むこう川 2001


2001.1.9

21世紀、私のフォルクローレ生活は、7日のロス・ムシス練習会で本格始動した。
虫とひとことで言っても、ミミズもいればカブトムシや蜘蛛やハリガネムシ…、
実にいろ〜んなヤツがいる。そして、虫の数だけフォルクローレもあるのだな、と思う。
そんな中で、あるひとつの特色を持って作られたグループというのもいくつかあり、
同じ思いを抱いた虫が集まって、イメージ通りのものを作り上げられるということは、
“奇跡的”という意味だけでも非常に素晴らしい。羨ましい限り!
まあ虫だけに、どこからともなく匂いをかぎつけてワラワラと集まって来るのかも
しれないけれど、“出会い”というもののおもしろさを考えると嬉しくなる。

LOS MUSIS en TOKYO 2次会で、何か演奏しようとした時、みんなそれぞれ
得意分野が違っているためか、ついに全員一緒での演奏は無かった。
それはそれで、「むし」という集まりのおもしろいところだな、と思った。
「かたつむりの会」や「いなごの会」とは違うのだから。
できれば「私はこんな虫なのよ!」って1曲披露できればよかったけどね…。
楽器を手に持ったまま困って立ちつくす私は、自分ではイモムシと思っていても
見た目には石ころと同じだもんね。ま、こんな虫もいるか…。

そういえば昔、こんな事がありました。
お風呂に浮いていた虫をミゲルは石鹸箱ですくい上げ、「これは何の虫や!?」
と私に虫眼鏡を持って来させました。小さくてよくわからなかったため、
虫眼鏡を2つ重ねたり爪楊枝でつついたりして必死で観察していました。
「顕微鏡、買わんとあかんな!」と言いながら、素っ裸で虫の観察に没頭する
夫を見て、私は「どーでもいいからさっさとお風呂からあがったら?」と
少々苛立ちを感じていたのですが…。
長時間の観察の末、それは丸まった糸屑であることが判明しました。
このように、虫の擬態を見破るのは容易なことではないのですね。。。
(しかし、笑えるオチがついたので私の苛立ちはおさまりましたが…、
これでもし、“何か分からないけど小さな虫”であることが判明した場合、
「だから何なんだ?」というやり場の無い感情をどうすればよいのでしょうね?)


2001.1.12

新しい世界で何かを始めようと思った時、はじめは現状を嘆いてばかりです。
けれど、そのうち馬鹿らしくなってしまいます。何十年も嘆き続けているかの
ような人が言うところの“新しいもの”は私には古く感じられるし、
すでに“過去”になりつつある“現状”なんて、私の知ったことじゃないのです。
・・・
確かにドキドキするけれど、べつに『予感』が物事を動かしていくわけではなく、
日々の積み重ねの結果、必然が動き出すだけなんですね。
あなたの背中の亀裂が大きくなれば、やがて誰の目にも見えるはず…。
私も今はとにかく、キャベツの葉っぱをムシャムシャ食べておくとしよう!


2001.1.30

届かなかったメールはどこに消えるの?
行き止まりの電話線の先っぽに詰まっているのかな?


2001.2.20

今日はとてもよく晴れていて、川の水が海のように青かった。
私はどんどん変わって行く。数年前までの自分と比べればある部分では
まるで別の人格のようですらある。人との関係や立場も変わったし、
今まで絶対理解できなかった人の気持ちに、自分自身がなっていたりもする。
理解することによって、嫌いだった物や人のことが好きになっていく。
前から好きな物は好きなままだから、『嫌い』がどんどん減って『好き』が
どんどん増えていく。これは私にとっては、とても幸せなことなんだろう。
でも半面、昔自分が嫌っていたモノを今の自分は受け入れているという事実も
あるわけで、今の私のことを嫌う人(しかもその人は昔の私に似ているはず)
がいるということも痛いほどよく分かる。
大事に育てていたはずのサボテンがいくつか枯れてしまった。
許して欲しくて苦しんでみせるなんて子供じみたことはしない。
私はあなたに痛みを与えたいわけじゃなく、少しだけ幸せになって欲しいと思う。


2001.2.21

最近個人的には Mini-Disk を主に使っているが、友人にダビングするため
消去してもよい古いテープを探していた。未整理のテープの山に、あるグループの
おそらく3〜4年前のライブ録音があった。聴いてみるとどれも知っている曲だけど、
最近の演奏とはどこか違う気がした。それだけ年数が経てば演奏が変わっているのは
当たり前だけど、そういう意味じゃなく、何か大事な部分が「有る」と「無い」の違いだ。
音質のせいもあるかもしれない。今使っているMDミニコンポは机の上に乗るサイズ
ということで選んだ一番安いものだが、カセットデッキの方は昔買ったTEACのわりと
良い物で、これ1台で今のミニコンポ全部と同じくらいの値段だった。話は逸れるけど、
最近のオーディオはどんどんお手軽にお安くなっており、それは良いことなのだが、
そうと気付かせない程度に微妙に音質が劣悪最低なものが多く、まったくタチが悪い!
話をもとに戻して…、カセットテープ録音の柔らかく生に近い音質のせいだけとは
思えないこの雰囲気の違いはなんだろうと思った。
観客として素直に反応すること、それ自体はライブの空間全体を盛り上げるし、
悪いことではないと思うのだが、それによって演奏者は、そうと気付かない程度に
微妙に変化して行くのかもしれない。無意識にもお客さんに『受ける』方向へと進んで
行くのかもしれない。…それは正しいことなんだろうか??????
また、どーでもいいよなことで無駄に悩むワタシ。


2001.2.26

ホームページを開設して1年。友達は増えたし行動範囲も広がった。けれど変化は
ごく表面的なことだけで、今でも私は、平和で安全な上空を飛び続けることに対し、
強迫的な不安を持っている。地上の様子(時に吐きそうな現実)をよく見るために
低空を飛ばなくては、と思ってしまう。
とはいえ、2度と深い森の中に墜落してはいけないと思うから、私は高度を上げる。
自分から進んで不幸に向かうような行為は、芸術家でもない限りやってはいけない。
今はいつでも家族や友達の存在を感じている。
私を不安にさせるのは、私を暗い目で睨みつけるのは、誰でもない。私自身に他ならない。


2001.3.9

コンクリートに頭を打ちつけて嘆き悲しむ人、大勢の人に囲まれて笑っている人、
そして淡々とただ生きるだけの動物や植物たち……
すべての生き物が等しく哀しみを抱いているのではないだろうか…。
そうでなければ、哀しみなどどこにも存在しないのかもしれない。
本当のことが言えないときだってある。
選ぶことによって、やむを得ず傷つけたくない人を傷つけてしまうときもある。
自分にとっての真実が、すべての人にとって真実というわけでもない。
真実はひとつだけではない。何が「正しい」なんて、誰が言えるのか?
やりたいことだけをやっている人が「誠実」なのか?
そうでない人の気持ちや心の痛みは思いやる必要もないと?

これらはすべて、昔、私が言われたこと。
その頃の私は透明な心を守ろうとかたくなで、殴られても怒鳴られても全力で抵抗した。
自分のことしか考えてなかった。自分のことしか考える余裕がなかった。


2001.3.10

好きな音楽を聴いていると、胸が痛くなる。
それがどんなに軽快で明るく楽しいダンス音楽であったとしても…。

好きな音楽を聴いていると、身体中に力が満ちてくる。
それがたとえ重く悲しく静かな音楽であったとしても…。

紡ぎ出された糸は、強くてツヤツヤしていて弾力がある。
プツン!と切ると血を流しそうなほど。
それは、よどんでいた心をさっと澄みきらせる力を持っている。


2001.3.28

言葉というものが真実を伝えないのならば…
このページには何の意味もない。
私は口を閉ざそうとすら思った。
でもそう思ったときには、ギターも弾けなくなっていた。


2001.4.8

CD店の書籍コーナーで、弦楽器の写真が表紙の本があったので手にとって見ました。
バラライカや月琴などの民族楽器が特集で取り上げられていて、それはいいのですが、
その特集(といっても2ページだけのようでしたが)のタイトルがひどかったです。
『世界の珍妙楽器』ですって。 ふざけたノリの大衆誌ならともかく、教育者向けの
真面目な雑誌だっただけに驚きました。珍妙って…、そりゃないでしょう???


2001.4.12

野っぱら歩いていても、
心の中に山あり谷あり。


2001.4.16

すっかり枯れてしまったと思っていた木から、新芽が生えてきた。
去年の秋、葉が変色して全部落ちてしまい、枝もぐにゃぐにゃするので
切ってみたら中は腐ったみたいになっていた。悪いところを全部取ってしまうと、
幹が半分残っただけだった。どう考えても回復の見込みはなさそうだし、
もうそろそろ処分しなきゃ、と思っていたところ…、まさかの復活だった。
そして、何も植わってないと思ってたプランターからは、アネモネの芽が出てきた。
…こういうことは時々あるので私は、すべての植木鉢に水をやることにしている。
そういえば子供の頃にも、何かわからない植物が生えてきたので育てていたら
小さなメロン(プチトマトぐらいの大きさ)ができたことがあったなあ…。(ほのぼの〜)


2001.4.26

去年の夏頃からギターにはまってしまい、あるグループの中ではチャランゴを
担当していたものの、他のところで遊ぶ時はたいていギターばかり弾いていた。
少ない人数で練習する時、ギターなしでチャランゴだけの伴奏だと、どうも笛の
人が吹きにくいらしい、という理由もあったのだけど。

最近、いろんな人に出会い、いろんな人と一緒にチャランゴを弾く機会があった。
そして、自分の弾き方が変わって来ているようでおもしろい。良くなったのか悪く
なったのかは、自分ではよくわからないけれど、人に「影響されてる」というのが、
嬉しい気がする。なぜなら、周りの音に影響されないように、周りの音を聴かない
ように、と必死で身を固くしながら弾くのはとっても悲しいことなので…。
ともかく、最近またチャランゴにはまりつつある。

弾いてて楽しいと感じるようになったのは、(これは某先生のおかげなのだけど)
チャランゴでアルペジオやメロディを弾く時も、ギターでベース音を入れる時も、
『リズムの中にある』ということを、意識するようになったからかもしれない。
(意識はしても、ちゃんと弾けているわけでは決してないのだけど…(^-^;)
どういうときが一番楽しいかと言うと、他の人の音(リズム)と自分の音(リズム)が
『ハマってる!』と感じるときなんだと思う。
私なんかがそう感じる瞬間はほんの一瞬しかないのだけど、ほんとは最初から
最後までずっとハマっていて当たり前(そうでなければ音楽になっていないはず)
なわけで、そういうふうにできたらもっともっと楽しいだろうな、と思う。


2001.4.28

最近見たビデオ。まずは、Mストリープ主演の『ミュージック・オブ・ザ・ハート』。
クライマックスの演奏シーン数分間だけでこの映画を見た甲斐があったと思いました。
音楽関係の映画といえば、『海の上のピアニスト』というのも少し前に見ました。
この2本は実話に基づいているとのこと。いろんなことを、漠然とだけど、いっぱい
考えてしまいました。
それから、『サルサ!』。こちらはめっぽう陽気です。スペイン語がバリバリ聞けると
思って期待していたら、なぜか舞台はフランス。キューバ人に成りすましてサルサ教師
をするフランス人ピアニストが主人公でした。40年越しの恋を実らせるおじいちゃん、
おばあちゃんのサイドストーリーも素敵。シエラ・マエストラの音楽も良かったです。


2001.5.10

今日はヘンな1日でした。
家を出ると、近所の道路で事故があったようで、警官が数人いました。
駅前の駐輪場は、前日レッカー移動があったため満車でしたが、管理人さんは
本来の置き場ではない狭い隙間に私のバイクを押し込んでくれました。
それなのに駅の改札前で忘れ物に気付き、またバイクを出してもらって家に帰りました。
2台遅らせて特急に乗ると、めずらしく座席を確保したものの、めずらしく腹痛が起こり、
ぐっと耐えつつ目的地にたどりついたらば、2時間半待ちぼうけを食らい、公園のベンチで
チャランゴを弾いていたのですが、変なオッチャンが寄ってきたので退散…。
うろうろ歩いていると、ここでも交通事故があったらしい。なんだか嫌な日だなあ…。
そうこうしているうちに友達から電話で、あまり楽しくない出来事の報告があり、
(これは以前から進行中の話ではあったのですが…、爆発したようです。)
また、別の人からは、我がムシスを侮辱され(私にはそう思えた)、悲しくなりました。
夜遅く、うちに帰ると、部屋の電気もつけっぱなしなのに、ミゲルがいませんでした。
ミゲルの携帯にかけてみると、職場で火事というか、人が燃えたという…!
さいわい命は取り留められたそうですが、本当に驚きました。
…メールをチェックするとき、かなりドキドキしました。何かもっと悪いことが
起きてなきゃいいのだけど……
ところがメールの方は、泣きたくなるほど良いことばかりでした!!!



2001.5.11

壊れるものは壊れてしまえばいい。
本当に大切なものだけが残るはず。


2001.5.14

5月13日(日)、兵庫県三木山フォルクローレ音楽祭にて、我がロス・ムシス
(ネット仲間で結成のアマチュア・フォルクローレグループ)初舞台を果たしました。
…たかがムシス、されどムシス…。
私は前日の朝から緊張で胸はドキドキ、指先は冷たくなり、こんな状態が
何十時間も続いたら死ぬんとちゃうか?と思うほどでした。
その日の夜にはロスインカスでマルカパンパータの演奏がありました。
翌朝の出発も早いので疲れるかなぁ、と迷ったのですが、行って良かったです!
久々に会った虫たちの顔を見て、いい演奏を聴いていたら、すっかり気分は
ぽかぽかと暖かくなりました。「緊張」は良い感じの「興奮」へと変わっていき、
つい終電まではしゃいでしまい、翌朝眠かったけど…とても良い気持ちでした。

発見!
「ドキドキ」の温度が上がると、「ワクワク」になるのですね!

三木山での演奏は、完璧とは言えなかったかもしれません。それぞれ個人的な
反省を聞いてみると(私もそうですが)、練習時の方が上手かったかもしれません。
でも、普段住んでるところもやってることもバラバラの33人のメンバーが
気持ちをひとつにして楽しく演奏できた、それはなかなか感動的なことでした。
西から東から、忙しい日程の中で無茶をしつつ駆け付けてくれたメンバー、
バンドの掛け持ちで走り回ったり、腱鞘炎になりつつ参加してくれたメンバー、
来られなかったメンバーからも励ましのメールや電話をいただき、手作りの
衣装まで送っていただき、もう、とっても嬉しかった!感激でした!
客席からも手拍子が起こり、みんな顔が笑っているのが見えました。
最後の曲、「サクサイワマン」では、あたたかい気持ちに包まれて、
本当に幸せな気分になりました。ムシスの皆さん、そしてムシスを見守って
くださった皆さん、いくら感謝してもしきれないほどです。


2001.5.15

今年最初のサボテンの花が咲いたよ! FOTO  …ドジ。パノラマモードになってた。


2001.5.16

さて、三木山も終わったことだし、ゴタゴタしていたことを片付けねば。
いよいよいろんなことの流れが変わるときかもしれない。


2001.5.19

両腕をもぎ取られる夢を見て大泣きした。
ふむ、案外こたえていたらしい。

予想もしなかった出来事…。
この出来事は、私の今後にどう作用するのだろう?


2001.5.24

今日でチャランゴ教室を辞めた。
みんなの楽しそうな声とチャランゴの音がつらかった。
今はとてもチャランゴが弾きたいと思った。
帰り道涙が止まらなくてとても困った。


2001.5.25

雨上がりの朝…。ベランダに出てみたら、全てのサボテンがむくむくっと太って
一回り大きくなっていた。昨日私を冷たく濡らした雨だけど、許してあげるとしよう。
梅雨が来る前…。この季節の緑はいちばん生き生きして、のびのびと光合成している。
急ぐ必要はないのだから、今できることをしよう。。。


2001.5.27

左手くすり指の先端の骨を粉砕するという事故から10日経った。
今日になって、やはり稀な体験なのだから記録しておかねばと思い、ゾンビのような
指の写真を撮った。(以下、怖いのが嫌いな人は読まない方がいいかも…)
それは先週の木曜日、とあるマンションの玄関でのこと。私が中に入りドアを閉めよう
としたとき、鉄の扉が、突風で真空状態になった廊下に吸い込まれ、ものすごい勢いで
閉まった。指を詰め、「いったあ〜〜〜い!」と叫び、しゃがみ込む私はまだ笑っていた。
ふと指を見ると、あれ?爪がいがんでるじゃん?爪真っ白だし。血も出てるし。
よぅ〜く見ると、爪の根元が甘皮を突き破って外側に浮き出している。これはちょっと
ただ事ではないと思って2階にいた人に告げに行った。階段を上りきったところで
汗がどっと出て血の気が引き、しゃがみ込んでしまった。吐き気がした。
ヤバイ、これは骨折しているな、と思った。
時間外の救急患者に医師の言葉はやさしかった。「一応骨折は骨折ですけどね、
ポキッと折れてるわけじゃないですし、ギプスも手術も必要ないですし。」
次の診察では、「ギター?骨折してるんですよ〜?バラバラに砕けてるし、くっつける
ような手術もできないし、どうすることもできないですしね。爪も生えるのに4、5ヶ月は
かかりますしねぇ。新しい爪が、たぶん〜〜、生えてくる…とは思うんですけどぉ〜。
爪がないと指先に力は入れられないですからねぇ〜。」などと言われ、がっくりきた。
普通の人なら左手のくすり指なんて、それほど重要な指でもないのかもしれないけど、
弦弾きにとっては…………、けっこう気が狂いそうな毎日だった。
さて、今、爪は皮膚にくっついてはいるものの死んでいるため、どんどん変な色に
なってきている。ポロッととれたらチャランギスタ用付け爪になるかな?と思っていた
のに、端の方から干からび始めて変形してきた。
早くこの爪が取れて、裏表のわからないつるんとした指を見てみたいんだけどなぁー。
あ、そうそう、痛みはたいしたことなくて虫歯よりずっとまし。音にたとえるなら“重低音”、
物にたとえるなら“石”って感じです。ズシーン、ズシーン、てね。

こんな文章書いてたら少し気分が落ち着いてきた。(読まされる方は迷惑だろうな)
じつは、叫びたくなるほどつらかった。。。


2001.6.5

このところ睡眠時間の多少にかかわらず毎日たくさん夢を見る。ネムイネムイ。
(以下すべて夢の中の話。怖いのが苦手な人は読まない方がいいかも…)
その中年女性は眠り続けている。彼女には4人の若い娘がいて、その名前は
続けて言うと何やらふざけた語呂合わせになっていたのだが、忘れてしまった。
さて事件は、この家のパン屋さん並みに大きなオーブンの中から真っ黒焦げの
手首が出てきたところから始まる。眠る女性の右手首である。どうやら焼けた
オーブンの扉に挟まれて手首をもがれたらしい。彼女は今、瀕死の状態。
4姉妹の誰が犯人か?それは誰でもなかった。ともかく事件である。
これは解決しなくては…というところで目が覚めた。明け方4時。
前夜にしなかったメールチェックなどする。いろんな思いが渦巻く。
今朝の私は誰かの草履を履いて歩いていた。その擦り減り具合からその人の
思いを感じようとしていた。見知らぬ顔の友人たち(この夢の中では私は学生
らしく周りの友人たちもその年代の人。)は、そんな私を見て微笑んでいた。
本屋の棚に『週間オフレコ』という雑誌を見かけた。嫌な世の中だと思った。
このところ、痛いのは指だけではなく…。あっちこっちに亀裂。


2001.6.6

台所に1cmぐらいの赤い金魚が落ちていた。私は拾ってコップの水に入れた。
死んだように浮かんでいたが、しばらくすると口をパクパクやり出した。
あ、生きてる。でもよく見ると、その金魚はロボットだった。
もう1匹、5mmぐらいの小さな金魚も落ちていた。そいつもロボットだった。


2001.6.7

まだまだ毎日夢を見る。こんなことはめずらしい。ネムイネムイ。
息を止めてないとぼろぼろ崩れてしまいそう…。まっ暗な夜の海で
櫂を無くした舟みたいな不安。洋服の中でちぢこまっていく体や、
笑えなくて筋肉の落ちて行く頬…。
だけど昨日の夢には仲のいい友だちが出てきた。現実とは違う、
わけのわからない立場でわけのわからないことを言ってはいたが…。
夢が現実味を帯びてくるにつれ、心が軽くなってくる。
そして今朝の夢にも知人がふたり出て来て、内容はついに現実と
オーバーラップした。ここいらで、ピリオドを打つ!!!
前にも言ったけど、『自業自得』という言葉が好きだ。
コロンブスの卵じゃないけど、「人間」と「音楽」、どっちが先?
私には答が出せない。ともかく。。廃業宣言はしないことにした!


2001.6.8

予想通り、私を蘇らせるものは音楽だった。
実を言うと昨日までは、「音楽は聴くのがいい。演奏はもうしない。」なんて
思っていたんだ。これから先、人との付き合いで楽器を持つことはあっても、
夢はすべて捨ててしまうつもりだった。
でも今は早く指のケガを治したい!さいわい見た目にはもう、単なる
“ちょっと趣味の悪いネールアート?”ぐらいにしか見えないし。
そう、この爪はもう伸びることなく、干からびて端から縮こまる一方。
そして柔らかく新しい爪が生えてくるとしたら、なんて幸せなことだろう!!!

私はナタ・デ・ココが好きだ。でも日本の大手企業が貧しい国の人たちに
悪徳な商売をして…というような話を聞いてから、ナタ・デ・ココを食べる
たびに嫌な気持ちがした。

私は幼い頃から「手」だけはケガしちゃいけない!と思っていた。
絵を描いたり物を作ったりしたかった。12歳から後はずっとギターが弾きたかった。
15年ほど前、初めてバイクを買った時、バイク屋のお兄ちゃんが、
「ブレーキは4本の指で握らないと指の骨折るからね。」と言った。
私は今もバイクに乗るたび、いつもその言葉を思い出していた。
指の骨を折る…そんな恐ろしいことはない!!!そう思っていたよ!ずっと!
それでも、「指を詰めるなんて、不注意だ!」と言われたりもする。
ま、それも事実。と、ポリポリ頭掻いて笑うしかないのだな。うん。


2001.6.11

毎日くすり指の治り具合ばかり気にかけていることに、ウンザリしてしまった!
くすり指など元から無かったのだと思えば、なんてことはない。弾いてみたらば
結構いろいろ弾ける。だいたい指が元気なときでも、ちゃんと演奏できる人と
比べれば、指2〜3本少ないようなことしか弾けなかったんだから、同じことだ。
だけど、少ない音で崩れない空間を作るには、的確な位置に柱を立てなければ
ならないね…。ガシャガシャとコードを弾いてたら誤魔化しが利くのだろうけど…。
というわけで、達人ではない私にギターはまだまだ難しい。やはりギターには、
にゅっと伸ばしてぐいっと押さえる、力強いくすり指が欲しくなる〜〜〜。
マンドリンなら単音だし…と思ったら、くすり指は最重要な指みたいで…。(-_-;
チャランゴに関しては、今のところノーコメント。
それにしても…、何も一生治らないわけじゃなし、ほんの数ヶ月の間ぐらい、
おとなしくしてりゃいいのに、何をあせってんの?と言われそうですが……
あせっているわけではなく、何かやってみたいな〜という気持ちが湧いてきた
だけで…。近頃の無気力ぶりからすると良い変化なのかもしれない。


2001.6.12

6月の花といえば、なんといっても、クチナシである。(←ワタシ的には。)
夏の夜、ジャスミンに似た甘い香りを漂わせる白い花。
白といってもアイボリーに近く、とても存在感のある白。
花びらはやや肉厚で、しっとり落ち着いた感じ。

数年前のこと。私は色とりどりの花がある中で、白い花は何故?と考えていた…。
ちょうど梅雨で毎日雨が降り続いていた。街中の景色は灰色一色で、
赤や黄色の花たちも皆、すっかり色彩を無くしてしまっていた。
そのとき、白いクチナシだけが、鮮やかに浮かび上がって見えた。
なるほどね。梅雨の花だ、と思った。雨に濡れて香りはいっそう強く感じられた。

サボテンでも、夜に咲く種類はたいてい花びらが白、または淡いピンクなどで
芳香性のものが多い。虫を呼ぶため、夜でも目立つための知恵なんだね。
サボテンは昼間咲いて夕方には閉じるものが多く(省エネ?)、昼間働いていると
なかなか開花を見られないので、夜に咲く白花サボテンというのが欲しかった。
なんとなく神秘的でもあり、とても憧れたものだった。


2001.6.16

「踊る」という字を「ムシヘン」にすれば、「蛹(さなぎ)」。
さなぎは動かないけれど、来たるべき時を待ちながら
心を躍らせているのだろうか?

一度失った信頼を取り戻すのは並大抵のことではない。
『笑えない病』についても同じこと。とにかく時間が必要。
葉っぱの下で雨をやり過ごす虫や猫のように、今は待つだけ…。
ともかく、止まない雨はないし、明けない夜はない。


2001.6.17

どんな理由にせよ、いくらあなたが自分の考えに自信を持っているにせよ、
それが正しいことであったにせよ、人が人をこんなに傷つけていいものか?
神さまでもないのに、人を裁くことなどできるのか?
止まない雨はないし、明けない夜はない。
けれど、「あなたの世界」に降る雨はあなたにしか止められないんだってば。
朝が来なくても自業自得なんだってば。

季節の風やその匂いに、忘れていた何かが一瞬フラッシュバックする。
そんなような超個人的な脳味噌の中の世界においては、すべての人間…
それどころかすべての生き物が同じところに生きている気がする。
ただの、同じ自然の一部なんだよ、あなたも私も…。


2001.6.18

私はしばしば原始人のことを考える。
たとえば、お腹が空いたけど食べ物が見当たらないとき、目的地が遠すぎて
歩くのが嫌になったとき、ボーっとして何にもやる気がしないとき…
こんなとき、太古の人はどうしただろう?と思いを巡らせる。
ビルの谷間で、地平線や土の地面を想像してみる。
蟻から見た世界を想像する。次に今の自分が蟻だとして、人間の大きさになってみる。
雨の降る仕組みや、飛んできたボールを受け止められる瞬時の計算力について考える。


2001.6.22

1ヶ月半ぶりに薬指の爪を切りました。爪先ではなく根元の方から5mmほど。
干からびて変な色に縮こまった部分を切り取ったので、とてもすっきりしました。
これからも上下から切っていくのでどんどん爪は小さくなっていくことでしょう。


2001.6.25

土曜日(23日)は、期待(わくわく!)と不安(いろいろとね…)を抱えつつ、朝から東京に
向かいました。新幹線が冷えすぎていてクール宅急便のような私でした。
東京で一足先に来ていたみきやんと落ち合って、なぜか上野のパンダを見に行く。
体調もすぐれず、ややテンション低めのふたりでした。
が、夜は神楽坂の『赤い馬』という、とてもアットホームな小さなライブハウスで『カルルナス』
の演奏を聴き、とってもおいしい和風のご飯(イワシの竜田揚げ、冷やっこ、ニラ玉炒め等)
をいただき、ふ〜んわりあたたかい幸せな気持ちに包まれました。
その後、先輩宅へ転がり込み、朝まで話してサンポーニャ吹いて盛り上がり…
日曜日は寝不足顔でバタバタと汗かきながらボサボサの格好で(失礼しました!)
江東区の『アンデスのこだま』会場へ。
コンサートは、グループごとに特色のある音楽、踊りもあって退屈させず、素晴らしかった。
さすがに20年以上続いているイベントだけあって、演奏レベルも高く、進行もスムースで、
どのグループも入場から退場まできちんとしていたのが見ていて気持ち良く、
楽しめるコンサートでした。
終了後、あまりお話もできずに帰らねばならなかったのは残念でしたが、
帰りの電車の中では、久々に元気が湧いてくるのを感じました。
夜遅く家に辿り着き、めずらしくアルコールも飲まずに心地よい疲労でぐっすり…。
何年ぶりかで“休肝日”だと思ったけど、考えてみたら昼食は枝豆と生ビールでした!

HR> 2001.6.26

チャランゴのDmってどうでしたっけ?と訊ねられ、まだ力を入れて弦を押さえるのは
できないので形だけやって見せようとしたのだけど、薬指が4コースに全然届かなくて、
あれれれ???とあせりました。
もう一度ゆっくり落ち着いて…指を伸ばそうとしたけれど、動かない!!!
時間をかけてやっと動いても、思う所まで届かず…。愕然としました。
どうやら少しリハビリが必要なようです。


2001.7.6

人間はただひとり理解者がいてくれたらそれで生きていける。と思っていた。
はずなのに。なぜか?たったひとりから嫌われただけで、めげていた。
流れが変わっていくのを感じる。再会。『20年ぶり』
なんて言葉は10代の頃には出てこなかったよ。長く生きてて、良かった。
またニヤニヤとし始める。最近みんなに「めちゃくちゃ痩せたね」なんて
言われ、いよいよ歳をとっちゃった!と思っていたけれど、思えば今より
老けていた時代もあった。起伏があるのだ、人生には。
さあ、これからどこへ行こう?


2001.7.7

昨日は原マスミさんのライブに行ってきました。実に十数年ぶり。
1曲目は『約束の満月』、「ずっと、待っていたんだよ」…まさに。
出会いはポニタ@女子高生の頃。真夜中に青い日記帳広げながら、
ちょっと不純な(顔の赤くなる)レモン水など飲んでいた頃のこと。
そして今、私は、「自分が何者であったか」を思い出した。
そのまた昔、INUであったM氏が「KOH」と読み名を変えて社会進出を図った。
ようやく文庫化されたので手にすることができた。夢が叶いました。なんてね。


2001.7.9

丸3ヶ月、練習どころか集まるどころか何の連絡も取り合ってなかった(私だけ?)
ラス・シレーナスが、活動を再開した。さっそく今世紀初のライブ出演も決まった。
…が、私はその日を最後にシレーナスを辞めることにした。
すでに後任チャランゴもいて、後のことを心配する必要もなさそうだ。
私にとっての最後のシレーナスは、全曲ボンボでの参加。
ボンボ・デビューにして引退だ!


2001.7.23

ボンボを叩くのは楽しくて、“ボンボ叩き”としてなら、このグループに残っても
いいのかな?とすら思った。
けれど、私のギターとチャランゴはここにはまったく必要なくて、居場所がない。
私のチャランゴはすでに漂流していて、どこにも行くあてがない。


2001.7.25

久々のくすり指に関するレポート。
浮き上がってきた爪をどんどん切っていくと、その下には爪とも皮膚とも肉とも
つかないものがうごめいていた。半分うそ。うごめいちゃいない。でも、爪と肉の
間に隙間ができたままにしていたため、何やらわけのわからない物質が形成
されてしまったというのは本当。しかし根もとのあたりは固い?これは新しい爪?
と、まだ柔らかいうちから突っ付きすぎて、せっかく生えてきた新しい爪は
表面がペコペコ。

古い爪は今や、米粒の大きさで指の片隅にちょこんと貼りついている。
空に浮かぶちぎれ雲に似ている。そして血のかさぶた(約0.5ミリ)を
飛ぶカモメと見たてれば、なんとなんとなんと〜。新しく生えてきた爪は
まるで水平線のようぢゃありませぬか!う〜ん、美しい風景じゃ〜〜〜!
だけどね… 空は、しわくちゃ、なの。


2001.7.26

一年で一番暑い季節のはず。盆地の京都は蒸し暑さで不快指数も高いはず。
それが昨日今日と風も強くて、まるで9月のようなさわやかさ。
運動会や遠足を彷彿とさせる風は、気持ちいいけれど何故かとてもさみしい。

ああ〜っ!しまった、間違えた!再生ボタン押しちゃったよ。あ、始まっちゃったよ。
ああ、もう、また聴いてしまう。8分もある曲なのにまた。
だってこの歌、途中で切れないよ。そんなことしたら血が出そうで。

古い絵の具を取り出したくなる。そんなものチューブの中で固まってるに決まってるのに?
何を描くのかって?いぬの目とか。人の目とか。うん、目だけでいいよ。鼻も描こうか?
顔の輪郭はあってもなくてもどっちでもいい。だけどね、
髪の毛なんて描いちゃうと、いつもそこで嘘くさくなっちゃうから。気をつけないと。

たくさんの人と出会って、たくさんの人と離れた。
まだ大丈夫!出会った数の方が勝ってるからね!
考えてごらん、いつまで経っても別れの数は出会いの数を追い越しはしないよ。
でも、ちょっと待って、じゃあこの痛みは何?…変だね。数じゃないのかな?
でもどちらも大切なのは確か。
今ここにいる人、もう会えない人。…そして、これから出会う人。


2001.7.28

頑丈な古い大きな家の一室を与えられ、その小さな部屋の中でベッドを縦に置こうか
横に置こうかと悩んだところでタイシテおもしろくなかったんだ。
なぁ〜んにもない原っぱに、拾ってきた板切れやワラを使って、自分の家を建てよう。
最低限のモノ、ホントに必要なモノ、好きなモノ、いとおしいモノ、大切なモノだけで。
小さな家に不似合いな、でっかい柱を建てたりせずに。うるさい大家さんにもサヨナラ。
ああ、原始人になりたい。
小さな藁の家がもしオオカミに吹き飛ばされたら、軽やかに走って逃げるよ。
だから家具は毎日使いっきり。手の中に持てる物だけで暮らす。
種から芽が出て茎や葉が伸びて行くようなやり方で。分かれ道のたび立ち止まる。
選びながら、考えながら、進んで行く。


2001.8.12

新しい爪が生えてきたのはいいけど、どうも皮の下に食い込んできて変に痛い。
それにしてもギターが弾けない。ぜんぜん弾けない。全く弾けない。ギターを弾いていると
情けなさで泣きたくなってくる。以前弾けたことが弾けないというのはかなりじれったい。
そんなわけで、思いがけずチャランゴばかり弾くことになってしまった。チャランゴなら
4本の指で押さえるコードも少ないので、なんとか誤魔化しながら弾ける。気がする。(^^;
じつは今まで常に心の中では、チャランゴが本命楽器と思いつつも、真剣にチャランゴと
向き合うことは避けていたような気がする。
一時は叩き壊そうかと思ったり、もう一生弾くまいと思ったりしたチャランゴだけど…
もう少しだけがんばってみようか。。。。


2001.8.15

大好きなアルマジロ兄弟に再会できた。あいかわらず、とてつもなく甘い音色。
フローレス兄弟とともに、もっと世に出て欲しいものだ。
良いものは誰にでも伝わる。敢えて子供向けやお年寄り向けにしなくてもね。


2001.8.22

この夏、『アンデスのこだま』(東京)や『かけゆストリートフェスティバル(仮称)』
(長野)を見に行き、強く思ったことがある。
それは、「関西のフォルクローレ、もっと頑張れ〜!」ということ!!!

洗練されたコンサートという趣きの『アンこだま』、小さな村の手作りの暖かさを
感じさせる『かけゆ』。。。正反対のイベントだけれど、どちらも企画の誠実さ、
内容の充実度は素晴らしかった。
大阪のイベントも器が大きいだけにもっともっと中身の充実をはからねばね!
と、私は企画者ではないけれど、たまに下手な演奏をやらかしたりする者の
ひとりとして、いろいろ考えさせられたのでした。。。


2001.8.30

きのう調子に乗ってギターを弾きまくってたら、きょうは AY!モードです。


2001.8.29

よくあることだがまた今日も、私のこのイイカゲンな性格のおかげで、4時間大阪で
時間をつぶす羽目になってしまった。エスニック喫茶でチキンカリーを食べつつ、
手帳をパラパラめくっていたら記憶に無い書き込みが…。「ん?アミオって誰??」
しばらく悩んだが、よく見たら、『AM10』、午前10時のことだった。…それはそうとして、
他のページに何か詩のようなものが落書きしてあったので、デタラメに曲を作った。
メロディーラインを関西弁のイントネーションに合わせてたら、なぜかルスミラ・カルピオ風
(というかパクリ?)のワイノになった。京風わらべ唄をイントロにつけるとけっこう馴染んだ。
ただし人前では、死んでも歌えない。
もうひとつの詩、『私の操縦ミスでヒコーキが落ちた』は、ペルーワイノ風に歌ってみる。
そうこうして喫茶店で2時間粘り、残りの2時間は公園のベンチでギターを弾いて過ごす。
テントのお兄さんが2m離れた横に座って(聴いてくれて?)いた。有意義な4時間だった。
鹿教湯温泉の効能か、指の怪我もずいぶん復活していて幸せ。


2001.9.3

何年ぶりかの断酒3日目である。
というのも、ここ1〜2ヵ月どんどん体調が悪化し(体型も悪化!?)、先週末に
ピークに達したからである。別に酒の飲みすぎのせいとは思わないけれど、
どっちみち飲み過ぎであることには間違いないので、ついでの断酒である。
今年は徐々に飛ぶ準備をしていた私であったが、ヒコーキが墜落してしまい、
夏にはすっかり自由の身になったので、ついでとばかり未開の草むらなど
あっちこっちを覗いて回った。そして、ちょっと歩き疲れていっぷくだ。。
さて、今日は雨の休日。
牛乳を飲みながら、『まちゅぴちゅ』のカタログを片っ端から試聴した。
デパートの地下で食事を済ます人のようである。ほぼ一通り聞き終えると、
急にロス・カンペシーノスを聴きたくなってCDをかけた。。。
幸せな気分がそこはかとなく広がり、顔がニヤニヤして体がリラックスしていく。
そういえばこのところペルーの音楽をあまり聴いていなかったのだな…。
なんだかホッとする…。しょせん自分の頭の中に、心の中に、体の中に
無い音楽を演奏することは不可能なのだな。


2001.9.7

ロスインカスのマスター、オスカルさんが、「ポニタさんの好きな曲!」と言って
(なんでそんなこと知っておられるのだ!?)アヤクチョ節、アンカシュ節などを
ギターでさらりと弾いてくれた。ほんのさわりだけだったけど、ドキドキした。
ステージでも、この手の音楽をもっとやって欲しいものだなあ〜。
リクエストしたらやってくれるかしら〜? あーそうそう、リクエストと言えば・・・
このあいだプカソンコの滋賀県近江舞子でのコンサートで、『琵琶湖周航の歌』が
リクエストされたのにはビックリした。彼らが「知らない。」(そりゃそうだろ!)と言うと、
なんと、「私たちが歌いますので!伴奏してください!」と数人のご婦人方がステージに
上がって来られた。彼ら、なんとか上手く伴奏してたけど…。(^-^; 
ペルー人に日本の曲をリクエストし、あげく自分たちで歌ってしまうとは、おそるべし!

【断酒後日談】 3日目の夜、食欲がないのでカロリー補給と称してワインを飲む。
翌日はウォッカを飲む。その次の日は立ち飲み屋へ!そのまた次の日も然り!


2001.9.9

爪が半分しかないのでギター弾くと肉にめり込んで痛い〜。
紙テープをきつく巻いてみる。しくしく。    爪日記


2001.9.11

音の出るものすべてが、人間の意志を以ってすれば、楽器と化す。
“CDケース”、然り。“声帯”、然り。意識することで音楽になる。
逆に言えば、ギターも笛もチャランゴも、意識を持たねば、ただの音。

ヨーロッパ(特に東欧)のトラディショナル音楽を最近また聴いている。
昔、『音楽は時間の芸術だ。』という言葉を聞いた時、非常に納得したものだけど、
このごろは、『時間』というより『空間』だなあ、と思う。目に見えるものだなあ、と。
部屋を満たす空気であり、匂いを運び家具に色をつけ、運命の流れをも変える
風のようだと感じていたけど、さらに、夢を映し出すプラネタリウムのようでもあり、
もっと確固とした建築物のようでもある。
そう、建築物。柱の立てる位置を間違えると成り立たない。


2001.9.10

CDを持っているだけで、知ってるつもりになっていたりする。
でも家の中にも、まだちゃんと聴いてないCDがいっぱいあって…。
聴いてびっくり!どれもがこんなに幸福感を与えてくれるとは…!
贅沢にも宝の山の中に暮らしているようなもんだ。
興奮(心)!弛緩(体)!ニヤニヤ(顔)!

CDはそれほどたくさん持ってるわけではないけど、箱で積み上げてたりして
聴きたいものがなかなか見つからないので、国別に整理してCD屋さんのように
インデックスをつけた。ペルーは地方別に。アヤクーチョはさらに細分化して…。
すると頭の中もパキッと音を立てて整理がついた。なるほど、私が好きなのは
こういうやつのこういう部分だったのか…。とはいえ、一言では説明しにくいけど。

久々に『お気に入りのCD』を揚げてみようかと思ったら、ほとんどが前に取り上げた
CDの再発見だった。いや、再発見と言うより、新発見というべきか。
「何度聴いても、やっぱりいいなあ〜!」じゃなくて、
「このかっこ良さ…!1年前の私にはわかってなかったよ〜!」という感じだ。


2001.9.16

昨日は心底、楽しい1日だった。それというのも、愛すべき可愛い友人と
一生懸命な天然ものと、素晴らしい助っ人さんのおかげでした!
朝に弱い私が昨日は5時に起きちゃったよ!お昼は食堂でクリームコロッケピラフを
残さず食べちゃったよ!うー!ビールがうまかったよ!夜は8時に寝ちゃったよ!
今朝起きると、心身ともにリフレッシュしていた。幸せ〜な気分だった。

あああ、だけどニュースを見ると、パレスチナの子供達が、テロの米攻撃のことを
「嬉しい!」と笑顔で言い、「僕だって死ねる。死ぬのは恐くない。」と誇らしげに
語っている。「アメリカの何の罪もない人たちが大勢死んだことをどう思うか?」と
訊ねると、「ここでも毎日罪のない人が死んでいってる。同じことだよ。」と言う…。


2001.9.21

某CD屋さんで一時品切れになっていて待ち焦がれていたCDがやっと、
(実はいざ入荷したらお金がなくて買えず…(^-^;)、やっと手に入った。
"PUNO"CUERDAS DE LAGO IEMPSA (PERU)
ペルー、プーノの楽団。ギター、マンドリン、アコーディオン…、とても良い!
クスコのワイノとはまた違う弾力。無性にギターが弾きたくなる。要修行!

今日は4ヶ月ぶりにチャランゴ教室に遊びに行った。チャランゴは持たずに行ったけど
やっぱり触りたくなっていろんな人のを触らせてもらった。(ご迷惑お掛けしました!)
教室で教えて欲しいのは楽器の弾き方だけでなく音楽の楽しみ方。みんな頑張れ!


2001.10.4

楽しい夢を見た。アナ・クリスティーナがチャランゴを弾きながら歌っていた。
私たちは淀川でかにを釣った。かにをくるくる廻したら、かには酔っ払った。
かには歩こうとするが、コロンと仰向けにこけてしまう。かには歩こうとしては
何度もころげた。私たちは笑いころげた。きょうは、いい天気です。


2001.10.7

RAUL GARCIA ZARATE en Tokyo-bunkakaikan (2001.10.6)


私はなぜか、世界中の音楽の中で(といっても私が知る限りにおいてですが)
ペルー音楽の持つ独特のリズムや節回しや雰囲気に最も心躍らされます、なぜか。
ワイノやマリネラなど特に好きで、楽器で言うとギターがカッコイイ!と思う。好き。
去年の秋から冬頃、ラウルガルシアさんのCDばかり聴いていたときがありました。
心の中で「神さま!」と絶叫したものでした。こんな私が彼のコンサートに行かなくて
誰が行くんだ!と思いながらも、去年は「きっと関西にも来るだろう〜」と呑気に
してるうちに行きそびれてしまったのでした。それで今度来日されたときには
何がなんでも行こうと思いました。それがこんなに早く実現するとは!嬉しかった!
しかも前から2列目、左手の動きがバッチリよく見えました。その動きは意外にも
神さまという感じではありませんでした。無理なく無駄なく職人のようでした。
ううむ、右手が神さまなのか?その動きをすべて頭に焼き付けて帰りたいと
思いながら聴いていましたが、しかし白熱してくるとやっぱりもう何がなんだか
私にはわからない。とにかく音は心地よかったです。2時間がとても短かった。
おそらく私のようなペルー好きでなくとも、すべての音楽好きの人が叫びたく
なるような演奏だったんじゃないでしょうか?  (以上、BBSより転載)

淡々と弾いておられたけど、その音はとても表情豊かで、2時間ギター1本でも
全然飽きさせませんでした。最初から最後までワクワクしながら聴いていました。
ご高齢ですが、指の筋肉は美しい!って感じでした。


2001.10.8

昨日は大阪・堺市の『ハーベストの丘』でフォルクローレのフェスティバルがあった。
名古屋大学OBのグループがとてもカッコ良かった!全員が生き生きと嬉しそうに
演奏していた。私も来年こそは、自分のグループで出てみたいもんだと思った。


2001.10.12

またひとり素晴らしい音楽家に出会った。
心を揺さぶるものは何だろう?それはいつでも知識や技術ではない。
生きてることが苦しくて苦しくて自らを傷つけたこともあったけれど、
今、ワクワクする楽しさや、しめつけられるような切なさを感じながら、
生きていることを幸せに思う。音楽との出会いに感謝する。


2001.10.13

今日は寺澤氏のギター1日レッスンを受けた。新しい発見があり
有意義だった!ギター仲間と会ってビール飲めたのも嬉しかった!


2001.10.14

チャランゴは不思議な楽器で、弾いていると顔が(身体中が?)笑ってくる。
そんなチャランゴが大好きだった私だけれど…
今は、そんなチャランゴ弾きのためにギターを弾くのが楽しい。


2001.10.15

夏に買って、あまり聴いていなかった WANKAR のCDをもう一度聴いてみた。
3年前、クスコで彼らの演奏を初めて聴いて感動し、去年の秋来日した時また感動し、
それが今年の夏頃から音楽の傾向が少し変わり、ドラムス、リズムマシンを取り入れた
大音量ロックバンドと化し(笛の音が聞こえねーよ!)、それは私の周辺ではかなり不評
だった。そのCDはちょうどその頃に作ったアルバムで、ドラムス、シンセサイザーなどの
ゲストメンバーが参加している。私としても、あの最初に感動したライブの演奏をこそ
CDにして欲しかったのに!と残念に思ったものだが、聴いてみると、想像したような
浮ついた感じはなくて、これはこれで良い出来のCDだった。もともと彼らのオリジナル
曲は「フォルクローレ」として考えなくとも、良い曲ばかりだから、どんなアレンジにしよう
とも聴けるんだな、とちょっと感心した。ライブの、あの勢いのある演奏とはまた違った
聴きやすい仕上がりで、多くの人に受け入れられやすいかもしれないと思った。
この9月末、メンバーが少し変わってのコンサートに初めて行った。最初の15分ほど
アウトクトナ音楽ばかりやるなど、私の好きなスタイルにちょっと戻っていた。後半は
機械も使っていたが、悪くなかった。バランスのとれた音を作っていた。
そして今、もう一度CDを聴いてみると、いろいろ複雑な思いが湧いてくる。
彼らを取り巻く状況、彼ら自身の行方…。私はただ見ているしかないのだけど…。


2001.10.16

いくら言葉で説明しても伝わらない思いがあるとき、そんな時は、強引に押し倒し、
じゃなかった、(失礼!(=^o^=;)) そんな時は…歌が歌えたらいいな、と思う。
私も昔はよく歌を作った。伝えたいことがあって、聴いて欲しくて歌った(ド下手なのに)。
今、そんなふうに伝えたい心も持たず、楽器だけ持って何をしようというのだろう?
もちろん純粋に音楽として楽しめればそれでいいのだけど、(むしろそれが本当?)
だけど、要は、胸に、グッと来るか、どうか、だ。


2001.10.25

私たちは、いろんな経験を積んでゆく。言い換えれば、何度でも失敗を重ねてゆく。
そうして少しずつ本物に近づいてゆく。だから、どんどん歳をとっていくということに
対する嫌悪以上に、どんどんおもしろくなってゆく人生に幸せを感じる!


2001.10.27

どろ〜る、です。肩凝りと頭痛がどうにもならなくなってきました。
先週はカイロプラクティックに行ったのですが悪化するのみ。
もう何をしても痛みは増すばかりで死にたくなります。
せっかくの休みにも何もする気がせず、昨日も今日も昼間から
ワインで鎮痛剤を飲んでいたりして…。これでは病気になってしまう。
というか、この状態すでに病気か?やばし。


2001.10.28

『本当にやりたいこと』をやってる時と、そうでない時…
誰でも顔に(音に)出ちゃうらしい。こわいデス。


2001.10.29

売れ線の曲を機械音ビシバシのロック風アレンジで演奏する、いわゆるストリート・
スタイルのフォルクローレ(もはやフォルクローレと呼べるのかどうか?)
というのが、ジャンルとして確立するほど普及しているらしい???
たいていの場合、歌も演奏も下手ではない。電気楽器を使用することも、
そのこと自体に問題があるわけではない。でもその使い方が問題?
何故ああも画一的で安直なベースライン(ひと昔前のダサダサ歌謡曲みたいな)
とかになってしまうんだろうーーー?恥ずかしくて聴いてられないー。
いくら打ち込みだって創造力を以ってすれば、そんなことにはならないはず。
ストリート・ミュージシャンの中にも良い音楽をやってる人はたくさんいるはず。
音楽が好きで自分たちの音楽を聴いて欲しくて演奏している人たちと、
稼げたらそれでいい、という人たちとは根本的に違うのかもしれない。


2001.10.30

このところ、胃と腸が蠕動運動を辞めてしまい、お腹が漬物石だった。
「お酒を飲むと、ましなんです!」と言ったら、
「そりゃ、一時的なもんです!」と整体の先生に怒られた。
そう、昨日は整体に行ったので、少し身体がほぐれたせいか久々によく眠れて、
今までの人生が走馬灯のように流れる(死ぬのか?(^_^;))断片的な夢を見た。
思えばいつでも人の忠告をきかずにガンガン突っ走り、相当な痛い目に
遭わないと、目の覚めない私だったのだなあ〜〜〜!
もうこれからは、最低限の制御はするつもり…。だ。


2001.11.5

ところでギターの音がヘソから出る人っているのですね。


2001.11.10

昨日は京都国際交流会館での WANKAR のコンサートに行ってきました。
220席のホールが一杯で、階段に座る人や立ち見も出ていてびっくり!でした。
彼らが来日して約1年…ずっと見てきたけれど、初めてのホール・コンサートであり、
フルート、キーボード、ドラムス、と一流のプレイヤーをゲストに加えてということで、
どんな感じになるのか予想ができませんでした。(期待と不安入り混じり…)
しかし、思ってたより遥かに質の高い演奏でした。
いつもほとんどがオリジナル曲で、その時のメンバー編成に合わせて次々アレンジを
変えているのにも感心するし、新しい楽器を取り入れたことも、ただ入れたわけじゃ
ない、ちゃんと曲想を大事にした音の入れ方で、バランスも良かったです。
逆に、民族楽器は使っていても、その国の心を伝えない演奏をするグループは多いし、
キーボードやドラムスがリズムを台無しにしている例は数限りないということを考えると、
彼らの試みが成功しているのは素晴らしいことだと思いました。
私は遅刻して聴けなかったのだけど、オープニングにやった(プログラム外の)笛と
太鼓のみの土着音楽がとても良かったとダンナは言ってましたです。最後の方は
踊りまくる若者がいたり、拍手がなかなか鳴り止まないほどの盛り上がりで、
コンサート全般的にも、音響、照明、進行、すべてにおいて良いムードでした。
私としては、どうしても、3年前クスコで聴いたWAMKARと比べてしまったり、
プログラムに名前だけ残して不在であるメンバーのことが気にかかったりも
するのだけれど…。なにしろ流れは止められない…。
ともかく、彼らはこれからますます大きくなっていくんだろうな、ということを、
ひしひしと感じたコンサートでした。


2001.11.15

一緒に練習しようと集まったAMIGOS。外は寒くて手は冷え切っているのに、
楽器を出すや、チューニングもせずに、「ウノ、ドス、トレース!」
ちょちょちょ、ちょと、待ってー!(一体何なんだ、この人たちは!!!)
それも聴いたことのない曲だ。そりゃあ、そのはず。今作った曲だった。
しかもそのメロディー、何拍子だかよくわからんかったりする。
(それが最終的には美しい曲に仕上がるのだからなんとも不思議。)
曲作りが始まると休憩もお喋りも一切なし。間髪入れずに次々弾く。
私のギターはその日弦を替えたばかりだったので、しばしばチューニングを
気にしていたら、その時間が惜しいのか、代わりのギターを渡された。。
曲はどんどん変わっていく。より良い音を見つけて変えることもあれば、
知らないうちに変わってしまうこともあるようで、さっきやったのと違う!
と私が指摘すると、そんなことない!同じだ!と言い張る〜。
まったく、イイカゲンなんだか、こだわってるんだか、よくわからないのだ
けど、このやり方が何故かとても心地良く感じる私なのだった。。


2001.11.22

配達されたままの状態で、新聞の山が高くなっていく。
知らないうちに爪が伸びる髪が伸びる米がなくなる。
気がつけば、手帳の残りが少ない。
来年の手帳はもっと大きいのを買わなくっちゃ!


2001.11.24

何かを探しているときは、それ以外のものをみな早送りしてしまう。
それは決して嫌いなものでなくとも、見えなくなってしまうのだ。
人生の中の早送り(すれ違い)、巻き戻し(振り返り)、そして再生(再会)。
昔自作したわけのわからない歌が、なぜかフォルクローレに似ている。
10年の月日が私にくれたものは何だろう?
太いギターや五音階、たくさんの人とのつながり、まっすぐな気持ち。
どこへ行くのかと思ったけど、意外なところに戻っていくのかも。


2001.12.3

ああ、なんだか田舎でボケーッとしてたい気分だ。。。…なんて言ったら、
オマエはいつでもボケーッとしてるやないか!と突っ込まれそうだな、うん。。。
しかも、私の日常的行動範囲内は、都会とはいえ公園だらけで、古い大きな木が
いっぱいあって、その公園には、ハトもいるし、ネコもいるし、コウモリやフクロウも
住んでいる。(おっさんも住んでいる。)コンビニ弁当や串カツ食べてるカップルも
いるし、昼間っから酒飲んでるOLもいる(私じゃないよ)。街中に、赤い葉っぱ、
黄色い葉っぱがあふれ、泣きたくなるほど綺麗なこの街が、私は大好きだ!
…自分の生まれ育った町(今も住んでいる)はどうしても好きになれないのだけど、
それは個人的に嫌な思い出が多すぎるからだろうね…。


2001.12.4

今年も誕生日が来て、日々天国へのエスカレーターを昇り続けていることを思い出す。


2001.12.6

私は、自分自身が幸せになれる方法を知っている。
そして、大切に思う人を幸せにする方法も知っている。
ああ、それなのに…。まるで役立たずだ。と思うときがある。


2001.12.9

最近、CDをぜんぜん聴いていない!(CD屋さん、ごめんよぉ〜〜!)
だいたい家にいる時間が減ったせいもあって、掃除機かけながら聴くのは
イヤだし(うちの掃除機は相当うるさい)、パソコンに向かうときは集中したい。
ポータブルで聴くにも、電車はうるさいし、歩くときは街の騒音に聴き惚れている。

…枯れ葉が舞い散る街角で…ふと足を止めて…素敵な生演奏が聴ける…
…そんな世界だったらいいなあ〜!!! (…また夢を見ている…)

こんなことを書いたほんの数時間後に、CDをかけて感動している私。
洗濯機回しながら、パソコンに向かいながら、ね。
(…もはや心は此所に無く…)


2001.12.23

かなりヘヴィーに落ち込んでいる。もうなんにもしたくないと思うほどに。
ホームページもトップページの背景を真っ黒にして休業したい気分だし
大阪にも行きたくない。誰にも会いたくないし、話もしたくない。
でもそんなことしてたらますます状況悪化しちゃうよな〜〜〜〜〜〜〜!
まったく私は…、コドモかっ!情けない〜っ!しっかりしろっ!
だいたい遊びのはずの音楽に必死になってる私が大バカ者…?
だけど望むことはただひとつ。気持ち良く弾きたい、それだけだ。
一体いつになったら、いつになったら、いつになったら、いつになったら?
もう嫌だ、これ以上やりたくない。(またやるに決まってるけど。)

・・・

しばらく音楽を演奏どころか聴きたくもない気分だった。完全に脱力。
必死で平静な顔をしようとしていたつもりだけど、おそらく100パーセント
成功していなかったと思う。
日曜日、なんとなく、最低のテンションでギターをつま弾いていた。
…ひたすら癒し系、超癒し系…、でたらめに弾いていたら綺麗だった。
チャランゴだったらこう弾くよ。思わずチャランゴも持ってきた。
不思議と今まで弾いたことのないフレーズがどんどん出てくる。
ああ、たまに落ち込むってことの効用だな!悪くない!と思ったら、
ふっと笑えた。明日は元気になれるだろうと思った。


2001.12.24

自己嫌悪は続き、テンションは上がらず、しかも私のロー・テンションは
伝染性らしい。これじゃめちゃくちゃ人に迷惑をかけてしまう。そう思うと
ますます自己嫌悪になって悪循環。挨拶すべき人の姿を見つけてもなぜか
物影に隠れてしまう私。こんなことではイケナイ。気まずいじゃん。
思い切って話しかける。ポニタ、ガンバレ!って。うぅっ…!なんだか
いろんなところでいろんな人にいっぱい気を遣わせてしまっている。
家に帰ると、e-メールでクリスマス・カードが届いていた。
なにやら不審な郵便物、じゃなくて、素晴らしいプレゼントも届いていた。
嬉し涙ー!ふぇりーす・なびだー!


2001.12.28

エゴイスティックな自分に自分で腹が立ちつつも…
音楽が好きという気持ちをなくす日は来ないだろう。
普通の生活って、何?


2001.12.30

最近また時々ペルーの匂いを思い出し嗅ぎすることがある。
3年前の今日、初めて行ったペルーで最初の夜クスコで聴いた音楽が、
私にとって最も衝撃的であり、最も大きな影響をもたらした。
なんて言うと、それは一体どんな音楽!?と思われるかもしれないけど、
当時の私の状況や環境を考え合わせて、その出会い方が衝撃的だった、
という部分も多々あり…。つまり、『初めて聴いた』ということが持つ意味
は非常に大きかったと思うのだが…。ともかくも、それは私には決して
忘れることのできない大切な出会いであったことに違いはない。
あれからCDを集めたり、チャランゴを練習したり、スペイン語をかじったり、
ホームページを開いてたくさんの人と出会って一緒に楽器で遊んだり…。
30代も半ばを過ぎているというのに、“ちょうちょのこども”と言われた。
でも蝶にはなれず。そのまま死んでしまうやつも多いんだと思います。


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