むこう川 2011


2011.1.2

今年のホウフ? ほうふ、ほうふ、、そうだなあ、、、
「豊富な経験、けがれぬ心」をスローガンに(変な意味じゃないよ)
いろんなことをもっと自由にやっていけたらいいなあと思ふ。
もう囲いはなくてもいいやと思ふ。私の中の羊はちゃんと、呼べば来る気がするから。


2011.1.3

宝くじで大金を当てた人の話をテレビなどで聞くと、「直前に白蛇の夢を見た」とか
「金色に輝く夢を見た」とか言っているけれど、私は年末に、大金持ちの老婦人から
世界旅行に連れて行ってあげると言われるのだけど突然のことにふにゃふにゃ迷って
いたらすべては消えてなくなってしまう、という、縁起が悪いとまでは言えなくても
なんだかとっても煮え切らない夢を見たそんな日に、ミゲルが年末ジャンボ宝くじを
買ってきたので、なんだかとってもダメダメな気がするのだった。

ふにゃふにゃしてるからダメなんだ、ダメダメな気分でいるから当たらないんだ、と
思ってもみるけど、変な薬物で全知全能の気分になったところでなあ。。。

でもまだ夢を見ていたくて、当選番号は確認していない。
(・・・夢を見て痛くて、と変換しちゃったよ、ああ、、)

ちなみに今年の初夢は、『新しく結成したロックバンドの初練習をする』だった。
いや、まだフォルクローレでがんばりたいと思ってるんだけど。。。


2011.1.11

ゆっくりと変化する カラフルな墨流し 最終的に何色に成るのか
誰にもわからない 今しばらくはそんな中で ゆるんでいよう

今年、期間限定で目指したいのは“節操の無いコラボレーション”。
結束することは、排他することと同じだから。


2011.1.18

今日はマルビータスの今年最初の練習だった。けれど去年最後の練習に引き続き
今日もまたドタキャンが相次ぎ、ミゲルとポニタふたりだけでの練習となった。
まあ、ふたりだけになるのはしょっちゅうだけど、2回連続するとさすがに。
やむを得ない事情とはいえ、どうしてもテンション下がり気味。


2011.1.18

昨日と同じことをしておけば今日も安泰と思っていると明日は無い。かも。


2011.1.19

プーノの曲やらマリネラやら、ベースのかっこいいやつをギターソロで弾こうとすると、
指が届かず1弦の音が死んだりする。いくら練習してもきれいな音が出ない。
試しにアルトギター(レキント)で弾いてみたら、うまく弾けた!(←そんな使い方、間違ってる?)

でも、そこんとこはきれいな音が出て良いんだけど、別の部分で、慣れないフレット幅のために
押さえ間違ったりするんで、、、もうちょっと慣れないと使えないなあ。(←そんな使い方、間違ってる?)


2011.1.25

たまたまつけたテレビでやってた手相占いによると、私は運勢が思いっきり強く、
スーパースターの相と億万長者になれる相もあるらしい。
実際にはその片鱗もないどころか、将来は路上生活必至かと怯えるほどなのに??
はっ。もしかしたら、死んでからブレイクするタイプ!?
って、一体“なにで?”やねーん!!!(生産性ゼロ)
そういえば生命線はとても短い。ここんとこだけが、アタリだったら嫌だなあ〜。


2011.1.26

大昔に一時期所属した某コンフントは、練習に集まると“まずおやつを食べながら仕事の愚痴を語る”
というのが習わしだった。いいから早く練習始めようよ〜!と私は思った。
また別のコンフントでは、打ち上げの席での話題が毎度、グルメ情報と一人のメンバーの自慢話ばかり
だった。私はラーメン屋やケーキ屋に興味はなく、まあたまにはそういう話もいいけど、いつもいつも
そんなことばかりなので、もっと、なんていうか、今日のライブはどうだった?とか、もっとどう
すればいい感じになるかな?とか、これからどんな曲をどんなふうにやっていきたい?とか、
最近聴いてる曲はどんなの?とか、そんな話で白熱したかった。それってふつうのことじゃないの?
だって、いっしょに音楽をやっていこう、人々に音楽を聴かせよう、ということで集まっているのに、
音楽の話をすると『オタク』と言われて馬鹿にされるのは何故なんだ???

酔っ払うと過去のどーでもいい事を思い出してひとりで腹を立てているどうしょうもないオヤジ女、それは私。


2011.1.27

本日の誤変換。
「ギター弾く以外、何もしてないし。」 → 「ギター低い害、何もしてないし。」

・・・ケニスタはいろんなことをやらかすので害が大きいのでしょうか?


2011.1.28

本日の聞きまちがい。
「この電車は大阪梅田行きです。」 → 「高齢者は大阪梅田行きです。」

・・・自分のことはまだ『後期・中年』と思っている私ですが、梅田に行きます。


2011.1.30

何をぼーっとしていたのか、中華鍋に油を引くつもりが食器用洗剤を注入していることに
気づいて驚いた。
「いや〜、びっくりした! でも気がついてよかった。あのまま気づかんと野菜炒めてたら
どうなってたやろなあ〜?」と私が言うと、ミゲルがぼそっと一言。。。「泡が出る。」
・・・もっともな意見をありがとう!


2011.2.1

1月の半ばからあっちこっちで「春めいてきましたねえ〜」と言っては「まだ寒いわ!」
とみんなにつっこまれておりました。たしかに。大寒波のさなかでしたから。
でもなんだか、気温よりも日照時間や匂いなんかで「春めき」を感じてしまうのでした。


2011.2.5

本日のミゲルの寝言・・・『ファイト〜いっぱ〜つ!』

なんだか背中が痛くてなかなか寝つかれず、、ぐーぐー寝ているミゲルを見ていたら
ふいに手を差し伸べてきたので、何気なく手を出すと、ぐいーと私の手を引っ張って、
『ファイト〜いっぱ〜つ!』と言った。・・・寝ながら。

あとで「崖から落ちる夢見た?」と聞いてみたけど、「知らーん」とのことでした。


2011.2.16

我が身のほどを知ってしまったら、何もできなくなっちゃって。
もう一度、身のほど知らずになってみようか、なんて。

『みかん』 ←音出ます。怨霊注意。

※ぎゅるんぎゅるんのノイズ音楽の“ハシ休め”用フォークとして、 あくまで冗談で作成。
 20年以上前の自宅録音テープ群に入れてた曲なんで、時効成立後に出頭、みたいな感じ。
 でろ〜んと泥酔のため滑舌悪し。1コーラスで息切れ突如終了、以下省略。



2011.2.17

某所の某パソコンにて。『世界に通用する』と書こうとしたら『背界に通用する』と
変換しよりました。 なんじゃそら? 『背界』って何なのかようわからんけど、
なんとなく裏街道的な(?)そんな人材を育てたらヤバイ感じではないですか?

で、『世界』と書き直すと、その直後にはちゃんと『世界』と変換しよるのですが、
しばらく他の事をしてて、もう一度『せかい』と打つと、やっぱり『背界』と出る。

しかもこの文章を書いてる間にも、、、『ヤバイ感じ』が『ヤバイ漢字』というのは
まあよく有りがちだし今回は言い得てるから許すとしても、『変換』を『経ん管』
なんて有り得ないことをしやがり、変換も変換できんのか〜!と軽くイラっとした
ところに、やってくれよりました!!!
『書き直すと』というごく普通の語句を、『牡蠣な雄と』って。。。。。。

こけました。。。。。。初めて見ましたよ、牡蠣の形容詞的用法。。。。。。
このパソコン、なにか悪い病気に感染してますか?
ご変換は、お笑い脚本家より笑えるなり。


2011.2.19

本日のことわざ・・・『ポニに金棒』

意味 = 強くなるかどうかはしらんが、とりあえず甚だしく凶暴になること。


2011.2.24

私は、たいていの天才がそうであるようなスパスパした大胆な行動ができない。
あるのは躊躇とためらい(同じか)ばかりで、どうにもぐずぐずもたもたしている。
それならそれで慎重で堅実かといえば、突然考えも無しに思わぬ行動に出てしまい、
迂闊でおっちょこちょいで軽率で軽はずみで(同じか)その浅はかさに恥入っては
死んでしまいたくなることがしょっちゅうある。
そしてそれをまたぐずぐずくよくよといつまでも反芻している愚かさ。。。
反芻。反芻。牛のように。山羊のように。リャマのように。ああ、鯨偶蹄目。。。


2011.3.1

人生における「泣きたくなる現実」のひとつに、「大好きすぎると上手くいかない」と
いうのがある。これはけっして恋愛の問題だけではない。何かにつけて、「すぎる」と
上手くいかないのだと思う。この上ないのにダメだとは、こんな悲しいことはない。


2011.3.2

弁解したいけどタイミングを失っちゃって、そのままになっちゃって、ゴメンナサイイ〜〜〜!!!
ってこと、、、あるよね? (私はしょっちゅう、ある。)

去年秋、某知人(男性)から「ポニタさんて『某NHK大河ドラマ』の△△さん役の人に似てない?」
と言われ、そのテレビ番組をよく見てなかった私は「ようわからーん」と答えて、うちに帰ってから
インターネットで検索してみたのだけれど・・・

画像検索で出てきた「△△さん」役の女優さんの写真は、きゃああ〜〜〜!と叫びたくなるような
超グラマーなボディ(はっきり言うと巨乳)をさらけ出したセクシーな画像がわんさかで、赤面!!!
おそらくそのドラマの中では(何しろ国営放送だし、時代物だし)そういうイメージで出ていたのでは
ないと思うんだけど、たまたま私の見た画像が、どっひゃ〜!だったのでした。

で、次にその人に会ったとき、「△△さんって、わかった? な、似てへん?」と言われて、思わず
あたふたしちゃって、「いや〜〜〜〜〜〜〜顔はともかく、首から下は、ぜんっぜん違うしっ!!!」
と言ってしまい、それを聞いていたその人の奥さんから、「顔はともかくって・・・・・・???
△△さんて、ものすごく美人な女優さんやんねえ?」と言われ、、、、、、、、、、、、あわわわわ!

いやっ、そのっ、、私はべつに美人女優さんに顔が似てると自惚れているわけでは決してなく!!!!
(実際ぜんぜん似てないし!っていうか、その女優さんは歳が若くてもはや私のようなおばちゃんとは
別の種の生物と思われるし!)ただそれ以上に、あまりにも首から下が似ても似つかないっつーことを
言わんとしただけでして!!!(なにしろ私の胸は父親似だし!五頭身のギャグ漫画体型だし!)

ただもうそのときは、そんな美人巨乳女優さんに自分が似てると言われたこと自体が恥ずかしすぎたし、
人前で胸の大きさの話なんかするのも下品な感じがしてしまって、それ以上は何も言えず・・・・・・
後になって、もしかして誤解されてるのではなかろうか?という不安がしばしば湧き起こってきては、
ああああぎゃあああああ〜〜〜〜〜!!!! と、“思い出し叫び”している私(アホ)です。。。


2011.3.3

帰宅する途中にミゲルからメールが届き、何か買い物の依頼だろうかと思ったら、
「お腹がすいたので、早く帰って来てください」って・・・。なんじゃこら、、、
と思いながら、「死にそうやったらブドウ球菌を食べなさい」と返信した。

ミゲルは血糖値を下げる薬を飲んでるので、空腹すぎると低血糖で倒れてしまう。
そのためにブドウ糖を常備してある。私はちょっとした冗談で「ブドウ球菌」と
言ったんだけど、ブドウ球菌がどういうものなのかは、じつは知らなかった。

冗談の中でとはいえ、よく知りもしない単語を偉そうに使ってしまったことに対して
後ろめたさを感じ、家に帰ったらブドウ球菌について調べなくては、、、と思った。
けれど、ミゲルが「ブドウ球菌なんか食べへんわ!」と言うので、まあともかく
悪い菌なんだろうなと思って、その日は調べずに寝てしまった。

翌朝、ブドウ球菌の逆襲が始まった。
看護師さんが私の腕をまくり、なにやら液体をプシュプシュとスプレーした。すると
私の腕はまだらに赤くなった。看護師さんは「あなた、お酒飲んでる?」と訊いた。
「はい!飲んでますよ!」と答えると、看護師さんは険しい表情で言った。
「お酒飲んでる人がこんなふうにまだらになるのは、ブドウ球菌に感染してるからです!」
そして私の右耳の後ろを触り、「やっぱり!ここにブドウ球菌がいますね!」と言った。
「そういえば最近、左わき腹がときどきチクチク痛いんですが・・・」と私が言うと、
「ああ〜、お腹にもブドウ球菌がいますね!全身消毒しないと!」と言って
私はベッドに寝かされたまま消毒液の入った水槽にブクブクと沈められる。
なんだか変な治療だなあ〜〜〜と思ってちょっと考えたら夢だと気づいたので目が覚めた。

朝一番にインターネットでブドウ球菌を検索した。
それはブドウの房の形に配列する細菌の総称なのだけれど、その大部分は非病原性で
どこにでもいる常在細菌ってやつだそうだ。無知というのは、いけないことだと思った。


2011.3.6

1960年代のドラマを見てたら、女性なら「失礼しちゃう!」、男性なら「失敬だな!」
なんてセリフがよく出てくる。けれど私は目前でそういう言葉を耳にしたことがない。
ふしぎだ。そのころ若者だった人たちも今は言わないような気がする。いや、関西人が
言わないだけなのかな? 関東の人は言うのかな? たまたま私が知らないだけ???
そういえば「おねえキャラ」と呼ばれる人たちは、今でもひんぱんに使ってるなあ。
「やあだ〜失礼しちゃう〜!」ってね。身近にはいないけど。。。
まあともかく・・・
時代が変わっても、世の中に失礼な人というのはたくさんいて、ムッとくることも多い
はずなのに(自分も知らないうちに人に失礼なこといっぱいしちゃってるだろうしね)
でも、どんなに失礼なことをされても、言われても、「失礼しちゃうわね〜!」って
言い返す習慣の無い私たちは、黙って屈辱に耐えるしかないのだった。
「うぐぐ」と言葉に詰まって何も言い返せないのは、くやしい。


2011.3.7

決まりきった慣用句やベタなダジャレや流行語をぽんぽん使って話すと、会話のテンポがいい。
そのほとんどは、直観とはほど遠い上すべりな会話で、部分的な思考停止が起こってるとすら
言えるのだけど。それでも、

そこにはリズムがあって、調子に乗れば乗るほど、アドレナリン。
おしゃべり好きな人というのはおそらくその幸福感に中毒している。

極端になると、言葉はもはや意味を成さないただの音となり、ひとまわりして
一番遠かったはずの“直観”にたどり着く。ことも、ある。かも。


2011.3.8

今日はクスコのクラシカル・フォルクローレとでもいうような古い音源を
ひとしきり聴いた。タイムスリップしそうな気持ちいい演奏。
だけど当然のことながら、田舎の音楽とはまったく違う。


2011.3.9

皇帝ペンギンと王様ペンギンを混同してる人は多い。

なぜそう断言するかというと、つい先ほどもネットで検索したところ間違えてる人が
多数見つかったからである。(私も以前は間違えてたしね。←より大きな理由。)

両者は、色も少し違うし大きさも違うんだけど、写真だと区別がつきにくいので、
『和訳の違いだけで、同じもの』と思ってる人もいるかもしれない。(私も思ってた。)
けれど、皇帝ペンギンは「エンペラーペンギン」で、王様ペンギンは「キングペンギン」
なのだから、それは大まちがい。

ことほどさように、混同されやすい皇帝ペンギンと王様ペンギンではありますが、
しかし、そのヒナは・・・びっくりするほど似てません!!!
皇帝ペンギンのヒナの顔は、目の周りが白くて漫画っぽい可愛らしさがある。
(粘土アニメの「ピングー」に出てくるペンギン家族の一番チビのやつがそれです。)
そして王様ペンギンのヒナはというと・・・毛がもっさもっさでごろーんと丸い体、
目つきも悪いし、すぐに親よりでかくなるし。皇帝ペンギンのヒナの群れにまざると
「みにくいペンギンの子」では済まされないほどの「おっさん的な」迫力があります。
そして私としては、キングペンギンの巨大なヒナがかなり好きです。
(気になる人は「キングペンギンのヒナ」および「コウテイペンギンのヒナ」で
Google画像検索してみましょう。)


2011.3.10

怠惰が人間社会の中で最悪の部類の悪徳であるということは誰でも知っている。
それでも根っから怠惰な私は「ああ!なんて怠惰な私!」と自嘲したところで
気に病むこともなくあいかわらずのほほんと怠惰をむさぼってしまうのだった。

そこで、別の言葉で自問する。「本当にそれでいいの? 妥協していいの?」と。
昔“フォルクローレの子ども”だった頃のように、私の目は輝いているか?
情に流されやすいのもほどほどにして、ちゃんと選択しなくては、と思う。


2011.3.11

14時46分、突然のめまい。やばい、倒れそう、とパソコンラックに両手でつかまった。
でも長い。ましにもならず悪化もせずブラックアウトも卒倒もせず・・・何これ?

・・・大阪ではあまりにゆっくりした長周期の揺れだったので、多くの人が「病気?」
と思ったらしいが、地震だった。帰宅してテレビをつけ、驚愕した。
映画か?CGか?と思うような映像が映し出され、言葉を失う。


2011.3.13

関西ではテレビの中以外はいつもと変わらず、ふつうに生活できているのが逆に変な気分。
きょうは予定通り『フォルクローレを楽しむ会』の練習に参加した。
『楽しむ会』は今年、初めて『三木山フォルクローレ音楽祭』に出場することにしたので、
今までにない緊張感と団結心(そんな大層なもんでもないが!)を持った練習となった。


2011.3.16

きょうはマルビータスの練習だった。被災地には極限状態の人がたくさんいるときに
遊び人ふうにギターを背負って電車に乗るのは、なんとなく後ろめたい。
まあ、ふだんから(平常時であっても)、平日の朝にギターを背負って出勤するのは
いつでもちょっと後ろめたい気がしてたんだけどね。

地震の被害状況が明らかになるにつれ、原発の状況が深刻化するにつれ、日本中に
「今はしょうもないわがままなんか許されないぞ」という空気が漂う。
本当はどんなときでも、悪い行いにはみんなで激怒しないとあかんし、いつだって、
地球上には極限状態の人がたくさんいる。見ないふりしてるだけで。

とはいえ罪悪感なんてのは、良いエネルギーに変換できなければ意味がない。
へこんでいるだけでは、何の役にも立たない。と、深呼吸する。


2011.3.21

本日のミゲルの寝言・・・『豆腐の味噌汁の、具が魚やんけ〜、これでは!』

ミゲルが、鯛のアラ炊きを作ってくれと言ったのに、ポニタが作ったのが
その、『豆腐の味噌汁の具が魚』な料理だったらしい。。。
と言われても、ミゲルの夢の中のことなので、私は知らんのだが。。。
それより、『豆腐の味噌汁の具が魚』という日本語が意味不明すぎる。。。


2011.3.21

ポニタ「ロンドンブーツの金髪の方って、名前なんやっけ?」
ミゲル「たむら」
ポ「それは知ってる。ふたりともたむらやし。下の名前きいてんねん。」
ミ「えーっ、あいつらふたりともたむらなん!」
ポ「そやで。親戚でもなんでもないらしいけど。で、金髪の人の下の名前は〜?」
ミ「そらあかん!そんなん、親戚でもないのに、下の名前まで知るわけない!」

なんだかなあ〜。今朝の寝言といい、ミゲルの言葉がまるでだまし絵みたいで、
空間がねじれていくような奇妙な感覚に陥る。


2011.3.22

容赦ない自然の猛威、それ以上に人々の希望を失わせるのは、人間の裏切り行為。
非常時であろうと平和な日々であろうと、それは同じ。莫大なエネルギーを奪う。


2011.3.30

きょう、電車の中で、とてもきれいな子(性別不明)に見つめられた。
歳の頃は、、、幼児になりかけている赤ちゃん、というあたり。。。
こんなきれいな生きものが、何万年も、生まれ継いできたんやと思うと、
人類はとうの昔に『不老不死』を手に入れてるんやんって思える。


2011.4.3

菱本幸二さんのライブ(@大阪御幣島・サザンカ)に行ってきました。
ビオリン:クラウディアさん、ギター:犬伏青畝さん(お久しぶり!)
チャランゴは安達満里子さん。とても良いアンサンブルでした。
ほぼ全曲オリジナルでしたが、曲作り上手いなーと思いました。
懇親会ではやりたい放題ですみませんでした〜関係者の皆さまに感謝!


2011.4.4

当り前っちゃ当り前だけど、いつも私の好きな演奏をする人がたまに歌を
歌わはると、その歌も好きである確率は限りなく百パーセントに近い。
中には、楽器が専門なんだから歌はそれほど上手いわけじゃないって人も
いるけど、それでもやっぱり、なんだかいいなあと感じる歌を歌わはる。
左手で字を書いてもそこはかとなく自分の字であるのと同じことですかね。


2011.4.5

ひづめが2つに割れた奴ら(カバは4)偶蹄目には昔から知り合いが多いのだけど、
奇蹄目は馬以外にはよく知らない。他には何がおるのだろう?と思っていたらば、
そんな折り、見ていたテレビにサイが登場。みつゆびだ!こいつかーっ!と思って
サイに関するサイトを検索した。しかしやはり、サイたるもの、装甲された体と
奇異なツノが注目の的であり、足の指のことを書いたページはほとんど見つけられ
なかった。サイの細部を気にする人はあまりいないのかもしれないと思った。


2011.4.7

不老不死を手に入れたはいいけれど、そのためにいちいち真新しく生まれ変わらなきゃ
ならなくて、そのたび記憶がすっかり消えちゃうもんだから、同じ過ちをなんべんでも
繰り返してしまうことになるわたしたち。
幸いなことに引き継ぎ期間は長ければ数十年あるんだから、大切に、伝えなくては。


2011.4.8

今年もベランダのフリージアの花が、ぶわああ〜っと大量に咲き乱れていいにおい。
アロエベラは株分かれして鉢を3つ増やした。小さなサボテンどもは相変わらず。
まあこのように球根やら多肉植物の類いはほとんど手入れしなくてもどんどん育つ。
でも丈夫だから大丈夫!とタカをくくっていたら、ある日突然、あちゃぱーってね。
人間関係とかもね、ある日突然、やっちゃう、あちゃぱーってね。
なにごともね、手を抜くと取り返しがつかなくなる。


2011.4.9

昔っから思ってたことだけど、ニュース番組の中に組み込まれた「スポーツニュース」の
コーナーって、要らなくないですか? 今は国民全員が一丸となって数人のスター選手に
熱狂するような時代でもないし、スポーツは多様な趣味・娯楽の一つにすぎないんだから、
独立した番組で勝手にやればいいのに、、、と思う。
それとも音楽ニュースや読書ニュースや骨董収集ニュースやコスプレニュースや時刻表鉄
ニュースにも毎日定位置が与えられるべきなのか?・・・いや、見たくもないけど。

だいたいなんでこんなことをブツブツ言ってるかというと、深刻なニュースの後で、急に
「続いてはスポーツです♪」と明るく言われると、ガクッときて必ずチャンネルを変えて
しまうの。そして見ようと思ってた天気予報を見逃してしまうの!
ま、最近は天気予報ぐらいネットで見れるからどうでもいいっちゃいいんだけどもね。
でもなぜスポーツだけがニュース番組の1コーナーとして幅を利かせてるのかは今も疑問。
(いやまあ、答えは簡単だけどね。¥¥¥)


2011.4.16

イベント会場の下見、駅から会場までのバリアフリーでの道順の確認と音響の
打ち合わせに行ってきた。5月前半には2週間に3回の演奏予定が入っており、
その出演時間は、1曲のみだったり2曲だけだったりもするので、
まさに『分刻み』のスケジュールと言える。(←あ、ここ笑う所ですよ〜)
河内長野の花の文化園(5/14)では、たっぷり14曲ほど演奏します。


2011.4.18

自分が掲示板に書いた『いつの時代も逆境に強かった日本人の底力を信じて!!!』
という言葉に、引っ掛かりを感じ続けている。それは今回の大震災直後に感じた思いで、
阪神淡路大震災からの復興や敗戦後のたくましかった人々のことを思い、きっと今回も
大丈夫!今まで以上に強くなれるはず、と希望を持っていたからこその言葉だった。
ただ、常から行動が遅い私はそれを文字にしたのが1週間も経ってからで、その頃には
すでに、阪神淡路のときとは違う、、、戦争に例えるならまだ終戦していない、、、
という気分に支配され始めていたのだった。。。

どん底に辿り着いた人間は強いのかもしれない。
でも今はまだ、いったいどこまで沈んでいくのか、底が知れない状態にも思える。


2011.4.25

毎年5月に入って「三木山フォルク祭が近いな」と思ったときにはまだ3週間の余裕が
あるんだけど、今年は「まだ4月だし〜」と思ってたら、あれれ?あと10日しか無い!?

・・・マルビの新曲で3分ほどの間に3回も転調する曲があるんだけど、まだときどき
グダグダになってしまうありさまなので、なかなかスリリングで楽しみだ♪


2011.4.29

チャランゴを持って電車に乗ってたら、大きなアフリカの太鼓を持った若者から
「それは何の楽器ですか?」と訊かれ、少ししゃべった。
そういえば昔チャランゴを持って歩くことが多かったときは、よくこんなふうに
知らない人から声をかけられたものだったなあ。最近はもっぱらギターしか持ち
歩かないので、こういうことがまったくなくてその点ではつまんないなあー。


2011.4.30

ニュース番組がめっきり減った。まあ、震災前に戻っただけなんだろうけど。
なんだかなあ、本当のことを話すと非国民扱いされるみたいな風潮は非常に危険だ。
テレビ局はいろんな圧力がかかってるから仕方ないのかもしらんが、一般の人まで
声をひそめる必要は全然ない。ついついテレビに同調している人は気をつけませう。
(私はふだんから言い過ぎるタイプなので、逆の注意が必要なんすけどね、苦笑)

トラブル嫌いな国民性のおかげで、暴動が起こらないのは良いことだろうけど、
トラブル嫌いだからといって、トラブルから目をそらせて何も無かったことに
してしまおうという姿勢は良くない。批判すべきものは批判すべし。だ。
具体的に。論理的に。冷静に。。。


2011.5.1

大阪・梅田のサクラ・ファミリア(旧北野教会)にてチャリティイベントがあり、
踊りのJUANさんに声をかけていただいて、マルビータスが1曲、踊りの伴奏をする
ことになった。先日主催者さんと打ち合わせて、ロビーやエントランスでのミニ・
ライブ(各15分ほど)もやらせてもらうことになった。

御堂での踊り(HUAYNO)の伴奏はまあ普通だったんだけど、ロビーでの演奏という
のが、売店も並んでいて大勢の人がごったがえす中、マイクも無しだったので、
大変だった。突然のリクエスト(花祭り)もあり、ちょっとうろたえちゃったし。
でも、笑顔でノリノリで踊る人たち(酔っ払い?)を見てたら、ああ、なんとなく
現地の雰囲気かも〜?なんて思っちゃいました(笑)。外国人の方も多かったしね。
そういえば、出演者で日本人グループはマルビだけだった。

雨の中、足を運んで下さった皆さま、ほんとにありがとうございました。
イベント企画のフラメンコ・スタジオ・ミゲロン、S田さん、M神父はじめ教会の
皆さんに感謝いたします。マルビータスに演奏の機会を下さった JUANさん、いつも
ありがとうございます。今日は TEIKOさんの謎(?)がほんの少し解けました(笑)。
いやはや、尊敬すべきすばらしい方ですね。。
御堂での演奏はプカソンコのセルソさんに音響の面で大変お世話になりました。
それから、朝早よからお付き合いいただいたカティちゃんの旦那さん、4日後に
三木山フォルクローレ音楽祭も控えたマルビのみんな、お疲れ出ませんように〜!
夜勤明けで、締め切り前の漫画家ぐらい寝てなかったミゲルも、どうにか最後まで
持ちこたえて、ほっとしました!(今夜も夜勤!明日も夜勤!うー、ぶくぶく。。)


2011.5.2

本日の発見!!!
ウイスキーを熱いマテ茶で割ったら、焼酎お湯割りの味になるよ〜!

私だけやったらゴメンやけど・・・(by ポニタ)

ちゅーか、安もんの酒に変えてどうすんねん。(by みげる)


2011.5.3

一昨日、「クルス・ベラクイ」という新曲を初めて人前で演奏した。クルス・ベラクイと
いうのはペルー、クスコにあるキリスト教系の祭りだということは、以前ネットで調べて
知ってたんだけど、それ以上のことは知らず、こんなことではいけないと思って、英語や
スペイン語のページも面倒がらずに読んでみた。
まさに今日、5月3日に行われる祭りだと、今日知ったことは、ちょっとしたよろこび。


2011.5.6

昨日は西日本フォルクローレ界の一大イベント、三木山フォルクローレ音楽祭(第15回)でした。
今年は“ムシスのポニタさん”という肩書きも取れて、バタバタオロオロと気が焦ることも無く、
いい天気だなあ〜アハアハと笑いつつ、心からのんびりと、開演から終演まで堪能できました。
このところ毎年誰かの車に便乗させてもらってましたが、今年はひさびさに電車で往復しました。
片道3時間強かかりますが、昔と比べると、あまり遠い気がしませんでした。慣れなのかな?

『楽しむ会』という名で今年初めてエントリーしたグループは、正式(?)には『フォルクローレを
楽しむ会』という名称で、もう10年ほど活動(大阪で月1回集まって練習)している同好会です。
創設メンバーは結構古株になってきましたが、初心者さんもたくさんいる、どなたでも参加して
いただける会です。もともとは人前で演奏することを想定してませんでしたが、いざ出演を決め
ると、練習が充実し演奏の質も良くなった気がします。世話役のOさんFさんいつもありがとです!

私の本命バンド『ラス・マルビータス』も10年ほどやってるのですが、あいかわらず本番での
失敗は多いです。(ぐががが、なんでじゃあ〜?練習では上手いのに!?えっ???)
ちなみにマルビータスでは現在、各種弦楽器(マンドリン、ギター、チャランゴ等)、キーボード、
パーカッションなどの奏者(正規メンバー)を募集中です。単発コラボ要員も別途募集中。
条件:マルビでやってるような曲を好きな方で、私やミゲルのことを嫌いじゃない方(笑)。
そして、練習参加やイベントへの出演が、意欲的に、物理的に、可能であること。

去年から活動休止中のアウトクトナ・カンチャイやロス・ムシスもいつか復活できたら嬉しいし、
今年は都合がつかなかったけど、また踊りのグループともやりたいし、なにしろ祭りなんだし、
せっかく出会えた皆さんと一緒くたくたになって遊べたら面白いかなーと思っています。
未来を担う若い人のパワーにも期待しています〜。

それにしてもこれほど大きなイベントを毎年開催するのは大変なことだと思います。
関係者の皆さま本当にありがとうございます。末長く続けていけたらいいですね!


2011.5.7

一昨日の音楽祭みたいに大勢の人が集まって何かをしでかしているようなところ
へ行くと、世の中には本当にいろんな人間がいて面白いなあ〜って思う。
出演者を見ても、お店を見ても、皆さんとってもユニークな、それぞれの方向に
マイ・ウエイを追求されていて、見てるだけでも楽しくなる。

人間は、本当にいろんな考えの人がいる。。。
若い頃は共感できる人だけを求めがちだったけど、今は自分とはタイプの異なる、
理解しがたい考え方をする人の本を読んだり話を聞くのがまた面白いと感じる。
(但し、それなりに説得力の有る話の場合に限るけど。)

震災をきっかけに、今に始まったことではないモンダイが次々とアラワになり、
いろんな人が、いろんな立場で、いろんな主張をしているのを見る。
マスメディアはそのすべてを公平に取り扱わなくてはならないし、関わる団体や
個人の権力、金銭の絡みや歴史的背景なども明確にしてくれないと困る。
歪みの無い生の情報があれば、誰もが自分のポリシーに従って判断することが
できる。けど。行間に百倍の怒り。。。


2011.5.11

5月1日の教会のイベントと5月5日の三木山フォルクローレ音楽祭でのマルビータスの
演奏を録音していただいたものを聴いた。
う〜ん。ある楽器が良ければ別の楽器が悪いとか、演奏が良ければ録音状態が悪いとか、
なかなか完璧というのは得難いものですねえ〜(涙)

どうでもいいけど、不思議なのは、私とカティちゃんの歌ってる声って、マイクを通すと
区別がつきにくいんだなあ〜。自分で自分の声っていうのは思ってるのと違ってたりする
というのもあって、録音を聴くとどっちの声かよくわかんないときがある。
ふつうに喋ってるときは特に似てるとも思わんのだけど。それは言葉使いや話し方が
違ってるからで、声の質的にはもともと似てるってことなんだろーか。
だとしたら、もしかしたら姉妹ドゥオみたいな綺麗なハーモニーが狙えるってこと?(にやり)

それはそうと、三木山で1曲目に演奏した「カプリニャウィ・クスケニータ」の出だしが
ズレて3段の輪唱みたいになっちゃって、演奏ビターッと止めちゃったりして、ほんまは
そんなんあかんねんけど、なんかしっかり「笑い」がとれたようで、良かったっす。(え?)


2011.5.10

スギ花粉の悲惨はもちろん、ヒノキ花粉の飛散も終わってるはずの頃なのに、
ずっと鼻と喉の調子が悪く、黄砂のせいなのか単に乾燥のせいなのか・・・。
と思ってたら、今日は朝から1日ずっと雨で、もはや梅雨のような蒸し暑さ。
でも今日は幼なじみの友人と充実したひとときを過ごせて良い日だった♪
(彼女も何かのアレルギーのようでくしゃみを連発していたけれど。)


2011.5.12

5/1の教会でのチャリティーイベントの打ち上げ(?)がレストラン・プカソンコで行われた。
マルビータスのメンバー以外は、スペイン人、ペルー人、コロンビア人等全てラテン系。
でも皆さん日本に長く住んでおられて日本語も達者なので、いろいろ話せて楽しかった。
ペルーの祭り音楽など演奏するからには、もっとキリスト教について知っておきたいと思う。
ミゲルは異常なほどの読書家なのでなんだかいろいろ詳しいようだけど、私はかなり無知。


2011.5.13

世の中は今、ある意味でチャンス到来。つまり、限りなく絶望に近い。


2011.5.14

花の文化園(大阪府河内長野市)でラス・マルビータスが演奏してきた(MC込みで約80分)。
陽射しが強く、長そでを着てたけど右手の甲が真っ赤に日焼けして今も熱を持っている。
左手は右手ほど焼けていない。炎天下でギター弾き続けると、こうなるのか〜。
足の甲もサンダル模様にシマシマ。右を上にして足を組んでたので、右足が左より赤い。

しかし、またもや乗り物酔いの薬で演奏中に気を失いそうなほどの強烈な眠気と格闘!
ブラックの缶コーヒーを2本飲んでも、時々ふっと意識の途切れる感じは取れないままで、
そのくせ部分的に異常な緊張で指がびくんと硬直したりして、ますますやばい感じに。。。
たしか前回(昨年秋)も同じようなこと言ってたんだよなあ〜。次回からはほんっとうに、
たとえ吐いても酔い止め薬を飲むのはよそうと心に誓うーーー!

それはそうと今日もいくつかの出会いがあった。演奏後に何かと声をかけていただいたり、
マルビのメンバーの意外な一面を知ったり♪などして、おもしろかった。
とてもいい季節で、お天気も良く、花もいっぱい咲き乱れ、お客さんも多くて楽しかった。
ただ、この気持ちいい空気をめいっぱい吸い込むことに一抹の不安を感じる現実が玉に傷。


2011.5.15

嫌な嘘がはびこる世の中。騙す人が悪いのはもちろんだけど、あまりにもやすやすと
騙される人(オトナのくせに)を目の当たりにすると、これまた情けなくなる。


2011.5.17

またもや葛藤。。ペルーの伝統曲を他国人がアレンジした演奏(それはそれなりに
かっこいい演奏ではあるのだけど、曲解?とも思える)が私の周辺では原曲以上に
広く知られていて、それをコピーして(原曲を知らないままに)ペルーの曲として
合奏しようというのは、どうなんだろう。。。
原曲は半音使いも多く、初心者がケーナやサンポーニャで吹くにはやや難しいかと
いうのもあるし、聞き慣れていたメロディやリズムが形状記憶合金化しちゃってる
人には違和感があるかもしれないし。。。どうするべきか。。。悩む。。。


2011.5.18

音が良く聴こえない場所で楽器を鳴らすというのは、どういうことなんだろう?と考える。
提供していただく会場や音響機材に文句を言うなど1億光年早いアマチュア奏者としては、
自分の出してる音がよく聞こえず、わけのわからない状態で演奏するなんてことは普通に
しょっちゅうあり、音が聞こえてなくてどうやって音楽(音を楽しむ)ができるんだろう?
という矛盾を感じつつも、ともかく客席にちゃんと聴こえていればOKだからと、自分には
聞こえてなくともお客さんには聞こえていると信じて、日頃の練習を信じて、自分を信じて、
水のような空気の中で体を動かし続けてるようなときがある。

演奏者は自分の演奏を客席に座って聞くことができないので、後から録音を聴くことは
ひとつの楽しみだ。でも、たまに、客席に置いていた録音機が、自分の弾いてる楽器も、
自分の歌ってる声も、ほとんど拾っていないということがあり、がっかりさせられる。
音が聞こえていない音楽に、意味はあるのだろうか???
というよりも、、、、、、音が鳴っていない音楽というのは、存在するのだろうか???
そういえば心理学の実験で、視覚は聴覚に勝る(右から汽車の音がしても、左から汽車が
走ってくるのを目にすれば、音も左から聞こえる気がする。)というのがあったっけ。
目の前で一所懸命演奏する姿を見ているお客さんには無音でも演奏が聴こえたかな?


2011.5.19

誤りに気づいたら正せばいい。けれど、人々の流れに逆らうってことがこの国では
何より危険な行為らしく、うまくやらないと有らぬ方向に弾かれたり潰されたり。。
そこんところが無鉄砲すぎて何度もぺしゃんこになったアタクシでしたがっ!!!


2011.5.24

6月の演奏の会場を下見に行った。用事はすぐ終わったので、美術館を回って、
会社員だらけの喫茶店でこっそりビールを飲み(平日の午後12時でしたから)、
それから楽器屋さんへ遊びに行った。偶然にも懐かしい友人ふたり(別々)に
会えて嬉しかった。雨上がりに晴れて気持ちいい風。。。きれいな新緑。。。
しあわせなじんせいだった、とおもふ。。。


2011.5.26

中学時代の友人からのメールに「きのう主治医の先生(35〜83歳ぐらい)が、」
とあったので、「推定年齢、幅ありすぎ〜!」と書いたら、
「ごめん、間違えた! 先生は35〜38歳ぐらいやねん!」と返事が来たけど、、、
すでに私の脳は『35歳にも83歳にも見える医者』・・・どんな容姿やねん???
というのを思い描こうとしていて、、、超絶ニヤニヤ笑いが止まらない!!!


2011.5.28

きょうはアンデスの踊りと演奏のグループ、マチュピチュが花の文化園(大阪府河内
長野市)で出演の予定でしたが、雨のため(まさかの梅雨入り!)中止となり残念!!

仕方なく家で、カティちゃんからもらったマルビータスの演奏録音を聴いてます。
音声ファイル(mp3)をアップロードしようとしたら容量大きくてここには載らなかった
ので、動画じゃなくて申し訳ないけど YOU TUBEを利用させていただきました。

白いハンカチ(マリネラ・イ・ワイノ)(2011.5.14 a.m.@大阪府立花の文化園)
アンカシュのマンドリン楽団がやってたマリネラに、ワイノ部分はいろいろ寄せ集めて
勝手に再構築(半創作?)しました。知り合いじゃない人から「コンドルは飛んでいく」
以外の曲を曲名指定でアンコールして頂いたのはこのときが初めてで、感激しました。

コンドルは飛んで行く(2011.5.14 p.m.@大阪府立花の文化園)
ギターしょぼ〜。ギターは午前中の演奏の方が上手く弾けたんだけどー、でもこの曲は
やはりケーナの出来で選んでこちらのテイクをアップしておこうと思います。あはは。

サクサイワマンピ(2011.5.1@サクラファミリア・カトリック大阪梅田教会・2Fロビー)
マイク無しだったので歌が乱暴(どなり気味)ですが、怒ってるわけではありません。
誰かとても盛り上げてくれてるおばちゃんがいて、それが凄くいい感じ♪ Gracias!


2011.6.1

小説より奇なる現実が次から次。
信頼という面で、物事が、人間が、二分されていく。


2011.6.2

一般論だけど、鬱から回復する過程の最後のところでどうしても避けて通れないのは、
自分の中の傲慢と対面すること。それを否定するのではなく、受け入れること。
そこをなんとか乗り越えられればかなり助かるので、そこんところが鍵なんだなあ。
心身弱りきってるときは、とにかくその線を踏み越えなければそのうち死んでしまう
ので、薬の力を借りてでも、進まなきゃならない。
けれど、すっかり回復してある程度体力を蓄えてるときには、むしろ少しの憂鬱を
抱いたまま生きるのが正しいんじゃないかという気がしている。


2011.6.3

そうなのぢ。特に意味はないのぢけれど、
本日の私は「だ」という文字を「ぢ」に
換えてみようと突然思いたったのぢ。
どうですか。
と言われても困るぢろうけども。


2011.6.4

梅雨というのは、肌寒かったり、蒸し暑かったり、心地よかったり、いろいろだ。
今日は暑かったので、今シーズン初の『テレレ』(=冷やしマテ茶)を飲んだ。
冬の間もずっと焼酎マテ茶割を飲んでたので、そろそろ茶葉がなくなりつつある。
またパラグアイから取り寄せよう。

梅雨というのは、肌寒かったり、蒸し暑かったり、心地よかったり、いろいろで、
今日は「なんか私、女子大生に交際を迫ってストーカー扱いされたオッサンみたい?」
って、がっくりする出来事があり、心底落ち込んだ。けどまあ、もういいや。
明日のことでも考えよう。


2011.6.5

きょうは、ラス・マルビータス@タイ公演でした。 ←ついに海外進出か!???
いやその、、、大阪の『太閤園(たいこうえん)』という結婚式場での演奏でした。
島根の県立高校の同窓会に呼んでいただいたのですが、高級感ある会場と、裏腹に
打ち合わせはアバウトな感じでした。(←ラテン系イベントとはまた違う点で。笑)
そもそも音響が自前の場合、忘れ物がないか、トラブルが起こらないか、バランスは
良いかなど気になって、それで緊張します。演奏以上に。。(演奏は一瞬とちっても
立ち直れるけど、音響がダメだと最低でも1曲終わるまで我慢するしかないからね。)
でも今日は、スタッフ(記録係さん)のおかげで、うまくいったようでよかったです。
自分も音楽をやってるというお客さんから「良い機材ですね」と言われたほどでした。
なんとかブーイングも出ずに、たっぷりのMCも入れながら予定曲をすべて演奏し、
予定のアンコール(笑)もやらせていただきました。幹事さんの見事な司会っぷりが
素晴らしく、とても楽しいムードでやりやすくて有り難かったです。幸せでした。


2011.6.15

懐かしいものをYOU TUBEに見つけた。ドイツのロックバンドの40年前の2枚組LPレコードで、
私も持っているけど、なかなか古いLPを引っ張り出してプレーヤーにかけたりもしないので
パソコン前に座ったまま聴けるのはラクだし共有しやすいので何かと助かる。
これほんとは曲の切れ目が無くて片面ずっとつながってるので、下の3つを間髪入れず次々
再生しなくてはいけない。気合入れて実行してください。(3曲合計で19分ほどです。)
シラフで聴くのはもったいないから、お酒も■もやらない人はもっと夏になって、37度くらい
の部屋でどろっと聴くのがいいかと思う。嘘の象徴みたいな青白い蛍光灯は点けずにね。
(って、人の勝手だから指定すんな〜っ!) いや、でも、最低限の忠告だけするとしたら、
大音量で聴けない人や、お仕事中の人は、絶対アクセスしないでね!ってことかな。
http://youtu.be/U_iJNgLEDS4  http://youtu.be/yn5VfuOJsHc  http://youtu.be/3iFE7SbM7-M
えれきぎたーとかろっくぽい音が苦手な人は1曲目を飛ばして2曲目からトライどうぞ。
ドイツのグループなのになんで英語?って疑問は3つめのクリップで解決するかも。


2011.6.23

『悲しみのミルク(La teta asustada)』というペルー映画を見てきた。
(この邦題には違和感があるけど、、まあ映画の題ならこんなところかなあ?)

3ヶ月程前にプレスシートを戴き予告も見ていたのでまあだいたい覚悟はしてたけど
それでも、冒頭で年老いた母親の歌うケチュアの即興唄がいきなりズシーンと重くて
奈落の底に突き落とされる感じだった。でも最後まで救いがまったく無いストーリー
というわけではなく。。。ペルーのいろいろな側面が垣間見れたというのもあって、
私にはとてもおもしろい(興味深い)映画だった。何度でも観たいくらい。

今一度解説を読むと、観る前に読んだときには文章の意味がつかみにくかった部分も
すとんと腑に落ちた。逆に映画の内容で理解できてなかったのが、なるほどそういう
事だったのねと納得できた部分も多々あった。
ペルー(アンデス)の文化を知っていてこそ初めて伏線となり得る箇所がたくさん
あるので、一般的日本人としてはパンフレット購入が推奨かも。

その文章の中に、題名の直訳である『怯えた乳房』という言葉があった。
「母親の恐怖や悲しみが母乳を通して子に伝わってしまう」という言い伝えをベース
にした物語なので、『悲しみのミルク』よりも(←これちょっと字面が綺麗すぎる)
『怯えた乳房』のほうが題名としてしっくりくると思った。


2011.6.30

鈴虫草について調べようと思ったら、涼む思想と変換された。
いいね。涼む思想。 思想が西瓜など食べながら。


2011.7.1

ミゲルが定額制のビデオクラブに入っていて、今月は1枚余剰があったので、
久々に『未来世紀ブラジル』を観た。いろんなことを思い出させる映画だ。笑


2011.7.9

時間的に、人生の8割ぐらいがスランプ中である気がする私。
それって、スランプ状態というより、元来そういう人間なんじゃ?
うん、そだね。そう思ったらますます落ち込んじゃってあきませんがな!

物を整理してたら、書類の余白に、深みどりのぶっとい色鉛筆で書かれた
おどろおどろしい文字が、

『 じ ご う じ ご く 』

・・・・・・・・・って何これ、自分で書いたんだろうけど、こわい!


2011.7.10

せまいベランダでひまわりを育てていると、ほんの少しさみしい。
みんな揃って柵の向こうに首を伸ばし、私は後ろ頭を見てるだけ。


2011.7.15

そうすることの、本当の理由は何?本当の目的は何?誰もほんとのところの
思惑を話さないので、うそを言うことがかっこいいみたいな風潮でぇー
そのうち自分でもわけがわからなくなってしまってぇー
虫に喩えると、ほんまつてんとう虫。


2011.7.16

ピョ〜〜〜、コンコンチキコンチキチキチン、チキコンチキコンチキチキチン、
あかん。こんなんと違う。毎年聴いてもぜんぜん覚えられない。
今年も“擬音祭り”に苦悩する。


2011.7.19

今日、オバマ大統領に顔が似ているというのが売りのお笑い芸人「ノッチ」に
似ている人に出会った。不思議なことにその人は、ノッチには似てるんだけど
オバマにはぜんぜん似ていないのだった。

言葉に例えて言うならば、「缶ジュース」と「三重苦」はしばしば聞き違える
ほどに似ているし、「三重苦」と「三重の塔」もそこそこ似ているのだけど、
「缶ジュース」と「三重の塔」をいっしょくたにしちゃう人はいない。
・・・と、いうことであろうか・・・・・・・・・。

もしかしたら我々日本人が演奏する“アンデス民謡に聞こえないアンデス民謡”というのも
コピーする過程でこのような現象が起こってるのかもしれない。



2011.7.21

近所のショッピングモールに、名前は聞いたことあったけどまだ見たことのなかった
ペルー人フォルクローレ・バンドが来るというので見に行った。
見た目がおしゃれな若いお兄さんたちなので、きっと“フォルクローレ”とか言いながら
おしゃれ〜なポップス系の演奏ばかりやるんじゃないの〜?と思ってたら、、、
1曲目からいきなりペルーワイノですごくびっくりした。
でも知らない曲だなあ〜と思ったら、オリジナルだって。オリジナルでペルーワイノ!
これは期待しちゃいますぅ〜!・・・と思ったら、コテコテワイノはこの1曲だけだった。
クンビアは得意そうだった。コンドルは無理してやらなくてもいいのにという感じだった。
でも、日本語も上手くていろいろ笑かしてくれて、とても陽気な楽しいステージだった。


2011.7.22

素朴な疑問。海の生き物はあんなに塩水を飲んでからくないのかな?
高血圧にならんのかな? よし、夏休みの自由研究課題決定だ!!!

と思ったけど、今の時代はインターネットでちょいと探せばたいていの
疑問は5分で解決してしまう。嬉しいような、、、悲しいような、、、


2011.7.23

本日の憤り。
そんなに土に返りたければ、とっとと洗濯バサミなんか辞めてしまえ!!!

最近の地球に優しいというプラスチック製品、すぐにバキバキと割れて 何の役にも立ちません。


2011.7.24

朝、目覚めてびっくりした。扇風機の回る音がいつもと違う方向から聞こえると思ったら、
ふとんの上ではなく、トイレの前の洗面台の下で寝ていた。なぜ? まったく記憶にない。
夜勤のミゲルが帰ってくる前に目が覚めてよかった。“事件”になるところだった。


2011.7.26

脳みそをザバザバと水で丸洗いしたい。
そして天気のいい真昼間に、太陽と風に当てて乾かしたい。
けれど、何もできないまま時間が減ってく。
ビヨキは人から時間を横取りしてく。


2011.8.1

クマゼミがジャグジャグジャグジャグとうるさい。
幼い頃によく聞いた蝉の声は『みーん、みーん、みーん、みん、じぃぃぃぃぃぃ〜』
というやつで、よく「みーん、みーん、みーん・・・」と物真似をしたものだった。
今、クマゼミの声を真似する気にはならない。なぜなら、あれは人の声ではない。
いや、人の出せる声ではない、と言いたかった。もはや声ではなく、音という感じ。
だからといってミンミンゼミが人だというわけではない。なにしろ虫だから。
念のために調べてみたら、セミは分類学上カメムシと同類なのだとわかって衝撃。
というか、落胆。


2011.8.2

蝉発電とかできんのかな?


2011.8.10

蒸発。。。なんて単語が浮かぶほどに、跡形もなく消えてなくなるの。時間が。
朝起きたら昼で、ゴハン食べたら夜で、寝た気もしないのに朝。
私の『きのう』は、どこへ行っちゃったんだろう?
いや〜ごめんごめん、ちょっと急用を思い出したもんだからさ〜〜〜、なんて
頭を掻きながら帰ってくるということもないだろうから、蒸発以上に、消滅。


2011.8.12

いつもの公園を斜めに横切る。
・・・ナナメにヨコ切る?・・・ナナメに、ヨコ切る?・・・もとい。斜め切る!
なんだかかっこいいかも。斜め斬りーっ!ってね。

・・・あほくさくて恥ずかしくすらなる夏の午後です。


2011.8.18

今週末、毎年ロス・ムシスで演奏させてもらってた『かけゆストリートフェスティバル(仮称)』
が開催される。今年は諸事情により参加しないので、ムシスを偲んで今までにムシスで演奏した
曲をいくつか集めて聴いてみた。・・・“ムシスがお手本にした音源”ではないバージョンで。

大人数であまり合同練習もできずに人前で演奏するとなると、アレンジをみんなで考えながら
作っていくということが困難なので、誰かが総スコアを書くか、もしくは丸コピーできるような
音源を見つけて、こんな感じでやるので個人練習しといてね、って丸投げするかどちらかという
ことになり、誰もスコアを書かない以上、後者しか方法がないのだった。

その結果、楽器編成やらなんやらの都合で出来る曲が極端に限られてしまい、どうしても
『演奏しやすい曲』という観点で選曲(というか選編曲というか選演奏形態)しなくてはならず、
本当に好きなやり方からは遠のいてしまうことも多々あった。

たとえば、ペルーの曲を外国人(お隣のボリビアやチリの人ですら)がアレンジしたものには、
“外国映画で日本人の登場シーンにやたらお琴の音が鳴る”的な勘違いがあるものも少なくない。
“このフレーズを入れとけばペルーの曲らしく聞こえるだろう”みたいな、薄っぺらい感じの。
で、その適当に入れたフレーズが、ときに有り得ないような組み合わせになってしまっていて、
一体ペルーのどこの地方の曲やねーん???てなふうになってしまってることもよくある。

なるべくその曲のもともと演奏されていた土地のやり方を穢さないようにしたいと願っている。
そもそもうちらは性能の悪いコピー機のようなものだから、せめて、オリジナルに近いものを
元にしないと、もう何をやってるのかすらわからなくなってしまう。現地の人が聴いたとき
「げ、何これ、こんなん全然違うよ〜!」と憤慨されることを思うと、いたたまれない。

だけどそうは思っていても、いろんな面での力不足から、妥協してしまうばかり。
妥協というのはラクチンなようでいて、じつはとても苦しい。

そんなこんなをぼんやり考えながら古い音源をあれこれ聴いていて、
ちょうど音楽の途切れたところへ、突然な夜の雨が。


2011.8.19

楽しくやりましょう。という呪縛。
原因がわかっているのに取り除けない。


2011.8.20

7月なかばから丸1ヶ月ほど体調がとても悪くて(細かく書くとうっとうしいから
書かないけど)呼吸も苦しくて頭が酸欠みたいにボーッとして気力が保てなかった。
先週ぐらいから少しましになったと思ったけど、また悪くなりつつあるねええ。

一日中そこに居たいとは思わないけど、そして実際長時間すごしているのは布団の上と
パソコンの前だけど、家の中では“ベランダ”がけっこう好き。(いや、家の外だけど。)
風があり、町のノイズがあり、たまに雷鳴なども。
そのどれもが遠くからきてそのまま拡散していく。その感じが。


2011.8.23

ある場所で演奏するためのオーディションというものを受けた。演奏1曲と質疑。
審査員が思いのほか大勢で少し緊張した。15人ぐらいいらっしゃったでしょうか?
いやしかしなんていうんでしょ、ライブとは一味違う緊張感があっておもしろかった。
いろいろ質問されてもべらべら喋るのはお手のものというか、話し出したら止まらない
ぐらいだし。でもあとから思えば、あの質問にはこう答えるべきだったなあーとか、
もっとこういう面を強く訴えれば良かったなあーとか、反省するところもあるけれど。
まあまあ結果がどうあれ、刺激的でわくわくした1日でした。


2011.8.24

「んあー」と歌う人と「あっー」と歌う人、「せぁっ」と歌う人と「さー」と歌う人は、、
同じ曲を歌ってるつもりでも、たぶん、違う曲を歌っている。(だからハモれない。)
ギターが「でぇでっつ、でぇでっつ」と弾いてるところに「ぺーんぺーんぺーんぺーん」と
棒読みの旋律。打ち消しあって何の効果も無く、まるで殺し合い。1曲終わったときには
血まみれの瀕死状態。いったいなんのためにこんなことを続けているのか、わからない。
この状況をなんとしてでも終わらせないといけない。限界はとうに越えている。


2011.8.27

今日、“フォルクローレを楽しむ会”でドロールインディオという曲を合奏してたとき、
マンドリンの音が気持ち良すぎて、もう少しでよだれを落としそうになりました。
これだよ、これこれ!マンドリンがそう来ましたか〜じゃあギターはこう行きますよ〜
っていう掛け合い、これが楽しい。これが合奏の醍醐味じゃないですか!
自然に身体が動き出したり、無意識に掛け声や奇声を発してしまう、これがね!

練習後の飲み会では、みんなの暑い、いや熱い気持ちが伝わって、じつにいい感じ♪
やりたいことの方向性やその思いの強さは、実際のうまいへたとはまた別の話。
たとえばケーナで1オクターブの音しか出せない人が熱く語るのを聞いてると、
3オクターブ出せるけど何がやりたいかわかってない人よりずっといい感じ。
そして、じつに酔っ払いました。じつにへろへろ。


2011.8.28

いろんなことが終焉に向かって加速している気がする。
天気のいい日におもてを歩いていると、天変地異もそれが起こる瞬間までは
いつでもこんなふうにおだやかな“日常”なんだろうなと思う。

べつに震災の影響でも、マヤの予言がどうたらいうのを信じてるわけでもなく、
前からずっと常に、今日死ぬかもしれない、明日が人生最後の日かもしれない
と毎日考えながら暮らすのが単なる習慣というか、心構えとして持っていたい
と思ってるだけで、予知能力なんかはまったくないし、世界の終わりを予言
してるとかでは全然なくて、まあすべてのことは終わり(始まり)に向かって
進んでいるという事実を、歳とってきたせいでより実感するだけだろうけど。

んで最近は、もし今突然人生が終わってもまあまあだったなと思える日々だ。
家族がいて友だちがいて、好きなことをさせてもらって、幸せだったなと・・・

いや、それが・・・。
どう考えてもそれはアカンでしょ、逮捕されるような犯罪ではないといっても、
人としてやってはいかんことでしょう、というようなことを平気で、どころか
意気揚々とやってる人を目の当たりにすると、、、ちょっと待ってよ、そういう
人間ばかりが世の中にのさばるのなら、私が遠慮することもないんじゃないの、
という、ギトッとした気持ちが湧いて、なんとも狭量な私、と情けなくなる反面、
この怒りのようなものを燃料にすれば私の希薄な生きる気力も持続させられるの
ではなかろうか?と逆説的な希望の光。。

とはいえ生きながらえて何ができるというわけでもなく、人を非難したところで
どうせ当人はケロリとしてるのだから、「私は私の信じられることだけをする」
ということでしか抵抗できないのだけれど。
そしてそれすらも、現に実行できていない理想でしかないのだけれど。

私がしていることの中には「自分が尊敬している人に対して顔向けできないこと」
というのがいくつかある。妥協の産物。それらを少しでも減らしてからでないと
死ぬに死ねない。ので、ギトギトと生きる。


2011.9.3

大型台風が接近中!とテレビが騒いでるけど、このあたりは風も全然たいしたことはなく
雨も止んでいるので、きょうが期限の本を図書館へ返しに行った。
そしてきょうは、著作権に関する本を1冊と、クマムシに関する本を2冊、借りた。
帰りは、やや強風で、恐怖。(というほどでもなかったが、語呂がいいので言ってみた。)

それにしても、クマムシ、凄い! 1冊目の2ページ目で驚愕した!
ヒトが属する“脊索動物門”には背骨を持たないナメクジウオやホヤから、魚、カエル、
恐竜、etc. そして哺乳類までが含まれるんだけど、クマムシの属する“緩歩動物門”は
クマムシ類だけで構成される、だよ!!!???分類学上めっちゃ独立してるってこと。
宇宙人並みの変わり者ってこと。かわいいだけでなく、かっこええや〜ん!


2011.9.5

出かける直前、マグカップを戸棚にしまおうとしてうっかり床に落として破損、
その拍子によろめいて、あろうことか割れた破片の上に着地。びゃあっと流血〜!
バンソウコを貼りまくって靴下を2枚履いて出勤。

しかし、ひづめで歩くのは疲れる。

というわけで昼食は仕事場から一番近いチャイ屋に入った。
インド音楽が静かに流れている。・・・と思ったら、いつのまにかシクリ!?
そしてタルカ。続いて金管のバンダで「太陽の乙女たち」「サクサイワマン」
「カプリニャウィ・クスケニータ」「カルナバル・クスケーニョ」。。。
その後はシンセサイザーのぐるぐるきらきらした音楽に移っていった。

(私の白昼夢ではありませんよ〜。こういう感じで有名なお店なんです。)


2011.9.9

クマムシの研究をされてる生物学者さんのインタビュー(対談)を読んでたら、
「わかりません」「知りません」という回答があまりに多くて笑えた。
そりゃまあ、わからないことだらけだからこそ、研究をされてるわけですよね。
おもしろいと思うことをどんどん追求するあまり、経済効果よりも“興奮”を
優先させちゃう人というのは、いい感じと思う。


2011.9.11

きょうは『第9回京都フォルクローレ音楽祭』というイベントに参加してきました。
このイベントは今年で9年目。私たちは第1回から欠かさず出場させていただいてるので
もう長〜いお付き合いになりますねえ。関係者の皆様にはいくら感謝してもしきれません。

今年は『楽しむ会(正式名称=フォルクローレを楽しむ会)』と『ラス・マルビータス』の
2グループでそれぞれ4曲ずつギターを弾かせていただきました(ケーナもちょこっと)。

ラス・マルビータスのほうは、まあまあいつもの感じでした。つまり新曲はぐだぐだ!(笑)
ま、エコーがよく効いてたようなので、あまりバレてないかもしれないことに期待してます。

楽しむ会では、心底、楽しませてもらいました。演奏している時間のあいだ中、ずっと幸せな
気持ちでした。今回が初舞台という初心者さんもいらっしゃる、平均年齢はおそらく60歳を
越えているかも、な同好会ではありますが、本当に稀に体験する気持ち良さでした。

それはそうと、なぜか?誤解されてる方がいるようなので、もう一度、言っておきますが、
私ポニタは(ミゲルも)『吹田フォルクローレ・フェスタ』の事務局員ではありませんよ。
吹田フェスには、一演奏者として毎年出演させてもらってはいますが。。。
主催者さんはこちらです。ちなみに今年は11/27に開催だそうです。


2011.9.13

怪我した足をかばって1週間ひょこひょこと歩いていたら、筋肉痛がきわまって
「もう一歩も歩けない!」状態になってしまい、今日は杖をついて出かけました。
憶えてる人もいらっしゃるかと思うけど、数年前にミゲルが足を傷めてたときに
使っていた杖で、長さ調節のために6つほど穴が開いてるのを見て、
「わあ、これ、ケーナにもなるんですか!? ミゲルさんの手作りですか!?」
と言った人もいらっしゃったという、あの杖です。
いえ、普通に市販されてる一般的な杖ですが。。。

杖をつくと、足が、夢のようにラクチンでした!
そのかわり、手が痛くなりました。。。


2011.9.20

ミゲルが寝ながらゲラゲラ笑った。どしたん?と聞くとおもしろい夢を見た
といってまたゲラゲラ笑った。夢で爆笑って、できるもんなんやね。


2011.9.21

台風が町をかすめて通ったので、突然の突風(←重複表現)がときどき吹いて
ビニール傘の骨が骨折(←重複だってば)しました。最初の突風で猫背になり、
2回目の突風では、ギャバーっとのけぞって、ブリッジをする蜘蛛、もしくは
裏返った蛸のようになり、つまり雨傘ではない物となり使えなくなりました。


2011.9.30

世の中にはなぜか、わざわざ嫌いな人間のそばにへばりついて、なんていうんだろーか、、
『挑んでくる人』というのがいる。「あんたには負けへんでえー!」って。。
めんどくさい。。。。。。私は誰とも競争しない。

「うっぷん晴らしに喧嘩できる相手をつねにそばに置いておく」なんて趣味は私には無いし、
なるべく気の合う人たちだけに囲まれて、いつでも気分よく暮らしていたい、と願っている。
なので、私のことを好きじゃない人は、どうかわざわざ私の近くに居座らないでね。

信頼も尊敬も無い中で良い共同制作なんかできるはずないし、私は自分の属する集団全体が
良くなれば自分も嬉しいと思ってきたけれど、「お互いさま」とか「譲り合い」の気持ちが
まったく無い人に何でもかんでも無償で分け与え続けるのは、無限の消耗と思えてきた。


2011.9.30

音符は音の高さと音の長さを記録するけれど、音の質や音の深さを記録しない。

今思えば“ロック”というのは、もし音符で表わすならば単純極まりないものを
如何にかっこよく表現するか!?ということを追求するジャンルであった。


2011.10.1

今日は『ニュイ・ブランシュ KYOTO 2011〜パリ白夜祭への架け橋〜』というイベントで
京都市地下鉄、烏丸御池駅構内でラス・マルビータスが演奏してきました。
じつは先月京都市交通局のサブウェイパフォーマーのオーディションというのを受けて
合格したので、市内のいろいろなイベントに呼んでいただけることになったのでした。

大阪や兵庫のどちらかというとちょっと田舎のほうで演奏することが多かったので、地元
京都市内の真ん中で演奏するのはなんだかこっぱずかしく、同級生に見られたらどうしよ〜
なんて気持ちもありましたが、人生も後半、何もかもさらけ出していきたいと思ってます。

なんと、サブウェイパフォーマーの先輩にフォルクローレ関係の知り合いの方がいらした
のを初めて知りました。今日もパフォーマンスされてました。いや〜、初めての場所での
演奏で緊張していたので、知り合いに出会えてほっとして嬉しかったです♪


2011.10.21

昨日(夕方まで)のこと。
演奏グループの練習日だったけど、メンバーの2人から来れなくなったというメールが
入ったので、中止にした。いつもならミゲルと2人だけでも決行するのだけど、昨日は
練習場所の予約が取れておらず、カラオケ店で練習する予定だったから、夫婦2人だけ
で楽器を持ってカラオケ屋へ行くというのも馬鹿馬鹿しいので止めにして、家で来週の
演奏の曲目を考えることにした。

というわけで、浮いた時間に演奏場所の下見に行き、近くの大学の学生食堂でカレーを
食べ、美術館にも行った。今回の展覧会は有名絵画がたくさん来ていて迫力満点だった。
カレーもおいしかったし、いいお天気で気持ちもよかったし、不愉快な問題は先送り。

昨夜(おそく)のこと。
やさしい人とつめたい人について考えた。
最近、何人かのやさしい人に出会った。私がやさしい人と感じるのは、嘘をつかない人。
他人に対しても、自分に対しても、誠実である人。そういう人は信頼できる。
そうすることで自分がしんどい思いをするとわかっていても、敢えてそうしてきた人。

逆に、私がつめたい人と感じるのは、態度が冷淡とか言葉がきつい人のことではなく、
へらへらして嘘ばかりつく人。あっちにもこっちにもいい顔しようとする不誠実な人。
そういう人はいつでも自分の損得、自分の身を守ることだけしか考えていないのに、
なぜか、まわりの人からはいい人と思われていたりする。世の中は理不尽だ。

やさしい人はなぜこんなにもやさしいのだろう。
そして、私にできることはなんだろう?と思うと、泣けてきた。

今朝のこと。
たくさん夢を見た。
森の中だったり、一本の道だったり、抽象的なぐるぐるした映像だったり。
ぱっちりと目を開けている感覚でその風景を見た。何かが見えそうで見えなかった。

目覚めてぼんやりしているところに、ミゲルが「片平なぎさが死んだな」とつぶやいた。
えっ、まだ若いのに?とびっくりして、テレビを見たら「カダフィ大佐」だった。
(注:私の聞き間違いです。ミゲルはこの手の冗談は言わない。)
・・・こんなオチですみません。


2011.10.28

昨夜は、今まででいちばん過酷で楽しいイベント出演でした。
『岡崎・あかりとアートのプロムナード』という地域活性化イベントで、京都市の古い図書館や
美術館が並ぶ岡崎地区に行灯が並び、いろいろな催し(見る暇なかったからよう知らんけど)が
開かれ、あちこちにストリートミュージシャンが散りばめられるという趣向なのでしたが、、、

木曜から日曜まで4日間開催で、初日は平日だから出演者の応募が少なかったのでしょうねえ、、
あろうことか、ラス・マルビータスは18時半から21時までの2時間半ぶっとおしで演奏することに
なりました。(タイムテーブルが送られてきたとき、「意味がわかりませんが?」と電話して
しまいましたがな。笑。。)要するに、30分の枠を5回連続で演奏しろいうことなのでした。
30分ごとに、徒歩5分ぐらいの移動があるので、1回の演奏は正味20分程度ですが、それを
休憩なしで5回連続するのです。自分たちで荷物(楽器、楽器ケース、かばん等)をまとめて、
演奏用パイプ椅子も小脇に抱え、バタバタと移動し、そしてすぐさま演奏。

しかし楽しかったです。暗いわ、音響無いわ、お客さん少ないわで、どうなるかと思いましたが、
徐々にお客さんも増え、生音だっただけに集中して聴いてくださり、感触がとても良かったです。
自分のギターの音が、スピーカーを通した大雑把なやつではなく、きめ細かく聴こえたのも
この上ない幸せでした。本当の、ちゃんとした、ギターの音が、心地よかったです。
舞台ではいつも、自分の音がよく聴こえず、お客さんのための演奏になってしまいがちですが、
この日は自分のために弾かせてもらったように思います。(申し訳ありません〜)
アマチュアグループがこんなに長時間演奏させてもらえたのも有り難いことでした。


2011.10.29

みんな好きなことを、やりたいことを、やったらいいんだと思う。音楽は個人的なものだから。
「大会場で何万人が一体感を!」とか、「音楽で世界を変えよう!」てなコンサートもあるけど
たぶんそれは、音楽を道具に使った“スポーツか宗教の一種”なんだろう。
アマチュアバンドも同好会やカルチャーセンターと同じで、主な役割は“社交の場”なんだろう。


2011.11.5

断片的な情報。解けないパズル。脳みそが水びたし。頭の中が満水で今にもこぼれそう。
通勤電車で目を閉じて、いたって無表情、心静かな私。でもふと何気なく顔に手をやると
指の上を大きな丸いものが、ぼろりっところがっていって、内心で慌てふためく。


2011.11.7

昨日は大阪市住吉区民ホールにて『ユースコンサート』という、若者にもっと市民行事に参加
してもらおうてな趣旨のコンサートに、グルーポ・マチュピチュが出させていただきました。
出演者は、ほんまの若者半分、残りはむにゃむにゃ、、、てな感じでした。笑
フォークソングやロックの中でアンデス伝統舞踊は異色な感じで、いつものフォルクローレ
イベントや国際色豊かなイベントとは勝手が違っていて、またおもしろかったです。
それにしても、音響スタッフは素人ボランティアが数回の講義を受けて実践、司会も出演者の
中から抽出、ということでしたが、限りなくプロっぽいお仕事で、大変素晴らしかったです。
そして、出演者の皆さま方が本当に気さくで暖かい方ばかりで、楽屋は終始笑いが飛び交い、
いかにも大阪南部らしくて、心が温まりました。
夜は、近くのペルー料理屋へ行ったのですが休みだったので、普通の居酒屋に行きました。
そしたらなぜかメニューに“セビッチェ”だの“タコス”だのがあったので、食べました。
ちょっと和風だったけど、わりかしおいしかったです。


2011.11.8

なんでもない出来事を、ことばの力でおもしろく語ることはできるし
ここにはたいてい、そんな感じのことを並べてきた。

けれどほんとうの現実は、
どうやったって、うまく伝え、残すことができない。

ただ自分の胸の中で、いつまでも、ずっしりと、熱をもって、存在するだけ。
自分自身が消えてなくなるときまで。ずっと、抱き続けるだけ。


2011.11.13

今日は花の文化園(@大阪府河内長野市)でグルーポ・マチュピチュの踊りと演奏。
10月にこの場所でマルビータスが演奏したとき、「次はいつですか?」と訊かれ、
同じグループではないけど11月に踊り付きで演奏しますよ、と言っていたら、
ちゃんと見に来てくださった方がいらして、本当に有り難いことでした。
マチュピチュのときの演奏隊の衣装はワイシャツにチャレコ、中折れ帽なので、
ミゲルは、「今日は地味ですね、緑のジャケットと赤い帽子のほうが似合って
ましたよ」と言われておりました。まあ、今日は踊りがメインですので。。。


2011.12.6

この11月はなんだか緊張の連続で、ひと月で3キロ体重が減っていた。現在進行形。
といっても、ここ数年間太り続けていたから、あと2〜3キロ減ってやっと理想体重。
なんだか毎日一度は泣いている。でもべつにうつ病とかではないので、ご心配なく。
実際にいろんなことが起こって(嬉しいことも楽しいこともたくさん!)気持ちが
動いているのだから、正常な反応であって病気ではない。

先日、パソコンの致命的不具合でリカバリを決行した。
12月の『ライブイベント情報』をぎっしり書き込んでいたのに、アップロードする前にデータが
飛んでしまったので、、、同じ作業を繰り返す気力が萎えてしまい、、、更新が滞ってます。
ま、誰に頼まれてやってることでもないので、いつやめたっていいんだけどね。

てなわけで、この日記も書けずにいたので、前回更新以降のことを、さらりと記録しておく。

11月19日(土)。多摩シネマフォーラム第21回映画祭で、ペルー映画「悲しみのミルク」の上映と
ドゥオ・パリワニータ(松崎文音さん&青木隆八さん)の歌とギター(トークもあり)のイベント
にご招待いただき、金曜の夜行バスで東京に向かった。この映画を見るのは2度目だったけど、
やはり良かった。上映の後そのまま客席が真っ暗だったから助かったけど、或るうたを聴いて
ダーダーと滝の涙が止まらなかった。(そのうたについては後日言及するでありましょう。)
翌日。午前、福田千文さんのマリネラ(ペルーの国民的ダンス)教室を見学。
午後、パリワニータのおふたりと『江戸東京たてもの園』という施設に遊びに行った。
広い敷地にたくさんのレトロな建物、とてもなごめる空間で、木が、空が、陽射しが、雲が、
すべての生き物が、きれいだった。またもや何度か泣きそうになるほどに。。。

夕方は、チャランゴで遊ぶ。アヤクーチョ南部のねっとりしたベケベケのチャランゴを初めて
間近で聴いた。コンフント・プーヨの、あの音色。今まで「あれはきっと楽器が違うんだ」
と思ってたんだけど、弾き方が根本的に違うのだとわかって、目からウロコ。
ピスコやジンを飲みつつまったりと夜をむかえ、再び夜行バスで月曜の朝に帰宅。

11月24日。運転免許の更新。質問されたらこう答えようと用意してたのに、訊かれなかった。
「免許証の色はなに色ですか?」「ええっと、おおむね白い、ですが?」

11月26日(土)。京都市地下鉄御池駅にてマルビータスが1時間ストリート演奏。
急ぎ足の雑踏の中、何人かの人が立ち止まって聴いてくださり、ありがたいことでした。

11月27日(日)。第9回吹田フォルクローレフェスタ。マルビータスで4曲演奏。全然うまくない。
打ち上げは少し楽しかった。Ayacuchoと文字入りのTシャツを着てたら、2、3人にウケた。
帰り道、酔った勢いで暴言吐いて殴りかかられて防御した右手の薬指第2関節が真っ黒に。。
殴ってきた人は悪くなく、頭にくるのはいつでも自分だけ安全な場所でにこにこしている人。
そのふてぶてしくずるい人間が許せない。ずっと長年許してきたけど、もう我慢できない。

12月4日。誕生日プレゼントに、ペルーのトルコ石といわれる(トルコ石は12月の誕生石)
クリソコラという石の付いたペンダントトップが届いた。心底、嬉しい。ふつうのトルコ石
より濃く深く、ラピスとエメラルドを合わせたような美しい色合い。幸せの黄色いパンツ添え。
気がつけば、携帯電話に、かばんに、ギターケースに、小物入れに、至る所にワイルーロ!
これで幸せになれないはずがないよね、私。

12月5日。夜8時半ごろ、アルバイトから帰宅すると、玄関ドアの真横の、階段の手すりに、
カラスが1羽とまっていた。とても小さくきれいなカラスで、ほっそり引き締まった体に
細いくちばし、銀色っぽく輝くような羽に包まれて、見たことのない美しさ。
きょときょとと首をかしげて私を見つめ、くちばしをぱくぱくさせた。何か話すように。
けれど私にはカラスの言葉がわからない。わかってあげられなくてごめんね、なんて言うと
また誰かに、わかろうとしなくていいから、って言われるのかな。でも会えたことが嬉しい。
ありふれた日常と並行して起こっている現実の物語はいろんな意味で語ることが不可能。


2011.12.7

顔面蒼白になりじっとりとイヤな汗。
毎週Dドライブにバックアップをとっているからと安心して、このところ
パソコン外部には何も保存してなかった。まさかハードディスクふたつとも
いっぺんに壊れるなんてこともなかろう、、、と思っていたし。
ところが、まさかの。バックアップデータファイルの中身は空っぽ!
やられました。。。。。。年賀状、どうするよ?


2011.12.9

ようやくホームページの更新ができる状態になった。主に気力の問題だったけど。


2011.12.14

電車の中で、隣の席の老紳士が「今、何時ですかな?」と尋ねてきた。
私は腕時計をしないので、携帯電話をポケットから出して見ようとしていたら、
老紳士は自分のしている腕時計を差し出して、「きょうは電話を忘れましてな」
と言った。「目が悪くなって、この時計では時間が読めないんですわ。」
見れば、金色に輝く上等そうな腕時計。。。でも文字盤に数字の無いタイプで
向きが違うと読みにくかったので、結局私も自分の携帯電話を見て時刻を伝えた。
それにしても、携帯電話を忘れても、役に立たない腕時計をはめてきちゃうのね、
きっとそれが長年の習慣なのね、と思うと、微笑ましかった。


2011.12.22

今までに見たこともない厚かましい人がいて驚愕した。
本当に悔しいのは、私の大好きな物や愛しく思う人たちは、すぐに消えていこうと
するのに対し、頼むから消えてなくなってくださいっと願わずにおれないものは、
岩の如く居座り続ける。。。なんて、ままならないんでしょう。
弱肉強食は仕方がない。とはいうものの、人間の場合は姑息な手段を使うので、
勝者が本当に強くて健康で美しいとは限らない。

美しい、って何だろう?と思う。
物が散乱して埃だらけの部屋と、きちんと整頓され埃の無い部屋、新鮮な食べ物と、
腐った食べ物、、、そういったものは物質的な違いが明らかだけど、、、
人の言動を見て、美しいとか薄汚いとか感じるのは、どこに違いがあるのだろう?
勝手な感情移入?思い込み?なのだろうか?
もしそうだとしても、私は、自分の感じたことを信じて、それを守ろうと、する。


2011.12.23

アマウタ忘年会に参加した。教室に飲食物を持ち込みといういつものスタイルで、
気楽で自由で演奏もいっぱいできるのが、とても好き。
みげぽにの二人演奏は、なぜかスタンダード曲「風とケーナのロマンス」、そして
ペルーワイノをリクエストして頂いたので、「カプリニャウイ・クスケニータ」を
歌わしてもらった。いやもう、ひさびさにワイノを歌わしてもろて、極上の喜び。


2011.12.24

堂々と胸を張れることだけをして生きていたい。と思う。けど、
何かに従属しているかぎり、そうもいかないって。


2011.12.25

京都市地下鉄市役所前駅にて1時間半マルビータスの演奏。
外は思い切り寒かったけど地下街は全然寒くなくて助かった。
12曲ほど用意してたけど合間にほとんど喋らずどんどん演奏してたら時間が余って
結局17曲ほど演奏した。マイク無しだと力一杯ギターを弾くので筋力が鍛えられた。

通常、ギターはそれほど力を込めて演奏するものではないのだけれど、指や腕に
ギターを弾くための筋肉がついていると、繊細で静かな曲も余裕を持って弾ける
気がするので、たまに、少々雑になっても力一杯長時間演奏する、ということは
(大人数のケーナの伴奏を一人でするとかね)それなりに有用だと思っている。

今日は最初から最後まで聴いてくれる人がいて(まあ、身内ですが、、)手拍子や
拍手や、歓声までいただいて嬉しかった。1曲ほど、公衆の面前でやってはいけない
ような演奏(歌)になってしまったのは、良くなかった。あれは、つらい。。。


2011.12.28

ギターを持って駅のホームで特急待ちの列に並んでいたら、突然、50代ぐらいの
会社員風の男性に「それはギターですか、ベースですか?」と声をかけられた。
いたってふつうのギターなんだけど、私がチビだからベースにも見えるのかな?
と思いつつ、クラシックギターですと答えると、その人はジャズをやってる人で、
ギタリストを求めている、ということだった。
フォーク、ロック、ポップス系以外では、どこもギタリスト不足なんだろうか?
駅で見知らぬ人間をスカウトとはちょっとびっくりしたけど、それも、ありか。


 00  01  02  03  04  05  06  07  08  09  10  11  12  13  14  15  最新


このページは無断転載禁止です。

ポニタの押し入れに戻る
トップページへ