(結局どこの人?)に対し、
私は最後まで日本語だけで通してしまった。英語か西語かどっちを使えばいいの
かと迷った挙げ句、「有り難う!」「左様なら!」までも日本語になっちまったのだ。
うう〜こんなことでは本物の添乗員にはなれそうもないね〜。


2002.9.20

新しいプロジェクトが、水面下ですでに動き始めていたらしい…?
知らなかったのは私だけ?
共同作業でひとつの作品を仕上げるという感動を覚えたばかりなのに、
私は自分のこの手で、大切なものを壊してしまった。
Yo vivire teniendo este dolor.. vivire con este dolor toda mi vida.


2002.9.25

いつだったのだろう?中津の公園でギターの練習をする私を、彼は見かけたという。
そしてあまりの熱心さに、「もったいなくて」声をかけられなかったと言う。


2002.9.23

22日〜23日は『アマウタ』のギター、チャランゴ、サンポーニャ、スペイン語教室
合同合宿でした。それぞれの教室の発表や即席混合グループなどで騒いだ後、
プロ歌手、北川ユミさん(元シモンズ)の参加もあって、『懐かしの70年代フォーク
ソング大会』となりました。全体に、フォルクローレ色はやや薄めの合宿でしたが、
たまにはそれもいいですね。琵琶湖はキラキラと美しく、風が気持ち良かったです。

    写真:AMAUTAより

2002.9.28

今日は「出会い」もしくは「再会」の日だった。
先週、某友人からクスコの写真が欲しいと頼まれていたのだが、あまり良いものが
見つからず、3年前ペルーに行った時たまたま同じカウントダウンパーティに招かれ
ご一緒した日本人男性に連絡をとってみたのだ。その方とはほんの数時間だけの
お付き合いだったのだが、日本に帰ってから、それはそれは素晴らしい写真を大きく
引き伸ばして送って頂いたのだった。ところが、せっかく頂いた写真は、アルバムを
回覧するうちに紛失しており、残しておいた手紙の電話番号も通じず、万事休すか?
と思ったのだが、電話帳を調べて、なんとか巡り会うことができたのだ。
そして、その写真を欲しがっているのが、パーティーをした家の親戚でもあり今日本
で頑張っているペルー人青年ということで、なかなか素敵な輪が繋がったという感じ!
他にも今日は、スペイン語を勉強している女の子ふたりとも仲良くなれて嬉しい!


2002.10.2

能天気女なので空が晴れるとそれだけで元気です! ああほんとにずっと雨が降ったりどんより曇ってばかりだったで久々の太陽ぢゃありませんか! おっしゃあ〜!こんな日は体を鍛えましょう!何?これ以上筋肉つけたら恐いって? ごもっともでやんす!だけどこの弱い頭と弱い心の鍛え方がわからないのでとりあえず! 体でも鍛えておきませんかってことなんですわ、要するに。
骨太筋肉質なわりにこの1ヵ月扁桃腺腫れっぱなしという情けなさでもありますし。
あああああそれなのに、美しすぎるアヤクチョワイノとアルゼンチンのトローバに玉砕!!
精神年齢は生後3ヵ月。泣いても泣いても涙は枯れず。 ダメダメですな。最低。


2002.10.5

世界は夢から覚めているのに、私だけが夢の中から抜け出せない。
二重写しのフィルムを見ているよう。どれが真実で、どれが私の夢?
みんな変わって行くのに、私の時間だけが止まっている。


2002.10.7

ただひとりの人を想って作られた歌も、歌として生まれたからには、
別の人に捧げられる日も来るだろう。
いい音楽ならば永遠に、誰かが誰かのためにそれを奏でるだろう。
詩人の想いは、死んでも誰かの中に生き続ける遺伝子のよう。


2002.10.15

最初からアホなのはわかっていたけれど我ながらここまでアホとはね。
頭の中が空っぽです。

よくある勘違い。
人を傷つけてしまった、と思って悩み苦しんでいたら、実はその人は
何とも思っちゃいなくて、自分ひとりで悪夢に溺れていただけ。とか。
よくあることです。

さあ、明日から元気にキリキリ働きましょう!


2002.10.16

箸がこけても涙がこぼれる年頃です。
特に町を歩くと切ないのです。
たくさんの人に心配ばかりかけて困ったものです。
涙が止まらないといっても鬱病とは違うのです。
それはよく知っているので、確かに全然違うのです。
この痛みを私は決して忘れないし(病気の時の苦しみは治癒と共に忘れるらしい)
詩や音楽や文学だって生み出せるような気がしています。
(分裂病は知らんけど、鬱病の時は創作活動できない人が多いらしい)
私はケムシの子供。取るに足らない存在。
だけど希望ある新しい世界が始まるだろう…


2002.10.26

いよいよ、道がなくなってしまった。そう感じたのはふた月も前だった。
当然のこと。崖っぷちに向かって歩き続けていたのだから。先のない道と
知りつつ進んで来たのだから。吊り橋かなんかがあるかも…なんて、夢を
見ながら。けれどそんなものはないってことも本当は最初からわかっていた。
そしてそこまで来て私は、まだ奇跡を信じていた。大きな鳥が飛んで来て
向こう側まで運んでくれるんじゃないかとか、大地震が地面を動かすんじゃ
ないかとか、津波がやって来て……有り得ない奇跡を待っていた。
いつまでも立ち止まっていられないこともわかっていた。絶望は深まる
ばかり…。認めたくはなかったけれど、残された道はただひとつだけだった。
それは、傷だらけ血まみれになろうとも、底も見えないこの切り立った崖を
一歩一歩降りていくこと。。。生きる限り、「道」を見つけねばならない。


2002.10.16

10月13〜14日は大阪・堺市「ハーベストの丘」で開催の「MDCフェスティバル」に
参加してきました。緑いっぱいの公園の広い野外ステージで青空の下、本当に
楽しく演奏できました。毎年ギター教室の仲間と出場していたけれど、今年は
ついに!ミゲルと一緒に出れたのがおもしろかった〜!
ミゲルの笛に関しては、いろいろとハゲましのメールをいただきましたが…
「味がある」「渋い」「ミゲルさんにしか吹けない」「ワビサビの世界」
「リズムが狂ってようが、音が外れてようが、ええもんはええ」などなど。
ミゲルは「要するにヘタクソやっちゅうこっちゃろ〜!」と布団にもぐって
泣いているのですが(笑)、私としても最高に楽しかったのです!
次、どう出るか予測のつかないケーナに合わせていくのはとってもスリリングで、
途中からニヤニヤ笑いが止まらなくなってしまいました!
いつも練習の時には、「早い!」「違う!」と途中で止めてブーブー文句を言うの
ですが(そして血みどろの大喧嘩!)、舞台では何があってもついて行かねば
ならない…そしてその日のミゲルは今までになく走りまくり…!
後で録音を聴いたら我ながらスゴイ!と思う見事な合わせ方でした…(爆)
ただし最後に1曲弾いた私のチャランゴはどうしようもなくヘタピーでしたがああ。
チャランゴはまだまだ人に合わせる余裕は皆無です〜あああああヘタピーィィィ!
まあそんな理由もあって、もともと私がチャランゴ、みきやんがギターで始めた
3人組ですが、このところみきやんにムリヤリ?チャランゴを弾かせて、ずっと
ギターばかり弾いていました。(そのくせ、人のチャランゴにはケチつける<鬼)
が、今回みきやんが運動会の仕事で参加できず上野さんが助っ人ということで、
1曲チャランゴを弾いてしまったのでした。しかし!あああああヘタピーィィィ!


2002.10.17

初めてH急電車の『女性専用車両』に乗った。
乗ろうと思っていたわけではなく。ホームの最後尾の階段を上がって来たので
とりあえずもっと前の方に行こうと思って、カッツカッツと歩いてたんだ。
そしたら、女性ばかりが並んでいる列に出くわした。「なんだ、これ?」と
思ったが、なんとなく…、その列を通り越して一般車両に並んだならば、
「男が好きな女」と思われるような気がして、なんとなく…、その列に並ばんと
あかんような空気を感じてしまったのだった。(←考えすぎ)
で、乗ってみた感想。
「大柄な人が少ないので天井が高く見えた。シートも広く見えた。んだけ。」

私の乗る時間帯はぎゅうぎゅう詰めのラッシュ時ではないから、男性が乗って
いようといまいと大した違いはないのだ。でも「女性専用車両」だと、イチャつく
カップルがいないのはすがすがしい。「男性専用車両」とか「カップル専用車両」
なんてのがあったら、それはちょっとスゴイことになりそう。あと、「デブ専」
とか「○○専…  (以下自粛)


2002.10.18

上松美香ちゃんのアルパ・コンサートに行った。(10月18日・京都会館)
この日は、初めての『メキシカン・スペシャル・バージョン』ということで
メキシコ人のドゥアルテ兄弟がギター、ギタロン、ハラーナ、ワパンゲーロ、
チャランゴ、クワトロ、チェロ、などなど、実にいろんな弦楽器で共演!
曲はベネズエラ、メキシコの曲が多く(加えて映画音楽、オリジナル曲など)
とっても興味深い内容でした。3人とも素晴らしいテクニックで楽しませてくれ、
美香ちゃんのかわい〜いMCに、思わずよだれ、いや、笑みをこぼし…
あっと言う間に終わってしまったコンサートでした。


2002.11.2

この2ヵ月メソメソしては周囲の人々に迷惑をかけてばかりで、もうこれ以上は
絶対ダメ!と思って笑顔を心掛けていたのだけど、引きつっちゃってから回り。
そして今度は、『ほんとは泣きたいのに、ヘラヘラ笑ってる自分』に自己嫌悪で
情けなくなる始末。そんな日々でありましたが…。

何かに打ち込むべく、先週からアヤクーチョのチャランゴを練習し始めた。
そして昨夜、某友人宅で酔っ払って弾いていたら、心底嬉しくなってきた。
酔っ払っていたからわけわからんかったけど、この日の酔っぱらい弾きは、
今の私にとってどうしても必要だった。というか、実は夢だったんだよぉ〜
ギター伴奏付きでチャランゴ弾くの!これでようやく、本当に滅入った日々
から完全復活が果たせるかも。なんて。酔っ払いを容認してくれたミゲルと、
素敵な誤算でこの酒盛りを実現に導いてくれた某友人2名に感謝です。

今日は、昨日からスタートしたスカイビル毎年恒例の『フィエスタ・ペルアーナ』
を覗く。白い壁に石垣と屋根が飾られクスコの町ふう(?)に変身した会場に
平山和充さんの写真が展示されていていい感じ。平山さんの本にご本人の
サインをいただき、ワンカルの演奏を聴いて、次はロスインカスへと急ぐ。
9時からはマヤのライブ。いつもながら素晴らしく楽しいステージ!上手い!
いろんな意味で、いろんな部分で…!なんだかすっかり元気になって来た!
人の幸せを祝福する余裕も出てくるってもんですな。おっほっほ。


2002.11.5

髪を切りに行った。「短くしてください。」「どんなイメージで?」
「かっっっっっわい〜〜〜〜い男の子みたいにしてください。」
若い美容師は笑っていた。さて、出来上がりは…
このところバサバサに伸びていたので、いつもの私に戻っただけ。


2002.11.6

CDを聴いて楽譜を書いている時、いちばん時間の充実を感じる。
たいした楽譜ではなく、主旋律だけだったり何小節も空白だったりする。
ケチュア語の歌詞は聞こえたまんまにひらがなで書く。
LIRA PAUCINAのコピーバンドとかできたらいいなあ〜!

キーワードは『歌と弦楽器』。くそワイルドなギターが好き。
たとえばHUARAZ、と思っていたが、AYACUCHOもなかなか
ケチョンケチョンだねえ〜。これ、ほとんどROCKだと思う。


2002.11.9

みっびぃだあ〜 えっすんとるめんと〜
らっでぃっちゃ〜 よっのおこっのすこ〜〜
あ〜い、び〜だ わ〜るま びだすちゃやい
ちゃいなっちゃ〜 ちんかいくっしぃあっさ〜

う〜ん、ええ感じやねえ〜!


2002.11.15

あおらっすぃ〜、びーべす こんみ〜ご〜
くいだーどー こんおるびーだるめ〜
3歩進んで、2.98歩下がる。
スペイン語も、ギターも、うまくならねーし。


2002.11.19

薄暗く天気の悪い朝はこわい夢、嫌な夢を見やすい。まして前夜
が深酒ならば。(それはこのところ毎日か?)
今朝の夢には、何人かの知り合いが数十年後の姿で出てきた。
そのうちの何人かは、なんと見事にハゲちゃびん。
なぜだろう?暗い夢だったのに、こうして書くと笑えてしまうのは…。
人生を長い夢に喩える人がいる。醒めてから振り返ってみれば
(そんなことできるのかどうかしらんけど)、どこか滑稽なものかも
しれない。ね。


2002.11.20

どうも夢見が悪いと思ったら、こんな枕カバー だったんだよ、よく見たら。


2002.11.23

毎年秋に梅田スカイビルで1ヵ月ほど開催される『フィエスタ・ペルアーナ』の
中で、23日(祝)のアマチュア・フォルクローレ・フェスに参加してきました。
今年で3年目のイベントですが、最初の年は某女性ばかりのグループに
混ざって超ヘタクソなチャランゴを弾き、去年はギター教室の一生徒として
参加、そして今年やっと自分のグループでデビューしました。何年経っても
デビュー戦、永遠の初心者って感じです。演奏は、「まだまだ〜」でした。
収穫はやはり、いろんな人に会えて、いろんな楽器にさわれたことですね!
コンサートはいつでも楽屋が楽しいのだなあ〜。ふっふっふ!
(ん?こんなことでいいのか?ごめんなさい、お客さん!)

  写真提供 / MIYA様


2002.11.29

生物としての人間はいたって単純。
だけど社会の構造は複雑すぎて
毎日いろんなことに巻き込まれていく。


2002.11.30

Black & White という梅田から近いバーにて、WANKARの自主ライブ。
宣伝不足のせいか客は少なめ。演奏が良かっただけに残念だった。
最近の彼らの音はかなりロックっぽいので、フォルクローレ・ファンには薦めにくい 部分もあるんだけれど、ある意味でとても素朴な音楽だという気はする。 というか、これこそがまぎれもなく民族音楽と言えるのかもしれない、とすら思う。 現代の若いペルー人がごく自然に自分たちを表現している音楽という意味で。 (彼らはまったく意識してないだろうし意図してもいないだろうけど、日本人が、 ワイノではなく普通の8ビートでペルーらしさを滲み出させるなんて、 ほぼ不可能だと思うからね。) 彼らの音楽は、やはり育ってきた文化の違いや意識の違いが出るのか、巷に溢れるJ-POPとは 一線を画している。いい意味で、「軽さがない」のかな?音楽に対して 非常に真面目、という印象を受ける。 (彼らも日本滞在が長引けばまた変わってくるかもしれないが…?) そうかといって、それほどヘヴィーなわけでもマニアックなわけでもなく、 今、日本のテレビCMで彼らの音楽が流れていてもゼンゼンおかしくないぐらいの ポップさや親しみやすさは十分備えているんで、これからもっと広く受け入れられて いくんじゃないかと思うんだけど。どうでしょう?


写真は『国境の南』(2002.10.4)にてポニタ撮影。
詳細


2002.12.4

通勤電車の女性専用車輌に間違って乗る男性をたまに見かけます。
途中で気づくと皆「あ!女性専用かあ〜」と大きな声で独り言を言って
「わざと乗ったのではなく知らなかったのだ」ということを強調しながら、
決まり悪そうに降りていきます。
こないだ、私の向かいに80歳を越えた感じのおじいさんが座ってました。
ちんまりとお地蔵さんにも似た小柄なかわいらしいおじいさんでした。
車掌さんが一瞬通り過ぎてから「おっとっとっと」と戻って来てその人に
「恐れ入りますが、こちらは女性専用車ですので」と告げました。
おじいさんは、「ああそうですか〜それはどうも〜」と言いながら
一向に席を立つ気配もなく、そのまま下車駅まで座っていました。
周りの人も、まーええかー、という感じで見てました…。


2002.12.9

今日は古服でサンポーニャ袋を作り、段ボール箱でチャランゴ立てを作った。
あるCDを聴いていたら、あまりに聴き心地が悪く、思わず紙に「へたくそ」と
書いてジャケットに貼り付けた。「好き」って何だ?からだの中の一体何が
反応するのだろう?後半の曲は悪く思わなかったので、紙は剥がしておいた。


2002.12.15

いろいろスッキリしない問題を抱えている。日本中が鬱っぽいと感じる。(私だけ?)
大勢の人が集るコンサート会場にいてすら、気分はどこか、もやもやしてしまう。
でも、人が集るというだけで、ある種のエネルギーが生まれるものなのだなあ。
そのパワーは興奮によって高められ、日本を総鬱状態から救う可能性を持つ。
かもしれない(?)。が。ただひとりの中枢神経に作用して、情けない状況を導く
場合もある。…というようなわけでありまして、、、
曲のラスト間近でケーナがひとり、どこか遠い世界にいってしまったのだった。
終わるに終われず顔を見あわせるチャランゴとギター。ど、どうする?(アイフル)
とっさにチャランゴソロに戻って、いつもより多めに回してなんとか終了。
ああ、びっくりした〜。そんなことが15分の間に2回も!ひやひや〜。
でも多分、回数を間違えなかったら良かったかというと、そーではなかったろう。
そんなことは取るに足らないこと。それよりも、日本総鬱状態、なんとかして!


2002.12.25

アフォリズムにアホ旋律。音楽家にも詩人にもなれなかったアホが何を言う。

私と正反対の周期で躁鬱をやっている、捕まえられない水の中の小石。
今は流れに身を任せて行方を見守っていよう。投げ槍ではなく。

コンクリート詰めにして海の底に葬り去ったものは今や何も為し得ない。
これが真実です、と叫んでみても何の意味もない。泣いても、無意味。

苦い薬を飲んだ後は、時間が経つのを待つだけ。
ほらもうすぐ痛みは消える。きえろ、きえろ、きえろ、きえろって・・・・


2002.12.26

お年玉付き年賀葉書は完売いたしました。
ああそうですか。いいですよ、どうせコンビニエンスなマイライフ。印刷済み年賀葉書は
いつも正月過ぎても売れ残っているのを知っている。うん、3枚入り、250円…か。
ん?ちょっちょっと待ってよ、あまりにも高すぎないか?
官製葉書1枚が、¥83、3333333333333333333....円也。
私が欲している無地の物と比べて¥33、33333333333333333333....円も高い(当社比)では
ありませんか?このパソコン普及時代、イラストなんて自宅で一瞬にしてプリントできるのに、
それも我がオリジナリティ溢れる素敵なマイ・イラスト!それを印刷するのに1枚いくらかかる
とお思いですか?ああ、それなのに!こんな頼みもしないツマンナイ印刷を施しておきながら!
きいい、信じられない!馬鹿。

どーでもいいけど、隣の席でカレーうどんはやめてくれ!
脳みそ的には食欲あるも、胃袋受けつけず。
仕方なしにうどん屋にてきつねうどん頼もうとす。
そんなときに、アナタ…!

謎が謎を呼び、最悪が最悪を呼ぶ。
未来がない、という理由だけで、現在の幸せが壊れるものだ。どうして?
未来がある、という思い込みだけで、誰もが幸福に浸っているし。ふしぎ。

そこに見える世界が唯一の現実。人は皆それぞれの世界で生きている。
人の数だけ世界がある。他人が見ている世界については何も知り得ない。
それじゃあまるで、夢のようなもの。これが現実?
夢の中のお店で、欲しいものを買おうとするが、そうは問屋(現実)が卸さない。

さて、深夜の乗り換え駅にて各駅停車を待つ。
冷たい風がびゅーびゅー吹くし、電車は来ないし。
人、皆、トコトコと、チェスの駒のごとく小刻みに移動す。
いちばん風当たりのゆるきところ、次第に人だまり。

ひょんなことから、すべてが誤解の上に成り立っていたことが判明。
それでも前進するのみ、とのこと。“男の意地”が関与するらしい。
しかし、理念だけで生きる、というのは難しい。しかも、“楽しく”と言われてもな…。

今朝見た夢。
田舎の小さな駅で鉄道を降りた私。改札もなく、ホームから線路脇に下り、
キシ、キシ、と真っ白な雪を踏んで歩く。一面の雪。人通りのない道。
そうだ、友達に電話してみようか。
「うん、いま、クスコに着いたよ。」 一体どこやねん!?

納得。今日、初雪が降った。晴れた真昼にちらつく雪は、ガラスの粉片のように
きらきらと、きらきらと。
私の耳の中には、こないだロスインカスで聴いた歌が繰り返し流れている。
cusco cusco te busco cusco cusco te busco cusco cusco te busco cusco!!!


2002.12.27

正月が来る前に愚痴っておこう。題して『世紀末は乗り越えたはずなのに』
…愚痴にタイトルつけるなって。

薄っぺらなデータの蔓延(わかったつもり)。
想像力の埋没(脳みそ出る幕なし)。神秘性の欠如(うらはらにカリスマブーム)。
ファンタジー映画の大量生産が間に合わない。どうしよう。間に合わない。
このままじゃ日本の将来、真っ暗闇、いや、まっ白病み。

情報の多さに疲れを感じている貴方は、「癒し」なんていう新種の情報で
疲れを増すよりも、な〜んにもしない方がいい。
初めてE−メールが開通したときの気持ち。持続していなくとも、覚えてるでしょ。

いつでもどこでもネットワークつながっているのが当り前の若い恋人たちは
もっとずっとそばにいて手をつないでいないと安心できないらしいのです。

それも無理はないけどね。信じる力。その美しい筋力をなくしてしまったら。
記憶なんて、押し出し式。新しい毎日の中で、昨日のことなどすぐに遠ざかる。
唯一例外は(ああこれは余談だけれど。)、いつまでも引っ掛かる魚の骨。
イバラのような思い出。むゆすぱむゆすぱいみりたい。そう、カルカス。

ごめんね、カルカスの曲はよく知らない。ビートルズもベルベッツも
同時代では知り得なかった。ずっと後の時代になって聴きました。
で、いま現在、進行しているのは何なのでしょう?それも、よく知らない。

信じる力。美しい筋力。まっすぐな視線。
そんなものは時代遅れと言われるんじゃないかと思って、皆の真似をして
放棄したりするから、やぼったい時代遅れの若者になっちゃうんだよ。
時代遅れになりたくなけりゃ人の真似するなってば。

昼時のトンカツ屋にて。男の子の膝の上に横座りの女の子。
だから、もっと真面目にヒレカツ定食を食べなさいってば。


2002.12.28

タンスの中に、いらない服がいっぱい詰まっている。
なに考えて買ったのか自分でもわからんような趣味の悪いシャツだとか
この歳ではいたら気違いと思われること間違いなしのミニスカートとか…。
だけど痛んでもいないので捨てるに捨てられず。困ったものだ。
そーだ、いいこと思いついた。
紙袋に小分けに詰めて、街角でズラッと並べて売ったらどうでしょうか?
フク袋、ひとつ壱万円!フクがいっぱい詰まった服袋!
おひとつおいかがですか?…笑う門には、服来たる…てね…。


 
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