むこう川

〜 ポニタのひとりごと 〜
日々生まれては消えて行く、取るに足らない“思い”は川に流してしまおう・・・



2015.11.26

脱力な会話で元気になる。
幽霊を鼻から吸い込む話とか、、、とってもシュールで絵画的〜


2015.11.24

疲れたのでしばらく引きこもりたい気分。


2015.11.23

『吹田フォルクローレフェスタ』にてラス・マルビータスで4曲演奏。
吹田フェスはいつも“変に”緊張する。いろいろ言い訳したいけど見苦しいからやめとこ。

橋本仁さんの「オルガン@たま」を聴いて、忘れていたいろんなことを思い出した。
「たま」はその風貌からイロモノ扱いされがちだけど、なかなか音楽性の高いバンドだったと思う。
YOU TUBEではほとんど聴けないのでぜひCD買って聴いてね。(って誰に言ってんだか?)
『オリオンビールのうた』のマンドリンとか好きだったなあ。


2015.11.22

梅田のレストラン、ロス・インカスで、ダジャリートスのライブを見てきました。
私も昔通っていたチャランゴ教室で結成された全員チャランゴ奏者4人組という異色のグループ。
アレンジにいろいろ工夫があって面白かった。ロンロコやワライチョを駆使した「プルルナス」とか。


2015.11.20

パリ追悼。シリア空爆。死者の数は、、、。

@テロリストに妻を射殺されたフランス人が、「憎しみに憎しみで返すことはない」とコメント。
@「祈るだけでは解決しない。人間が解決しなくてはいけない。」とダライ・ラマ。

祈るだけでは解決しない。そりゃそうだ。
では祈りは無駄かというと、怒り、憎しみ、妬み、悲しみ、大切な人の死、いろんな苦しみを
どうにか処理して生きていくために、新たな苦しみを生まないために、自分の心を制御する
ために、そのとき祈ることは少しでも役に立つかもしれないと思う。
善い人がずっと善い人であるために。

傍若無人な人間には宗教なんて必要ないんだろう。どうせやりたいことをやるんだから。
某宗教の過激派なんて、じつは何も信仰などしてないんじゃないかと思う。
だって「自分がいちばん偉い」と思っているようにしか見えないんだもん。
「神の意思」とか言うけど、そんなん、犯罪者がよく口にする「悪魔に操られた」と同じで
ただの言い訳にしか聞こえないもん。


2015.11.19

久しぶりに2本立ての長くて重い夢を見た。

ひとつめの夢の中で私は、武装したテロリスト青年の肩を抱いて
「あなたは本当はこんなことをする人間じゃない」とか言っていた。

言うとくけど、現実世界での私は、絶対にテロリストを擁護したりしない。
いくら頑張っても話し合いでは理解し合えない人たちもいると思うし、どうしたらそういう人たちを
地球上からいなくすることができるのか(でも空爆はあかん)、世の中からテロをなくすことは
どうしてもできないものなのかと考えて、昨日も絶望的な気分になっていたところだ。

だからなぜこんな夢を見たのかわからない。
でも夢の中で、その人と一対一で向き合ったとき、その悲しい過去やあたたかくやさしい感情が
いっぺんに私の中に流れ込んできて、同じにんげんとして、一つに溶け合った感覚になった。
その夢の中では、大丈夫、不可能ではない、絶望しなくていい、と思えたのだった。

目が覚めてからテロリストに対する感情が昨日と変わったかというと、そんなことはない。と思う。
しかしなんともいえない気分だった。今日一日はますますパリのテロに関する報道が加熱していた。
夜にはテロ首謀者が死亡したというニュース。笑顔の若者の写真。ああ、死んじゃったんだ。

ふたつめの夢のほうが長かったんだけど、ひとつめの印象が強すぎてさっきまで忘れていた。

(ここから夢の話)私は私の周辺の人たちと共に、学校のようなところに入学した。
そこに入ると自動的に、ある組織にも加入する習わしになっていた。
PTAとか町内会とかそういう感じのもので、ちょっとした会費を払って手続きをすると、
会員証が貰えて、安全なメールの連絡網に加入でき、文化祭みたいな趣味の発表の場も得られる。

私は何かロス・ムシス的なグループの代表者としてメンバーの入会手続きを取りまとめたのだが、
数日して何人かのメンバーから「私の主義思想に反するのでやはり脱会させてください」という
手紙が届く。封筒の中には返却された会員証。手紙は巻物のような長い紙にまるでお経のように
こまかい文字でびっしりと書かれている。
そこで私は
1.そのメンバーを説得して組織に加入することを勧める。
2.去るものは追わず、残ったメンバーだけでやっていく。
3.実は私も違和感を覚えていたので、私も脱会する。
この選択肢の中で迷う。
厳密に言えば私だって自分の考えに反する部分はある。けど、それを言い出したらどうなのか?
世の中は大概こんなものではないのか?妥協することは悪なのか?百かゼロかと言い出したら
何もできなくなっちゃうし?でもこの長い手紙を書いてきた人の気持ちもよくわかる。
答えの出ないまま目が覚めて、午前中いっぱいボーっとしてしまった。
天気予報では昼から晴れるといってたけど、一日中布団のような分厚い雲が空を覆いつくしていた。


2015.11.11

いそげばギザギザ三角に。椅子に座ればドッスンドッスン四角くなって。

まあるく弾むためには、しなやかな脚力と、ふわりとした風と、わきあがる笑みが必要。


2015.11.8

恒例「花の文化園、秋のフラワーコンサート」@大阪府河内長野市。
Akoさん含む3人ラス・マルビータスで演奏。
昨日はどっぷり重たい雲に覆われた1日で、今日も朝からポツポツ小雨。こんな日の植物園にお客さんは
いったいどれだけ来るんだろう?と思ったけど、「今日マルビータスの演奏はありますか?あるのだったら
行きます」という電話もあったそうで、たいへん有難いことでございまするるるるるる。
いつもは屋外で演奏だけど、今日はたまたま空いていた(たいてい何かの展示をしている)イベントホール
で演奏させていただきました。午前はまあまあ良い感じ。午後はちょっと失敗もあり、かたじけなし。


2015.10.29

あかんあかん。悪い感情にとらわれている。

だいたいにおいて私は、
「おたがいさま」と助け合い、「おかげさまで」と感謝する、
そういう人たちの間でのんびり育ってきたんだろうと思う。
(もしくは内に引きこもりながらそんな理想を夢見ているだけかもしれんけど)

なので、いい歳をして、「おたがいさま」が通用しない人との付き合い方が身についていない。
ぐいぐい押してきてこちらの居場所までも浸食してくる人を、うまくかわせない。
あかん。京都人としては、しれっと笑顔でかわせなあかんのやろうけど。
にっこり笑いながら嫌味のひとつも言いつつなおかつ自分の立場を守れなくては、と思うのだけど。
でももうとにかく、人と張り合うとか競争するのが大嫌いで、逃げ出したくなる。死にたくなる。

そんなこんなで自分がいやになり、山に登る。
山はすがすがしく、いつもおもしろいことがおこる。
なんか今日は、よくテレビのサスペンスドラマに出てらっしゃる有名俳優さんとしゃべっちゃったよ!
いやー、びっくりした。京都を紹介する番組の撮影だったようです。


2015.10.24

F田さんソロ・ライブ(@大阪市城東区、ちっちゃな居酒屋ライブハウス・ダイヤ)に行きました。
F田さんはとても古い付き合いになるフォルクローレ仲間です。お店はとても狭かったですが、
たらこスパゲティとジントニックがとても美味しかったですし(チリワインのボトルも空けました)
緊張するF田さんをかぶりつきで見れて嬉しかったです♪
終盤にはリラックスした雰囲気で、F管のケーナがやわらかな音で、曲も綺麗で好きでした。
楽しませてもらい、おみやげまでいただき、本当にありがとうございました。
いろいろと身体の不調も出てきたりするでしょうが、これからも楽しくやりましょうね、はぁと。


2015.10.16

ペルー音楽のドキュメンタリー映画『わたしはここにいる/Sigo siendo』を見に行きました。
おそらく関西での上映は無さそうで、今のところDVD化の予定もないということでしたので、
東京のセルバンテス文化センターまで。(みかさま、情報ありがとうございました!)
アマゾン先住民女性の唄(無伴奏)から始まり、海岸地方、山岳地方の、ペルーの素晴らしい
アーティストたちの生演奏が大スクリーンで見られるという、私にとってはまばたきするのも
勿体無いような映画でした(夜行バスで東京に着いたばかりで眠かったのですけどね)。
監督も来場されていて質問コーナーもあり、笹久保伸さんとイルマさんのうたと演奏もあり、
なんとも贅沢な企画でありました。


2015.10.10

10月3日(土)『市民文化祭 ふれあいステージ』(@京都市、梅小路公園)で、みげぽに2人で4曲、
10月10日(土)は『ナイスミート・イン・山科』(@京都市営地下鉄山科駅構内)で、アコさん含め
3人で1時間近く、と2週連続でマルビータスの演奏でした。多少のアクシデント(マイクスタンドを
持っていくのを忘れて急きょ公民館で借りる、ピアス片方失くす、など)はありましたが、おおむね
気持ちよく演奏できました。2週連続で見に来てくださった方もいらっしゃって有り難いことでした。


2015.9.20

15年以上も前のことだけど、たまに思い出すことがある。
日本人数名とペルー人数名がいる場でのこと。ひとりの日本人が、
「わたしたち日本人はみんな、××××××××なんですよ〜」というようなことを言った。
私はその内容に当てはまらなかったので、「えっ?何?私は違うんだけど?」とびっくりしたけど、
すでにその場のペルー人全員がうんうんと大きくうなずいていて、咄嗟に反論することができず。。。
後で思い出すたび、日本人といってもいろんな人間がいるのに何故ひとくくりにしてしまうのか?と
不思議に思うし、ペルーの人たちに「日本人とはそんなものなのね」と誤解させてしまったことが
悔しかった。

同じようなことが数年前にもあった。
一緒に他地方を訪れた関西圏の知人が、初対面の人たちの前で「私たち関西人は、××なんですう〜」
と言った。ええっ?私は違うよ?なんで一緒にするの?なんで真実ではないことを人に言うの?と思った
けれど、わははと笑われて次の瞬間には別の話題に移ってしまい、、やはり訂正できずじまい。。。
初対面だと第一印象が固定してしまいがちで、後から訂正するのが難しく、とても迷惑した。

そもそも、「私は」って言えばいいことを、なんでわざわざ「私たちは」って言うのかなあ?
普段から同意がとれてる話ならいいけど、そんなわけでもないことを勝手にまとめるのは、なぜ?
たまたまそのとき一緒に行動していただけで、すべての考え方が一致してると思い込むのは、なぜ?

・・・で、なぜこんなどうでもいいようなつまんないことを思い出したかというと、
今テレビのニュースで「戦争反対」のプラカードを持った人がインタビューされていたのだけれど、
見たこともないその人が、あたかも自分が『日本国民の代表』であるかのような口ぶりだったので。
私はあなたに代弁を頼んだ覚えはないし、そもそも全然意見が異なるのですけれど?
「現にこれだけ大勢の人が集まっているのだから・・・」なんて言ってるテレビタレントもいるけど、
その理屈だと、「国民の大半が阪神タイガースの優勝を願っているはず」ということにもなる。


2015.9.19

最近やたら耳にする気持ち悪い日本語は、『固定概念』と『ふんどしをはく』です。
特に『固定概念』は、この半年ほどで急激に増えたというか、それ以前はまったく聞いたことが
なかったのに、このところ意図的に流行らせてるのか?って思うくらい頻繁に耳にする。
いい歳をしたおじさんの口からも聞く。テレビで訂正されないまま流されてると、それが正しい
のだと思っちゃう人が増えて非常にまずいんじゃないかと思います。


2015.9.13

『第1回おこしやすフォルクローレ・フェスタen京都』というイベントに参加してきました。
昨年惜しまれつつ終了した『京都フォルクローレ音楽祭』(@醍醐)の後を継ぐ感じのイベントです。
醍醐のとき同様、スタッフの皆さんのご苦労を考えると本当に頭が下がります。ただひょろりと
参加して演奏だけさせていただいてる身としては、ただもう恐縮です、はい。

私は“たのしむ会”と“ラス・マルビータス”のふたつのグループで演奏させていただきました。
マルビのリハーサルは素晴らしい出来だったのですが、そういうときは大抵本番で失敗しますな(笑)
一番好きなクスコワイノでこけました。(なんかもう「ワスワ」は永久に舞台では成功しないのかしら
と思ったりします〜なんべんやってもグッダグダ〜笑)

2次会ではグダグダ覚悟ののアヤクチョ・ワイノもやりました。みげるが相当酔っ払っていて、
ざわついててギターが聴こえなかったのもあるやろけど、入るところをワンテンポ間違ったり、
まだ3番の歌があるのにフーガを吹き出したりしたので、その都度足蹴りを入れてしまい、、、
またもや、夫婦漫才(どつき系)になってしまいました。いや〜恥ずかしい〜、、、

でもどんなにぐだぐだになろうとも、自分の好きな歌を歌えたことは嬉しかったです。
今回マルビの本番ステージで演奏した曲は、こういったイベントでよく演奏する曲ばかりでしたから、
じつは私としてはどちらかというと交流会のほうに情熱を傾けておりました。ははは。
ふだん「ペルーワイノが好きです!」「おもにペルーの曲を演奏しています!」などといいながら、
YOUTUBEにこましな演奏をあげてみたら、あんまりペルーワイノがなかったりもしていて、
言動の不一致といいますか、グループのアイデンティティが危うくなってる気がしていたのです。
いえ、実際にはほぼペルーの曲ばかり演奏しているのですが、私が好きなコテコテのペルーの曲は
へたくそすぎてアップロードできないのが多かったりするので。。。
なので、「私はこういうのが好きで、こういうのがやりたいんだよ!」と伝えられただけでも
とりあえずはちょっと嬉しかったのです。「あんまり知られてないけど、アンデスにはこんなに
きれいな曲があるんだよー」ということが、私の一番伝えたいことなのです。


2015.9.8

好きなお酒は何か?と訊かれたら、答えは全然迷わないけど、それを口に出すのはためらう。。

何故なら、私の好きなお酒は、ジン、ウォッカ、テキーラ、ピスコ、泡盛、てな感じで、、、
それをそのまま言っちゃうと
「うっわーーーー、酒、強そうーーー!こわーっ!」と思われることは必至なので。
でも私は別にお酒が強いわけでは全然ないので、誤解されるのは面倒くさくて嫌だしなあ。

だいたい、強い酒が好きというだけで大酒飲みと思われる、、これは誤解です。
だってジンやウォッカをビールのようにジョッキで何杯もがぶがぶ飲むわけないじゃないですか。
ピリ辛の食べ物が好き(激辛は嫌い)なので、お酒もぴりっとするのがおいしく感じるだけ。

それと、効率の良さを求めてしまうのね。たとえば水分が欲しいときは水。塩分不足だったら塩。
お肉が食べたかったら、肉。タレだのころもだの長時間の煮込みだのは不要というか余計。

で、お酒が飲みたいときも、甘みや炭酸はいらんし(おなか膨れてまうやん)、アルコール度数の
高い方がてっとり早いと思う。もうね、工業用アルコールでもいいかなと思うこともあるくらい。
あ、いえ、それは実際飲んだことはないですよ。脳が溶けちゃいますよね♪

ええと、だからあー、私は大酒飲みじゃあありませんってばあ!!!


2015.8.14

実家にて。大学生の姪っこはオーケストラでオーボエを吹いてるのですが、
うちの母ときたら、「なに吹いてるんやっけ、おーぼら?」
と、いちびってるわけではなく、天然のボケで、
自分の孫を『大ボラ吹き』にしてしまうのでありました。


2015.8.8

『楽市洛座夏祭り』(@京都市下京区)でラス・マルビータス(con アコさん)が演奏させていただきました。
過去にも何度か参加させていただいてますが、夕方から始まる屋外での夏祭りですから、お客さんは
ビールをぐいぐいやりつつおしゃべりにも夢中で、まーあんまり真剣には聴いてないよね〜っていう
雰囲気を感じ取っておりましたので(笑)、今日のところはしっとりした歌ものはやめにして、
ケーナがピヤアーっときれいに鳴る系統の、心地よいBGMみたいな路線を目指しました。
ざわつく祭り会場ですぐそばを車も電車も通るのですが、思いのほか音響が良くて、ケーナはもちろん、
ギターもとても柔らかい音で鳴っていて気持ちよかったです。(録音すればよかった!残念!)
地獄のように暑いだろうと覚悟していたけど、直前の夕立もあってわりと涼しく、天国のようでした。
写真を撮ってくださった方、よかったよかったーと拍手してくださった方、ひとりでもふたりでも
そういう方がいてくださると、うれしい気分になれます。


2015.8.2

子供の頃によく行ったプラネタリウムに出かけた。(冷房が効いてると思って)

プラネタリウムの何が一番好きって、あの暗いドームの中で星空を見ながらの、
うっとり眠くなるようなここちよい声のアナウンスだ。
終了時にじわじわ明るくなって、「おはようございます」と言わはるときが一番好き。
たまに早口でぶっきらぼうなしゃべり方の人だったりすると、とても残念なのです。
やわらかい声で子守唄のように催眠術師のように語りかけてほしい。

で、今日はなかなかやさしげな男性の声で良かったなあーと思ってたんだけど、驚いたのは、
20〜30代の男性の声と思って聴いていたのに、終了して出がけにアナウンスのブースを見ると
けっこう年配の男性だったということ。(人が入れ替わってたのかな???未確認です。)
ふつう、声を聞いただけでだいたいの年齢はわかると思うんだけど、、わからんことも。。。

というのも、『和風総本家』というテレビ番組のナレーションを聞いて、50〜60代ぐらいの女性と
勝手に思いこんでいたのですが、ナレーターの麻生美代子さんは、なんと、89歳だそうで!
あの、イソノフネさんの声をやってらっしゃるかたなのでした。そういえばずっとあの声ですね!
豆柴の豆すけの出てくる冒頭シーンで、ちゃぶ台の前に座ってらっしゃる白髪のお婆ちゃんが
ご本人だそうです。見た目は総白髪で背中も丸いお婆ちゃまです。でもお声は、とても90歳近いとは
思えない艶があります。かつぜつや英語の発音も良いのだけど、そのへんは日々の努力でなんとか
なるかもしれんけど、声そのものは…ねえ。。。声を若く保つ秘訣とか何かあるのだろうか?
ちなみに、ヘビースモーカーだそうです。ううむー。

それはそうと、プラネタリウムまでの時間つぶしに『実験教室・ストロー笛を作ろう』というのに
参加してみました。ストロー笛と聞いて、みげ&ぽには大体どういうものかと勝手に想像していた
のですが、いやはや、ものすごく簡単に誰でも音が出せるすばらしいアイデアで、感心しました。
でもネタバラシはやめておきますね。気になる人は『京都市立青少年科学センター』へGOです!


2015.8.1

大阪市立むくのき学園啓発小学校の夏祭りでラス・マルビータス(@みげぽに二人バージョン)が
演奏させていただきました。このところ連日体温超えの猛暑ですから、とにかく暑かったです。
演奏場所は冷房のない講堂で、直射日光が当たらないのが幸いでしたが、高温多湿で風もなく、
私はちょっと見ちゃおれないほどの滝の汗を流しながらの演奏となってしまいました。

なんかもう汗が目にも入ってくる勢いで、あごからはポタポタポタポタ落ちるし、ギター弾きながら
拭くこともできないので、唇に流れてきたのを思わずぺろぺろっと舐めてしまったりして、、
うげげげ、、見た目、最悪だっただろーなあ! すぐ目の前に女子高生がずらりと体操座りで私を
見上げていたのですが、きっと不快だっただろーなーと申し訳ない気持ちですううう〜。

意外とみげるはあんまり汗かいてませんでしたね。(枯れたのかしら?)
みげるは半袖で私は長袖だったからかな?スカートもごつかったし。(それでもコスプレはやめられない!)

ほかの出演者は中・高校生の団体が多く、学校祭みたい、というか、青春ですなあ〜、というか、
さわやかにパワフルで素直でかわいらしくて、ほほえましいというか、うらやましいというか。。。
学校と地域のお祭りということで他府県民のなんの関係も無いマルビでしたが、昔、近くのスタジオを
練習で使ったことがある関係で呼んでいただいたのでした。まあ不思議なご縁ですね。

冷房のない控え室の窓から外を見ると、石の鳥居が見えました。で、思い出しました! 3年ほど前、
道に迷ってふらふらと入ったことのある神社でした! この鳥居の写真を撮った後、デジカメが
壊れたんだよねー。。。というわけで、お参りして帰りました。


2015.6.29

「椅子」という漢字は読めるけど、「い子」と書いてあると何のことだかさっぱりわからず、
何時間も悩んでしまいました。。。これがアハ体験というのでしょうか。


2015.6.28

カピバラとヌートリアとビーバーの違いについて知りたかった。
しっぽの形態が違うのは知っていたが、顔はどれほど違うのか。
確認しようと検索などしていて、初めて知ったこと。
それは漢字表記。
カピバラは「水豚」、ヌートリアは「海狸鼠」、ビーバーは「河狸」と書くそうだ。
すごい。顔写真を見ながらこの漢字を見ると、なかなか言い得てると思った。


2015.6.25

誤解がはびこる。
世間に「はびこる」ものは、たいてい間違いだらけ。
それでも、何も無いよりは誤解がはびこるほうがマシなのかな?
それとも誤解がはびこるくらいなら何も無いほうがマシなのかな?

私は無いよりは有ったほうが、よかったと思ってる。
手掛かり足掛かりがあるのは、非常に有り難いことだと思う。
問題は、受け取る側の受け取り方にあるのだろう。
ただ鵜呑みにするか、自分の頭で感覚で疑って調べて感じて自分なりに獲得するか。


2015.6.24

ちょっと用事(調べもの)があって古いボリビア盤のレコードを引っぱりだして聴いていた。
アウトクトナ音楽のはざまに、ちょこちょこっとワイノが入っている。ペルーの曲もあって、
こういうのが、私がペルー音楽にはまるきっかけのひとつだったかもしれない。が。
こういうのって、確かにペルーの曲だけど、ペルー人の演奏では絶対有り得ない〜という感じ。
ケーナしか吹かない人ですら、「ギターがぜんぜん違う!」と言うほどに。。。
声、ていうか、歌い方も有り得ない感じ。。。
もしかしたら、メインで入ってるボリビアのアウトクトナ音楽のほうも、そちら方面の専門の人が
聴いたら、これは有り得ない〜って思うのかも。。。
まあ、これはこれ、って感じですかね。


2015.6.20

梅雨のさなかに屋外で、午前午後各40分ずつ全15曲演奏してきました。(@大阪府立花の文化園)
雨が心配でしたが、それどころか、かなり陽射しが強かったのでした。ちりちり。
6月(ほぼ夏至)の陽射し、あちかったです。でも雨が降るよりは良かった。へたすれば中止だし。
中止にならなくとも、朝から雨模様だとお客さんゼロの可能性もありましたし。

さいわいお客さんはたくさんいらっしゃって、オープンスペースなのに長いステージの途中で席を
立つ方もほとんどなく、にこにこと聴いていただいて、本当に有り難いことでした。へへえ、土下座。
演奏終盤に少し空が暗くなってきて、終了後、片付けをしているときにポツポツとだけ降りました。

しかし今回特筆すべきことは、お天気のことではなく、T田A子様、初共演ということでございました!
旦那様にも多大なご協力をいただきまして、心よりお礼申し上げまする〜。


2015.6.26

ふと気付いたので、割り込み補足。
6月8日の項に「当時」とか書いてますが・・・
「サルビアの花」のレコードが出た「当時」ではなく、私がこの歌を初めて聴いた「当時」
(80年代前半)のことを言ってます。オリジナルレコードが出たとき私は幼児でした。


2015.6.8

本日のひとりカラオケ。ひとしきり高音きつきつな歌を歌った後のブレイクに早川義夫「サルビアの花」。
オリジナルはこちら。 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というのはアルバムタイトル。
私の頭の中にあるのはライブ盤だったのだろうか?もっとドロ〜っとした歌い方だった気がする。
当時ストーカーという言葉はまだなかったけど、歌詞がちょっとヤバイ男?というイメージでした。
だけどこの曲の登場人物に感情移入するとしたら、偽りの花嫁ではなく、やはり、
なさけない妄想男のほうだったのでした。。。。。。イタイ、イタイ、イタイ、、、、、、、


2015.6.8

今朝見た夢で、猫がしゃべっていた。日本語で。
なんて言っていたか、さっきまで覚えていたのに忘れてしまった。残念。
いや、たいして意味のあることは言ってなかったと思うけどね。


2015.6.6

少しずつだけど確実に状況は変わりつつある、ということだけは自信を持って言える。
私のまわりのみんなは、みんなみんな優しい。


2015.6.5

いつも自分のしていることに疑問や矛盾を感じている。
それでも押し進まないと何もできなくなる、とも感じている。

ロック・ポップス・ジャズ系のイベント、こてこて土着民俗音楽のイベント、どちらに出ても浮いてしまう
というのは仕方ないとしても、アンデスフォルクローレの集まりの中にいても、なんだか違和感を感じ
自分だけ別ジャンル?な気がしてしまうのは困ったもんだ。
これでも本当にやりたいことからすれば実際やってることは日本の現状にかなり歩み寄ってると
思うんだけどな。まあ歩み寄ろうと思って歩み寄ってるわけではなくて、いろいろな事情により
今は今できることしかできないってだけなんだけど。。。
妥協も目的に至るための有効な手段のひとつと思うから広く何でも受け入れたいと思うし、実際、
自ら望んだわけではないことをやっても何らかのプラスには必ずなっているし。現に今、幸せだし。

けれど、敬愛する先輩がたに疑問を突き付けられれば、ごめんなさいいーっと死にたくなったり。
それでも、自分が今いちばん大事にすべき人を幸せにできればそれでいいと思うしっ。きりりっ。
でもどこかで何かを裏切ってはいないか誰かを悲しませていないかと問われればあうあうあう、、

延々、逆説の接続詞が止まらない。

私にはわからない。どうすることがいちばん正しいのか。
わからないけど、あの言葉をてのひらにのせて、へへへ、と笑ってみる。
そう、まずは自分自身が、しあわせのかたまりのようにならなくちゃね。


2015.6.3

ふと、「お月さんは出てるかな」と思った。
朝から雨が降ったり止んだりだから、まあ無理かと思いつつ、薄暗いベランダのサンダルを履いて、
すと顔をあげたら、もうそのまんままっすぐ目の高さに眩しいほどの満月があって。すっごい光線、きれい。


2015.6.1

わからないことを訊かれてわからないと答える教師。
わかるはずのないことでもわかると答える教祖。
どっちを信じる?


2015.5.31

またまた夢の話ですが。。。江戸時代の商人みたいな人が小さな船にぎっしり乗っていた。
みんなにこにこ笑っていたので、私はてっきり、水難事故から救出された人たちかしら、
助かって良かったですねえ、と思ったのだけど、にこにこ顔のおじさんが言うことには、
今から三図の川を渡るところです。


2015.5.26

「ゆでたまごの埋まったソフトクリームは食べたいかね? ゆうとくけど、けいらん丸ままやで?」
とみげるに問うてみたらば、「おいしそう」との回答であった。うむ。


2015.5.26

朝の台所で、いつものように脱力くねくね踊りをしながら『ぽに音頭』を歌う。
『褌のうた』とよく似たメロディーだけど、『ポコアポコ』と『オホスアスレス』程度の違いはある。
「ぽにはよお〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と歌いながら、何かがいつもと違う、どこか変だと思ったら、
なんと、息を吐かずに吸いながら歌っていたのだった。
無意識だったので、気付いてびっくり。
でもこの歌い方を練習すれば、息継ぎなしでずうっと歌い続けられるんじゃない?
と、感激した私はマルビータスのレパートリーなども歌ってみる。
そして気がついたこと。
1. 裏声ではできるけど、地声は無理。
2. 歌い始める前に(つい癖で)いっぱい息を吸っちゃうと、苦しくて死にそうになる。
3. 脳裏にゆでたまご(鶏卵)載せソフトクリームの映像が浮かぶのは何故???


2015.5.25

きょうのおやつはゆでたまごにしようか、ソフトクリームにしようか、それともきつねうどんに
しようかな、と迷いながら、いつものお散歩コースを歩いていつものお店に入る。
ふいに、ソフトクリームに丸いゆでたまご(もちろん鶏卵)をトッピングした、、、というか
半分うめこんだものが目に浮かんだ。
・・・それはないな、と思い、きつねうどんを頼んだ。
甘いおつゆ、味のしゅんだおあげに、七味とうがらしが絶妙。おいしい〜。しあわせ〜。


2015.5.18

『三木山フォルクローレ音楽祭@兵庫県三木市』に参加してきました。(昨日のことです)
1日中さわやかに晴天でよかったです。(今日は雨です)
演奏した曲は、マルビータスで「インディオが泣くとき」と「ワスワ@ワイノ・クスケーニョ」、
楽しむ会で「パラス」と「ラミス」。全曲ペルーの曲。どれも好きな曲です。(しあわせ)

演奏の出来は、私個人的にはあまり良くなかったですなあ。(特にマルビのほう)
肩凝ってて変に力が入ってまいました。(精神的な緊張はなかったんだけどな)
ただ、急にケーナとギターのふたりだけになってしまったため、チャランゴに任せていたメロディ
ソロ部分をこの1ケ月でギターでやることにしたので、かなり危なっかしかった、、、というのは
あります。(でも良い経験ですね。追い込まれないと練習しないタイプなので。。。)
で、むちゃくちゃに失敗したわけでもないので。(よしとしましょう)

それより気になったのは、曲の間でミゲルが喋っているとき(MCというらしい。何の略?)
ミゲルの腕、ポンチョの上を小さなシャクトリムシが歩いていて。(ほのぼのしました)

まとめ:
今年の三木山は、人の温かさに触れることが多く、とても幸せな一日でした。(感謝〜)
日頃なんとなく、私って嫌われてるんだろーなーとか思っているものだから、
いろんな人からやさしく声をかけられて嬉しかったです。
(いやはやほんとうに有り難いことでございます)


2015.5.15

ああ、これが老化現象!? おそろしいことです。脳の回路がやばいです!
テレビに体操選手が出ていて、すんごい身軽さでぴょんぴょん跳ねてくるくる回っていた。
それを見て、「この人きっと、先祖がミイラ!」と叫ぶ私。

頭の中では「この人の先祖はきっと忍者だわ!」と思っていて、そのように言った
つもりだったのに、、、じっさい口から出てきた言葉は、「先祖がミイラ!」

あれ?今ね、先祖が忍者って言うつもりだったのに、間違えたわ、と言おうとして
またも「今ね、先祖がミイラって・・・」と発する私の口。

後で思い出すたび、、考えれば考えるほど、、笑いがこみ上げる。やばい。


2015.5.11

平日の昼間に家から徒歩3分(つまり街はずれの住宅地の中)のカラオケ屋さんに行くと、
9割がた高齢者の“ひとりカラオケ”であるということがわかった。そんなわけで、毎回受付で
生年月日を書かされるのがかなり嫌ではあるのだけど、気にしないことにする。
歌った曲は、杏里、『ボリビアを聴きながら』など。・・・え?
マテデコカ茶は〜眠り覚ます薬。・・・なにか?


2015.5.7

ワイルーロ・ピアスと具足虫ウインナー・ストラップが当たった!
最近やたらと物を失くしたり壊したりと、踏んだり蹴ったりな感じが続いてるのだけど、
2度もプレゼントに当選したりして、結局のところとてもラッキーでハッピーなのでした!

魔法使いに「青春時代をもう一度やり直せるよ」と持ちかけられたとしても、
私は言うであろう。若い頃になんて戻りたくない。だって今は、今が一番おもしろいもん。
若い頃は、馬鹿すぎて恥ずかしい。いや、今でもアホではあるけれど、それ以上に
なまいきで、かっこつけてて、自分で自分が見えてないってとこが最悪に恥ずかしい。

とはいえ、昔の自分があってこそ、今の自分があるので、昔の自分には感謝しておりますです。
今ののほほんとした私にはない、激烈に真摯な姿勢には、頭が下がります。地面にめり込むほど。

10〜20代の自分に、今の自分からアドバイスすることができるのだとしたら、、、、、、
・・・なんも言わないよ、私は。
だって、悩んで悩んで、迷って迷って、苦しむしかないよね〜その時代は。あはははは。(←鬼)
ただひとこと言うとしたら、「希望はある。ぜったいに、死ぬな。」とだけ。
本当にもう駄目だというところに陥ったときに、それだけ、伝えたい。


2015.5.1

にんじんの千切りをしていたとき、かさねていたにんじんがにゅよろっとすべって
人差し指の爪をずぱーっとそいだ。先っちょ1ミリだけでつながっていて、
剥いでしまうと深爪になるので、瞬間接着剤でくっつけた。
まー、三木山の音楽祭までには生えるだろうけど、、、最近ミス多すぎだな。


2015.4.26

ミゲルが電気バリカンで髪を自刈りしていた。いつもやっているから慣れたものだ。
ところが、切れすぎないようにガードするクシ型のアダプターが突然ぱっかーんと
はずれて、ジョリーッ、とやってしまった。
怪我は無かったが、、、毛も無かった。。。。。その後、兵隊さんのような感じになりにける。。。
まー、三木山の音楽祭までには生えるだろう。


2015.4.23

お稲荷さんの駐輪場にて。ヘルメットを脱ぐときに右耳のピアスを引っかけて飛ばしてしまった。
あわわわと思ったところへ、1台のミニバイクが隣のスペースに入ってきた。

まさかっと思ったけど、、、あろうことか、、、ちょうどそのバイクの後輪の下に
ひしゃげたピアスを見つけた。
こんなことってある?タイヤの幅なんてほんの10センチほどなのに、ちょうど真下って。

このピアスはお友達から貰ったもので、少し破損していたのをつい先日修理したばかりだった。
花びら型の銀細工で、ちょっと引っかけやすい形だから気をつけなくちゃな〜と思いつつ、
初めて着用したのだった。本体は無傷だけど、芯棒の部分が見事にU字にひしゃげてしまった。

いちおうキャッチ(耳の裏で留める部品)も探しておこう、ときょろきょろしていたら、修学旅行の
中学生とおぼしき男子5、6人が「何か探してるんですか?」と訊いてきたので「ピアスを・・・」と
言ったら、「どんな?ああ、それか」と左耳のを見て、みんなで探し始めた。引率の先生まで一緒に。
じつはそのときすでにピアス本体は私の掌の中にあって、みみっちくキャッチ部分を探していただけ
なのに、そうとは言いそびれてしまい、「いや、もういいんです、ごめんなさい!ほんとにほんとに!」と
うろたえる私。それなのにみんなすごく一生懸命這いつくばって探してくれて、、、ああ〜、なんて
いい子たちなんだ〜とおろおろ。。。彼らがいついつまでも心温かく幸せでありますよう祈ります!


2015.4.22

携帯電話を失くした。しぇーーーーーーーっ!!! けっこう血の気が引く感じ。
でも、置き忘れたのが信頼できる安全な場所だったので、すぐに連絡がついて無事戻ってきた。
はああああああああああ、、、どっぷり、汗。

少し前に、ミゲルは財布を落とした。雨のきつい日で、タクシーから降りるときに傘やら荷物やら
ごたごたして、路上に落としたらしい。交番に行ったら、財布は別の交番に届けられていて
すぐに戻ってきた。ふううううううう、日本、良い国です〜、ありがたや〜。


2015.4.21

今日はミゲルと散歩した。ワイルロを持って。けっこう歩いた。おもしろかった。

とっても小柄なおばあちゃんがわりと大きな犬を連れて自転車を押していた。
信号が青になり、おばあちゃんは自転車にまたがった。
犬はぐいぐい走り出し、引っ張られて自転車が倒れないかと心配で見ていたら、
なんか、、、おばあちゃん、ぜんぜんペダルこがずに、まるで犬ぞりのように
ツイーーーッとなめらかに走り抜けていった。圧巻。

道程なかば、喫茶店で休憩した。
みげ「アイスコーヒーひとつ」
ぽに「わたしはー、アイスピーチティ」
みげ「アイスシーチキン?何それ!?」
発音が悪かったのか耳が変なのか。。。

晩ご飯は外食した。おなかいっぱいになって、さて出ようか、とミゲルが勘定書きを
つかんで立ち上がり、レジに向かった。
が、レジの前でミゲルは、ぐわっと叫んで、あたふたとテーブルに引き返した。
何かと思ったら、さっき手にしていたのは勘定書きではなく箸袋だったのだ〜
よかったね〜、レジのお姉さんに差し出す前に気がついて、、、


2015.4.20

すごい、すごい!
いつ応募したかまったく記憶にないけど、「非常に珍しい変なワイルロ・プレゼント」に
当選したということで、非常に珍しい変なワイルロが5粒、送られてきました!!!
並ではない幸運と、なにか変なたのしいことが起こるそうな。。。


2015.4.14

朝からザーザーの雨。
出掛けた先で立ち寄った本屋さんにて、気になる本が数冊あったので、
財布の中身を確認しようとカバンから財布を出そうとしたとき、傘を床に落とした。
あろうことか、傘の柄がペキーンと折れた。金太郎飴みたいに。
げ、こんなことってあるの?と思って思わず写真を撮った。
(思ったのか思わなかったのかよくわからないが。) FOTO

しかも、お札を確認しようとしたら、財布に入れていたお守りのワイルーロ(アマゾンの木の実)が
転げ出た。あわわわわわわー!まじ、必死の形相だったと思う、私!
だって、大事なお守りなんですーーー!貧乏にならないようにって入れてもらったーーー!
今以上に貧乏になることは望まないですからーーー!!!

財布から転げ出たところは見たけれど、どこに落ちたかは確認できず、、、、、、
運が良ければ開いていたカバンの中に落ちたかもしれないけど、運が悪ければ
本棚の下の1センチほどの隙間にもぐりこんだかもしれず、、、、、、
監視カメラに映った私は確実に不審者だよな〜と思いつつ、カバンの中ひっくり返して探して
本棚の下に傘を突っ込んでも探してみたけど、見つからなかった。
あきらめて本を2冊買って雨ザアザアの中、柄の折れた傘をさしてトボトボ帰る。。。
買ったのは『神様の御用人』と『飛び跳ねる思考』。

2015.4.6

ほんとうのところが、よくわからないので、どう反応したらよいのか、迷います。
ただ言えることは、その人と共に過ごした日々は楽しかったにゃあ〜と思うし
今まで付き合ってくれたことに感謝する気持ちには変わりないということです。


2015.4.5

昨日お茶碗が割れただけでなく、ここ数日妙に胸がぞわぞわして落ち着かず、
どうにも気持ちが悪かったのですが、とりあえず不吉というに見合うほどの
事故(怪我人や死人が出るような)は起こっていません。
ただ、マイナスの打撃を受ける出来事はありました。


2015.4.4

朝、お茶碗を洗っていたとき、お鉢がまっぷたつに、ぱっかーんと割れた。
こういうのって、昔の人なら「不吉!」といったのだろうか?

今日はキング・オブ・パフォーマーの予選で地下鉄山科駅にて1曲演奏しました。
このところ音響機材の問題で気持ちよく演奏ができないという事態が数回続きました。
用意されたマイクが1本まったく音が入ってなかった、なんてこともありました。
そんなときはとてもくやしいけれど、気持ちを切り替えて演奏に集中するしかありません。
けれど、やはりなかなか集中できないものです。これも経験、と思ってはみるけれど。


2015.4.3

私はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がなんだか苦手です。
といっても、SNSを使ってる人々を否定するつもりはまったくなくて、それどころか、上手く使ってる
人のことはとても尊敬します〜。私が時代についていけてないだけのことなのですから。

でもじつは私が長年続けてきた『ライブ・イベント情報』の更新を停止している理由もそのへんに絡みます。
毎日あちこちのホームページを巡回して情報を集め、出かけたイベント先でチラシを集めたり
人と話してクチコミを得たりして、できる限り完璧に近い情報ページを作ってきたつもりでした。
ところが近年、ホームページを持たずブログやフェイスブックだけでライブのお知らせをする人も
増えてきて、そういうのはどんどん流れていくものだからどうしても拾いきれず、漏れも多くなり、、、
もともとひたすら労力だけ掛かって何の報酬も無い作業をしてきたわけですが、それでも誰かの役に
立てばよいと思っていたし、でもどうせ作るなら完璧に近いものを目指したかったのですが、、、
SNSの『オトモダチに登録』している人だけに情報が回っているというとこらへんで、
なんだかヤリキレナイ気分になってしましました。

私はどうも、あのオトモダチ登録制というのが苦手です。誰かを『お友達』に承認するということは、同時に
それ以外のすべての人を『非お友達』として排除するということになるような気がするからです。

今現在私自身のフェイスブックでは、お友達認定している人もあれば、せっかく申請してくださってるのに
ほったらかしにしてる人もあり、まったくいいかげんなことで申し訳ないのですが、そのことに深い意味は
なくて、どうも気分が落ち込んでクリックする気力を失くしただけなのです、、、すいません。

そんなこんなで、SNSにはとりあえず登録していても、ほとんど使用していない私だったのですが。
今日たまたまテンションが上がっていてふたつほどフェイスブックで「いいね!」をしてしまいました。
「いいね!」というのは、ある意味「批評」であり、批評というのはその分野における造詣がある程度
深い人しかやってはいけない行為だと思っているのですが、ふとしたその場ののりだけでやってしまう、、、
しかも、ふだんから常にいいねをしてるならまだいいけど、ふだん全然読んでなくてたまたま今日
見ただけのくせに気分でポチっとやってしまう、、、
そんな自分にガッカリ、なのです。。。
うわっ、これ、いい!って思ったことは確かです。。。けど、他のものすべてを見たわけではないので、
不平等であり、不誠実なのです。
「いい!」のに、「いいね!」されなかったすべての人に申し訳ないと思うのです。。。


2015.4.3

・・・酔って、この法案は可決されました。


2015.4.1

ボリビアから来日したマルセロ・ペーニャのコンサート(吹田メイシアター小ホール@大阪府)に
行ってきました。私はボリビアのケーナとかあんまりよく知らないので、心かき乱されることなく
のほほんと音楽を娯楽として楽しむことができました。無駄な音が無くて心地よかったです。
ぽっちゃりしたおじさんが全身でケーナを吹く姿がとても愛らしく、感じよかったです。
ギターとチャランゴは切れがあって(弦も切れてましたが・笑)、歌もかっこよかったです。

私は最近すっかり出不精で、こういったホールでのコンサートを見に来るのは久々だったのですが、
たくさんの知り合いに会えて少し興奮しました。(9割がた顔見知りだったかも?まるで同窓会!)
とはいえ平日でしたので2次会も無くすんなりと帰りましたが。。。
しかしなんだかなー、古い知り合いが皆、歳をとってきたせいか、口をそろえて「出不精になった〜
久々のライブだ〜」と言ってました(もちろん中にはバリバリ現役活躍中の方もおられますが)。
救いは、友人夫婦の息子さん。いやあ、いいですねえ〜、会うたび成長しておられる姿を見ると、
キミが未来を作っていってくれい!ってな感じです!


2015.3.30

変な夢を見た。家に一人でいるとき、知らない男の人が侵入してきたという怖い(はずの)夢。

ぼさっとした感じのやや大柄な中年男性がうちのトイレに入って行くのが見えた。げ、誰?
出てきたその人は私に出くわしても顔色ひとつ変えず、「ここから入った。ここから出ていく。」
と玄関のドアを指さし、平然と玄関から出て行った。
なんじゃあれは、、、と呆然としていると、今度はベランダで洗濯物をいじってる人影が見えた。
60代ぐらいの小柄なおじさん。「こらー」と大声を出してみるが、まったく動じない。あまりにも
平然としているので泥棒や強盗のようにも見えない。洗濯物といってもミゲルの靴下とかだし
変態さんでもなさそうだ。そのおじさんはそのまま部屋に入ってきて、畳にごろんと寝転がった。
これは異常な状態だと焦りながら、私は、こういうときは普通どうするんだっけ?と必死で常識と
いうやつを思い出しながら、「ちょっとー、なんですかー、警察呼びますよー」とかわめいてみる。
おじさんはむっくり起き上がり、眠たそうな目つきのまま、「しんどう、えいとく」と言った。
は?フルネームを名乗るとは、ますますわけのわからない人、、、と混乱しているうちに
おじさんはすうっとベランダから出て去って行った。

変な人がひとり出てくるだけだったら珍しくないかもしれんけど、ふたりも立て続けに家の中に
入ってくるとは変な夢だと思った。
そして私は、夢の中の人とはいえ個人名をインターネットに掲載してはいけないのかもしれぬと
かなり迷ったのだけど、、、検索しても出ないし、Facebookも無いようだし、そもそも人名では
ないかもしれぬと思ってきたので載せてみた。なんなんでしょうか?しんどうえいとくって。


2015.3.22

苔はうすみどりの別珍 こぎつねたちは木漏れ日に擬態して舞い踊る


2015.3.21

地下街のようなショッピングモールのようなところで銃撃戦に巻き込まれる夢を見た。
銃を持つであろう相手に、私は、浴室用スプレー式カビ取り剤(早い話がカ●キラー)で
応戦しているのであった。射程距離はおおよそ15センチ。


2015.3.17

ちょっとややこしいですが、きょうの日記は二重構造になっています。
それというのも、そもそも日記というのはその日のことをその日のうちに記すものだと思うのだけど
わたしときたら(というか、インターネットに公開するという都合上どうしても・・・)
書いたその日から何度も何度も推敲を重ねてしまうのでありまして、、、
まあ通常は翌朝かせいぜい2〜3日でアップロードするのですが、今回はいろいろ悩む部分が多く、
なんと丸2ヶ月も見直し手直しを繰り返してしまい、、、そうこうするうちに、その後に起こった事件の
影響やらなんやら含めた今現在の考えが2か月前の文章の中に参入してきて、ぐだぐだの
わけわからない状態になってしまったからなのです。アホですみません。。。

---
2015.1.17

まあいまどきの日本人にはありがちなことかもしれませんが、私は宗教というものについて深く
考えたことがないというタイプでした。家には神棚も仏壇も無いし、漠然とお葬式は仏式で
やるのかなあー?とか思っていても、家が何宗なのかもよく知らないというありさまでした。

が、最近ちょっと、宗教って、何なんだろう?と、考えねばならない状況がありました。
詳しくは言いませんが、少しだけ言うと、或る身内(としておこう)が数年前から某新興宗教団体に
入信してまして、私にも話を聞きに来いと何度も熱心に誘ってきていたのです。
私は、頭ごなしに否定するのも良くないと思い、その人のことが心配でもあったので、数年前ですが
一度だけその施設を見学に行きました。そして、その後いろいろあり、、、、、、、、、

長い経緯をすべて書いてはみたけれど・・・・・・・・・やはり割愛。

結論だけ言うと、その人のことは否定しないけど、私自身としては必要性を感じない、とその人に
伝えました。信仰は個人の心の問題であり、必ずどこかの団体に属さねばならないとも思わないし。

こんな私は、まあ無宗教ということになるのでしょうけど、それでも、信仰心?のようなものが
まったくないわけでもないと思ってます。信仰心というか、、なんというか、、自分が大切に思う
ものたちと個人的にかわした『約束』みたいなものですが。。。

例えばの話。大好きだった人が「毎晩寝る前に、ビビデバビデブーと唱えてね」と言い残して
死んでしまったとします。その人はもう死んでしまったのだから、やらなくても誰も咎めません。
そもそもビビデバビデブーに何の意味があるのかもわからないし、やったかどうか誰かが見てる
わけでもありません。それでも、大好きな人との約束だから、一生それを欠かさずにやる。
といったようなこと、、、みたいなこと、に、ちょっと近いかもしれません。あくまで喩えですが。

子供の頃、歩道の敷石をひとつ飛ばしに踏んで歩いたりとか、学校から家までひとつの石を蹴りながら
帰ったりした、というような、自分の中の「決めごと」というのにも、なんとなく似てる気がします。
どうでもいいことなんだけども。。。そして、とらわれ過ぎると強迫神経症かもしれんけども。。。

そういうことになんの意味があるのかっていうとおー、うーーーーん、、、たぶんんん、、、
そういった決まりごとを自分の中に持っている人は、「誰も見てないから悪いことしちゃおっかな?」
という場面に遭遇した時、「誰も見てなくても、これはやってはいけないこと」「誰も見てなくても
私はやらない」「悪いことをするとタコスケ様(←ここは、まあ、なんでもよい)に叱られちゃう!」
とか考えるものだから、結果的に犯罪抑止につながったりする?のかもしれませんね?

でも逆に邪悪なものと邪悪な約束をしてしまった人は一生邪悪な道を進むことになるのかも、、

---
と、ここいらあたりから、最初にこの文章を書いた日の数日後に起こった衝撃的なテロ事件の影響やら
その後2ヶ月間にいろいろ考えた結果やらがぐちゃぐちゃに混じりこんできて、すでに1月17日の
日記ではなくなってきたので、推敲原稿の日付から今現在にシフトすることにします。

そして、ここでいろんなことをぐだぐだとエラソーに書いてみたのですが、、、
それをさらに2日ほど推敲しますとやはり恥ずかしいから削除、ということになりまして、
あらら、二重構造意味無いじゃんという結果に。。。

いやー、、、長いこと生きてきたけど、あまりにも不勉強だった分野ですから、
宗教の意味って何だろう?なんて考えてみても、私には何も言うことができません。

ただ、このような小学生並みの脳みそで感じたことだけを言うと、
世界にはいろんな信仰があって何を信じるかは人それぞれだし、神も仏も信じないというのもまた自由で、
死後の世界があろうとなかろうと乱暴に言うとどっちでもいいのかもしれなくて、、、
どうであれ大事なことは、
“人間が地球上で一番偉いというわけではない”ということを覚えておくこと、ではないかと。。。

宇宙からするととんでもなく小さいにんげん。自然のキョウイに太刀打ちできないにんげん。
それどころか、どーぶつや植物を見てると、ぜったい人よりかしこいよなあーと、いつも思う。
蟻とか蜂とかイワシとか渡り鳥の意識は、自他の境があんまりないのかもしれないなあーと思う。
私利私欲ではなく種として生きている感じが潔く美しい気がする。
そう思うと地球上のあらゆるものが神さまのようでもあるし、にんげんがいちばんあほに思える。
おそらく。迷ってばかり。1年後の私が今の私を恥ずかしがっていると良いんだけれど。


2015.2.26

生まれて初めて『ひとりカラオケ』をやりました。近所のカラオケルームで1時間380円1ドリンク付。
ギター持ち込みとかではなく真面目にカラオケで歌いましたよ。エコー無し、原曲キーで。曲目は内緒。


2015.2.13

歯医者さんで治療が終わって帰ろうとしたら、私の靴が見当たらない。
よくよく探したら、靴箱にあった。私はそこには入れてなかったんだけど、、、きっと誰かが
片付けてくれたのだろう。で、履いてみると、なんだか変。違和感。。。私の靴じゃない。。。
デザインはそっくりだけど、履き心地は全然違っていて、底が薄いし、横幅が大きい。
そういえば見た目も、微妙に違う気がする。おそらくメーカーの違う類似品。
受付のお姉さんにそう言うと、心当たりの患者さん何人かのお宅に電話してくださったのだけど、
まだ家に着いてなくて本人さんと連絡が取れず、やむを得ず私は歯科医院のスリッパを借りて帰宅。
しばらくすると連絡があり、私の靴は無事もどってきました。
その人が間違えるのも無理はないくらい、デザインが似ていて、履いた感じも、なんだか違うん
だけど、こんなもんだったかな?気のせいかな?と迷ってしまうほどだった。私だって、
自分が脱いだ場所にその靴があったら、そのまま履いて帰っていたかもしれない。
感覚、なんて、頼りないもんだなあ、、と思った。


2015.1.19

やったー! ついに『台風1号』のニュースをリアルタイムで見た!
いつも知らないうちに発生して知らないうちに消えてるんだもの〜!


2015.1.9

12月初頭から体調がすっきりしなくて、クリスマス頃に引いた風邪がぜんぜん治らず、
何か重篤な病気ではないかしらとすら思ったほどだったけど、少しましになってきたので
そのことを口に出してみたらば、みげるも同じような状態だったと言います。

夫婦そろって、たかが風邪ひき、されど長引けば心はどん底、な年末年始でした。
さらに「にんげんのいのちなんてのは」と書いた翌日に身内の不幸がありまして・・・。

今年は元旦に雪がどっさり積もる、と、わが町にしては非常にめずらしいことでした。
三が日ずっと降ったり止んだりで雪は積もったままでした(めったにないことです)。
雪玉を投げてはしゃぐ子供の歓声なんかも、何十年ぶりかで聞きました。
そして久々におもてに出たらば、道端に、にんじんがころがってました。
鼻ですな。雪だるまの。最近のはみんな、欧米式なんですな。

きょうは歯医者さんにも行き、町に出て、人に会って歌って、いろいろと活動開始です。
「今年の目標は?」と訊かれ、ああ、、年の初めにはありがちな質問だからあらかじめ
考えておくべきだったのに、、、あーうーあーうー、なんにも答えられず。。。
とりあえず『健康と平和』かなあ〜、と、帰路の電車でひとりつぶやく。


2015.1.3

私の半分以下の年齢のお嬢さんが言うには、「2015年なんて来ると思ってなかった。だって
なんかもう、2015年なんて、近未来な感じがするじゃないですかー」
ああ〜私もそんなふうに思った頃が確かにあったけど、それはすでに何十年前のことだったか?
“21世紀”とか“昭和が終わる”とかがすでに嘘みたいだったし、SF映画『2010年宇宙の旅』も
過去になりはてて。というか、だいたいおばちゃんが子供の頃にはね、、1999年に世界が終ると
言われていたんだもの(空から大王イカが降ってきて)。いやー終わんなかったけどねー。

それにしてもなんという短い一生、でしょうかね、にんげんのいのちなんてのは。。。
すでに四捨五入すれば百歳。四季も何十回まわってくればすべてはデジャブな気分で、、、
ふと気付けば、四歳の頃と何がどう変わったと言えるのか。。。
すべてはつながって、すべては同じひとつ。特に次の世代にバトンタッチができていない私と
しましては子供の気持ちのままで、このまま消えていくのでよいのかしらと思ってみたり。。。
何かを生み出して、何かを残したい、と思っていたけれど、もはや何ができるというのか。。。


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